最終話「アリス、逃げ出した後」
早くも平和維持軍に出くわしたかと身構えるも、現れた男達はどうやらただの観光客のようだ。よくよく辺りを見てみれば、この裏通りはどこかいかがわしいBARばかり並んでいる。
「よぉ姉ちゃん、こんな時間から一人で何やってんだい?」
「暇なら俺達に付き合えよ。姉ちゃんみたいなべっぴんなら、何杯だって奢ってやるぜ?」
赤ら顔をにやつかせ、いやらしく絡んでこようとする男達に、露骨に顔をしかめるアリス。
過度なアルコール飲料は禁止されている筈だが、アトール島のように良くも悪くも人が集まる環境では、アングラな店の一件や二件、あってもおかしくないという事か。
幸か不幸か男達は、アリスを人間だと勘違いしているようなので、下手に出てくれている内に、さっさと逃げ出した方がいいだろう。
「お構いなく。放っておいて頂戴」
「ちっ、んだよ。いけすかねぇアマだぜ」
「そんな生意気な態度取ってちゃ男が寄り付かねーぞ?」
酔っ払いの言葉にユーリを思い起こしてしまい、あしらうつもりがついつい挑発に乗ってしまうアリス。
「うっさいわね! あたしが誰といようと、あんた達には関係ないでしょ!」
「あぁん?! っとに生意気な女だな……ん、待てよ? 生意気、生意気……そうだ思い出した! この間フットドールの試合で見たぞ! こいつ、生意気アリスってAESだ!」
「AES? こいつが? へぇ~、たまげたなぁ。本当にこの島じゃそこら辺に機械がうろついてやがるんだな」
「俺、生でAES見んの初めてだ。いや~実に柔らかそうだ。壊さなきゃちょっとくらい触ったって、きっと後でどうとでもなるよな?」
「な、なによ……近づかないで。大声出すわよ」
「出したきゃ出せよ。まぁ人間様ならともかく、機械がいくらわめいたって、だぁ~れも助けちゃくれねぇだろうがな!」
男達の言い分は恐らく正しい。ここが仮にもっと人目につく場所であったとしても、アリスが機械だと分かればきっと誰も助けてなどくれないだろう。無論持ち主がいれば話は別なのだが、生憎今アリスの持ち主であるユーリはどこにいるか分からないし、最悪な事に助けを呼ぼうにも依然としてネットワークには繋げられない。
勿論AESの力なら、男といっても人間程度相手にもならないが、それはあくまで試合会場(DC)の中の話で、幾重にもかけられたリミッターが働く外では、人間に危害を加えられる程の力は発揮出来ないし、そもそもAESの基本プロトコルには、自身に深刻な危害が加えられないかぎり、人間に逆らってはいけないというものがある。
この酔っ払い達がそれを知ってか知らずかは分からないが、こうやって精々ベタベタと触ってくる程度では、アリスは反撃する事が出来ないのだ。
「いや! 離して! 触らないでよ!!」
「おいおいおい、機械の分際で人間様に逆らってんじゃねぇよ」
「大体、お前が生意気な態度ばっか取ってるのが悪いんだぜ? 俺らはお前の持ち主の代わりに、躾けってもんを教えてやってんじゃねーか」
下卑た笑みを浮かべる男達に両手を握られ、アリスは為す術もなくどこかへ連れていかれてしまう。
まさかこのまま持ち去られたりはしないだろうと、アリスは必死に自分に言い聞かせるものの、もし万が一、この男達が違法業者と知り合いだったら? 登録を抹消され、島外に誘拐されるAESがいるという噂が本当だったら? 恐怖と焦りが電脳をバグで埋め尽くし、満足に悲鳴を上げる事さえ出来ない。
このままユーリと二度と会えなくなるのでは、このままイチと喧嘩別れしてしまうのではと、アリスは涙を流せない瞳をパニックで滲ませていると……突如男達の行く手を遮らんと、赤い烈風が巻き起こる。そのどこか見慣れた色彩に、アリスは精一杯声を震わせた。
「助けて! お姉様!」
「お姉様じゃない。でも、分かった」
「な、なんだお前……さてはお前もAESだな?」
「こっちの機械と違って貧相な身体だぜ。お前はいらねーから、とっとと失せな」
「それともまさか、お前も人間様に逆らおうってのか? そんな事したら、お前等はスクラップ、持ち主も平和維持軍に捕まっちまうだろうな」
ゲラゲラと居丈高に笑う男達。しかしイチは目を瞑っている所為か、いや……たとえイチの眼球が正常だったとしても、イチはきっと同じように平然と近づいてきただろう。何故ならイチは、最初から男達の言動など意に介していなかったのだから。
「お、おい……なに近づいてきてんだ。来るな! それ以上近づくんじゃねぇ!」
「このポンコツ、さっさと止まりやがれ! この女モドキがどうなってもいいのか!?」
「お前達の、言ってる事、分からない」
「ふざけんじゃねぇぞ! 俺らが一声かけたら、すぐに平和維持軍が――」
「やっぱり、分からない。ねぇ教えて? 死体が、どうやって喋るの?」
ハッタリだ。DCの外では、イチだって見た目相応の女の子でしかない。大の大人をどうこうする力など、発揮出来ないに決まっている。それなのに……、
――でも、それならどうやって一瞬でここまで辿り着いたの?
眼を閉じている筈なのに、透明色の殺意を確かに光らせ、静かにゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくるイチ。そんなイチに、男達も理屈では語り切れない本能的な恐怖を感じたのか、気付いた時は酔いも醒め切った男達は、皆一目散に逃げ出してしまっていた。
「あ、行っちゃった。答え、まだ、聞いてないのに」
もしかしたら……チーム・ハーベストのAES達も、こんな気分だったのだろうか。
直接殺意を向けられた訳でもないのに、解放され一機立ち竦むアリスは、感謝よりも先にふとそんな事を考えてしまう。
「十三番、怪我、ない?」
「え? あ、えぇ……その、ありがとう。助かったわ。でも、なんでここが分かったの? それにあんた、リミッターはどうしたの?」
「おおよその方角は、司令官が、分析してくれた。後は、虱潰し。リミッターって、なに? そんなもの、私、ないよ」
「なによそれ……あんたリミッターも故障してるとか、そんなに色々と足りてないのに、どうして全然平気なのよ」
「うん。私、何もない。でも……そのおかげで、司令官と、出会えた。ついでに十三番と、白いのとも」
あまりにもイチがあっけらかんと言い放つものだから、アリスも最早呆れを通り越し、溜息すら出てこなかった。
――ほんと気楽な奴……でも、あたしもそうなのかもしれないわね。
アリスは事故で、最愛の姉が褒めてくれた青い瞳を片方失った。結果的に青い瞳は戻ってこなかったが、修理の際に揉めたのがきっかけに、当時修理を担当したユーリとの縁が出来た。
そして先日の取引で、アリスは最愛の姉そのものを失った。やはり姉は二度と戻ってこなかったし、代わりというには些か以上に難ではあるが、この珍妙なAESがチームメイトとなった。
「十三番、その……大事な話。構わない?」
「ん? なによ急に、改まって」
「服、ごめんなさい。司令官に聞いた。駆動を確保する為、兵装を破るの、よくないって」
「は? ……あんたもしかして、本当に服が干渉してたの?」
「最初から、そう申告した。聞いてないのは、十三番の方」
言われてみれば確かに部屋でそう言っていたし、今にして思えば服を着てからのイチの動きは、出来るだけ関節を動かさないようにしているのが、たまたまもじもじしているように見えていただけだったかもしれない。
「……十三番? もう、怒って、ない?」
「はぁ、もういいわ。服の件は忘れなさい。なんかほんと、一人で勝手にピリピリしてたのが馬鹿らしくなってくるわ」
「どういう事? 分からない」
「だから、あたしも悪かったって言ってんのよ。ほら、仲直りしたんだから、さっさと戻りましょ。ユーリ達、今どこにいるの?」
「……? 喧嘩、した覚え、ない。そんな事より、いい加減、ネットワークに接続すべき。それで、司令官の場所、分かる筈」
きょとんと首を傾げるイチに、アリスは握った拳を振り抜きたくなるものの、グッと堪えて震える拳を解くと、言われるがままネットワークに再接続するのだった。
「ネットもネットでいつの間にか復旧してるし。はぁ……まったく。なんなのよもう。やってられないわ」
東洋の言葉に、雨降って地固まるというのもある。失敗ばかりのアリスだが、この言葉なら、ちょっとは好きになれるかもしれない。




