第六話「鉄の薔薇」
アーベインの言う通り、その後五分と経たず他の班員を引き連れて、ベルメール=ローゼンヴァルトが事務所に現れた。日頃から不機嫌そうな上司だが、今日は特に虫の居所が悪いようで、露骨に漂う刺々しい雰囲気に、ユーリは言われるでもなく思わず姿勢を正してしまう。
「早速だが、アイゼンブルームの監督を任せていたブリュッケ=アルバイツィーマ氏が、昨夜から消息が掴めない。一応確認するが、行先に心当たりのある者は?」
電子煙草を咥えたベルメールが一同を睨みつけると、まるで有刺鉄線が巻き付いたようなプレッシャーに縛り付けられるが、一週間後に試合を控えているというのに、監督が雲隠れした事自体初耳の整備班は、皆動揺こそすれ首を横に振るばかりで、キョトンとするばかりだった……ただ一人、ユーリを除いて。
――ブリュッケさんがいなくなった? ……もしかして、昨夜の件と何か関係があるのか?
見た事もない設計を施されているばかりか、あまつさえ人間を攻撃してきた機械仕掛けの蜂に、それと戦っていたこれまた見た事のない黒い少女。昨晩は黒い少女の構造があまりにも素晴らしくて夢中になってしまったが、冷静に考えてみればあれは何か相当異常な事件の一端だったのではなかろうか?
「……ユーリ、どうかしたのか?」
「え、あ……いや――」
「ベルメールさん。ちなみになんスけど、ブリュッケさんがいなくなったのって、やっぱ買い取ったAES絡みなんスか?」
アーベインに尋ねられ、一瞬ユーリに部屋中の視線が注がれかけるも、直後割り込んできたライオットの質問に、場の空気がガラリと変わる。
「その話はこの後……まぁいい。昨夜ドックにいなかった者にはまだ説明してなかったが、先日新たに購入したAESは、調査の結果起動出来ない不良品だという事が判明した」
「ちょ、ちょっと待って下さい社長~。それってつまり~……」
「そうだ。この機体を買う資金の大半は、以前スカイネット社にズィーベンを売却した際のもの。つまり我がアイゼンブルームは、このままでは来週の試合に出られない。これは私がこの件をブリュッケ氏に一任した所為でもある……すまなかった」
「よしなボス。誰もあんたを責めちゃいねぇよ。それよりもまずは、今後どうするかだろ?」
咥えていた煙草を手に取り、深々と頭を下げるベルメールの肩に手を乗せるアーベイン。
班長であるアーベインが庇った事で、チーム引いては社の一大事を前にして、少なくとも現場の空気が乱れる危険だけは避けられたようだ。
そしてユーリもまた内心、昨晩の件とブリュッケの失踪は関係なさそうだと安堵すると共に、完全に黒い少女について打ち明けるタイミングを失ってしまい、胸の内にモヤモヤとした想いを抱えたまま、事の成り行きを見守る。
「そうだな……今全力で代わりのAESを探しているが、はっきり言って状況は芳しくない。現実問題、弱肉強食のAESスポーツ界で、そんなお人好しの企業などある訳ないし、あったとしてもそれは、何か途方もない裏があると考えるべきだ」
「そりゃそっスよね。ましてやうちらみたいな最下位クラス、いつ潰されたっておかしくねーのに、助けるメリットなんてなんもないっスもん」
「あの~……でしたら来週の試合は無理せず棄権するというのは? こう言ってはなんですが、敗けるのなんてこれが初めてじゃないんですし……」
「残念だがそれも難しい。これもブリュッケが諸君らに隠していた事なのだが……我がアイゼンブルームは、リーグポイントがもう全く残っていない。次の試合で敗けると、まず間違いなく企業連リーグから脱退させられる……それは実質、チームの解散に等しい」
ベルメールの宣告に、再びざわつき始める整備員達。今度はそのざわめきの中に、勿論ユーリも入っていた。
AES競技とは、突き詰めて言ってしまえば見世物となった戦争だ。そしてショーの大半がそうであるように、AES競技もまたある程度双方の実力が拮抗である事が求められる。
その為に作られたのが、大小百を超える企業が加盟し、実力が均等になるようS、A、B、C、D、Eの六つのクラスに分けられた通称企業連リーグなのである。
Eクラスの中でも特に弱いチームは、見世物としての価値がない以上解散させられるのはよくある話だし、万年Eクラスのアイゼンブルームも、いつかそういう事態に遭遇するのではと、誰しもが心の隅で思っていた。
しかし、まさかその危機に直面していたなどと、整備員全員まさに寝耳に水だった。サングラスの奥で押し黙っているが、恐らくアーベインとて昨夜まで知らなかったに違いない。
企業連リーグからの脱退は、その企業のAESには商品価値がない事を示している。それは単にスポンサーがつかなくなるというだけでなく、フットドール以外のAESスポーツでも未来がないという事であり、つまりはこの業界で職を失うのと同義だ。
そうやって考えてみると、チーム引いては自らの進退がかかったこの局面、自社のエース機を手放してでも、目先の勝利に飛びつきたくなったブリュッケの気持ちは分からないでもない。もっとも今回はその偏狭さ故に、スカイネット社にいいように弄ばれた訳だが。
「要するに、俺ら全員崖っぷちって事だ。各々思う所はあるだろうが、ひとまず今はこの状況をなんとかする為に、力を貸してくれ」
「差し当たって、暫定的に監督代理を選ばねばならないのだが、諸君らの中で誰か立候補ないし推薦したい者はいるか?」
ベルメールが先程のように班員を見渡すも、その視線に応える者など相変わらず一人もいなかった。誰だってそんな大役押し付けられたくないのだから、眼を逸らすのも当然だ。しかし、
「はいはいはーい! だったらユーリ君がいいと思いまーす!」
「ちょ、ライオットさん!? こんな時に何冗談言ってるんですか」
「いやいや、実際適役だと思うぜ? だってなんだかんだ、ユーリ君が一番社のAESと仲良いんだし……ぶっちゃけ他に、手が空いてる人いなくね?」
「そりゃそうかもしれないですけど……」
「そうか、ではユーリに頼むとしよう。なに、心配するな。あくまで君は監督代理。試合当日まで、チーム全員で君をサポートする」
社長直々に押し付けられ、断る度胸などある筈もなく、ユーリはしぶしぶ首を縦に振る。
「よし、これで一つ解決だ。アーベイン、私は一旦社に戻って進捗を確かめるから、現場は貴方と監督に任せる。何かあったら社まで連絡を。案外ブリュッケも、すぐ戻ってくるかもしれん」
「あいよ。おい監督、俺らは昨日のAR型をもう一度弄ってみる」
「あ、だったら俺も手伝――」
「馬鹿野郎、今日はもう帰っていいから、お前は家にある試合映像、あれいくつか適当に観て勉強しておけ。な?」
「お疲れッス監督。勉強頑張って下さい、俺みたいな馬鹿にはとても出来ないッスから」
「頑張ってね監督さん。こっちは私達に任せて、お勉強に集中して下さ~い」
瞬く間に外された代理の二字と引き換えに、重いプレッシャーを押し付けられたユーリは、一言も反論出来ないまま半ば追い出されるようにドックを後にするのだった。