第二話「映らぬ瞳」
「遅いぞユーリ! すぐに帰ってこいとメールした筈だろう!」
「すみませんブリュッケさん。ちょっと帰りに気になる事があって」
ローゼンヴァルト社の社内ドッグに帰ってくるなり、ユーリとアリスを出迎えたのは、チーム・アイゼンブルームの監督を務めるブリュッケの怒号だった。
「まぁまぁブリュッケさん、ちゃんとアリスちゃんの外出許可時間内に帰ってきたんだから、別にそこまで怒んなくたっていいじゃないスか。俺もこの間の出向でしょっちゅう遅刻してたけど、そんな怒られなかったッスよ?」
「ライオットは黙っていろ。時間厳守など働く上で当然の事だ。そもそも私は、不必要に社の財産であるAESを連れ回すのが――」
「よぉブリュッケ、ユーリも帰ってきたんだしよ、そろそろ始めさせて貰っていいか? さっさと起動まで済ませねぇと、ボスがまた不機嫌になっちまうぜ? 時間厳守は当然なんだろ?」
棺桶のような運搬デバイスに頬杖をつき、初老の男が濃いサングラスをかけても尚隠しきれない強面で、ブリュッケを睨みつける。
一介の整備班長に過ぎないアーベインは、立場上はブリュッケの部下に当たるのだが、有無を言わさぬ口調とプレッシャーの前に、ブリュッケは何か言いたそうな顔で息を呑むものの、それ以上追及してこようとはしなかった。
「ふん。いいだろう。十三号、いつまでここにいるつもりだ、さっさと部屋に戻れ」
「……分かってるわよ」
苛立つブリュッケに促され、アリスもまた不満気な顔でドッグを後にする。アリスが名前ではなく型式番号と呼ばれるのが嫌いなのは周知の事実だし、ユーリもこれまで何度かやんわりとブリュッケに指摘してきたのだが、一向に改善の兆しは見られない。
仕方がないので後でフォローしておこうと、ユーリはまだアリスの感触が残る手でゴーグルデバイスを着用し直すと、自分の工具を持ち出しアーベインの傍に着くのだった。
「親父、さっきは助かったよ」
「馬鹿野郎、いいからさっさと準備しろ。いいか、本格的な整備は明日シズカが来てからだ。今日はとりあえず起動させて、どこの具合が悪いかリストアップだけ済ませんぞ」
「りょーかいッスおやっさん。そんじゃま、早速眠り姫とご対面ってね……お、すげぇ! これAR‐39 δ/Vじゃないスか! あの“エア”と同型機なんて、ブリュッケさんよく手に入れられましたね?」
「当然だ。主力商品だった七号を、私が無策で売り払う訳ないだろう。もっとも、まさか手放してから最初の試合で、大破するとは思わなかったがね」
得意気に高笑いするブリュッケを極力見ないようにしながら、ユーリは運搬デバイスに寝かされた旧型機に手を差し伸べる。
タイプARはチーム・レッドアイズ擁するスカイネット社製のAESだ。型落ち機とはいえ、連敗続きのアイゼンブルームにとって強豪チームの使っていたこの機体は、これまでチームを支えてくれていたアリスの姉を手放してでも、確かに充分価値があるかもしれない。
眠り続ける少女の腹部を開き、起動作業に入るユーリの脳裏に、敬愛していた姉妹機をまさしく捨て駒の如く使い潰され、それでも悲しそうに試合を見続けていたアリスの横顔が浮かぶ。
――アリス、この子と一緒に戦うの嫌がるだろうなぁ……でもこの子はなにも悪くないんだし、上手くやっていけるように、後でメリルさんに相談してみようか……あれ?
「なぁ親父……これってもしかして」
「気付いたか。まぁそういうこったろうな」
不安そうにアーベインと目配せし合うユーリを見て、浮かれていたブリュッケは水を差されたように顔をしかめる。
「どうしたお前達、まだ起動出来ないのか? このタイプARさえあれば、次の試合どころか当分負ける心配など――」
「ブリュッケさん、貴方がスカイネット社とどんな取引したかは知りませんが……この子、もう死んでます」
「うっそまじスか? どれどれ……あーはいはい、なるほどね。ブリュッケさ~ん、こりゃもうダメッスわ。やられちゃいましたね」
「どういう事だ? 故障機体とは聞いていたが……アーベインなら直せるのだろう?」
「ブリュッケ、いくら俺でもこりゃもう無理だ。潰れた右眼や右脚の交換くらいならどうとでもなるが、こいつぁとっくにOSがイカレちまってる。いくらボディを直したところで、もうこいつは動かねぇよ」
整備士ではないブリュッケには事態がうまく飲み込めないようだが、流石にこの道何十年のアーベインが匙を投げたという事実は理解出来たようで、皺の刻まれた中年肌に、見る見るうちに脂汗が滲み始めた。
「そんな、だって……え? だって奴らが、特別に格安で譲ってくれると……」
「いつだったか出向した会社で聞いた事あるんスが、それスカイネット社のよくやる手らしいスよ。せめて俺らの内誰か、取引に連れてってくれればよかったんスけどね~。そしたらアリスちゃんのおねーさんだって、格上の試合に出てぶっ壊される事もなかったろーに」
「よせライオット。今更言ったところで仕方ねぇだろ。ブリュッケ、てめぇは今すぐこの事をボスに報告してこい。事が事だ。ボスの指示を仰がなきゃ話が始まらねぇぞ」
「あ、あぁ……そうだな、うん……私も今、そうしようと……」
フラフラとドッグを去っていくブリュッケ、その間もユーリは何か出来ないかと機体の各部をチェックしてみるも、結局極一部のパーツなら流用可能という事が分かっただけだった。
「どうすんだ親父? ちゃんと三体揃えないと、出場も出来ないぞ?」
「しょ~じきそろそろ、ブリュッケさんが監督は厳しくないスかねぇ? オーナーも頑張ってはいるけど、会社の方も色々ヤバそうですし……」
「馬鹿野郎。余計な気を回してる暇なんかねぇぞ……ライオット、顔の広いお前なら、どこか機体を貸してくれる企業はねぇのか?」
「いやぁ~、流石にAES丸々貸してくれるとこなんて……一応探してみるッス」
ライオットは困ったような顔で自慢のリーゼントヘアーを整え直すと、ブリュッケに続き悲壮感漂うドッグを後にする。これ以上の整備は不可能だと、ゴーグルデバイスを外したユーリもまた指示を仰ぐ為父に近づくと、アーベインは懐から取り出した電子煙管を咥え、アリスの去っていったハンガーへの扉にかぶりを振る。
「ユーリ、俺も昔の馴染みを当たってみるから、AES達への説明はお前に任せる」
「分かった、やっておくよ。ところで親父、話は変わるんだけどさ……さっき一瞬だけネットワークが切断されなかったか? 大体一時間くらい前だったと思うんだけど」
「一時間前だぁ? 何も起きちゃいねぇ筈だ。大体お前、島のネットワークにどうこうしようなんて、どの企業にもそりゃ無理ってもんだ。やれるとしたら平和維持軍の連中だろうが、いくら奴らでも企業になんの通達もしないで、そんな事出来る訳がねぇ」
「そうだよな。うん……やっぱ俺の勘違いか。なんでもない、忘れてくれ」
機械による平和が実現してから数百年、戦争がなくなり軍隊が必要なくなった今の世の中で、日に日に発言権を失っていっている平和維持軍は、世界を牛耳る大企業の言いなりになる事で、形骸化しながらもかろうじてその存在を保っているらしい。
ユーリ達の住むここアトール島は、そんな大企業を始めとした世界中の企業連が、各種AES競技に勤しむ為作られたという背景を持っている為、世界でもっとも軍の影響力が弱い地域といっても過言ではない。
そんなアトール島で、形式上島の治安を守っているとはいえ、平和維持軍が企業に断りもなしに、島民の生活の根底を為すネットワークに干渉するなど、確かに荒唐無稽な話である。
――やっぱ旧型デバイスじゃ、色々と限界なのかなぁ……この子同様、古い物なんてどんどん淘汰されていくのが世の常ってか。
ユーリは決して起きない少女に今一度視線を送ると、どこか寂しげにその棺を閉じ、ハンガーへ向かうのだった。