第二話「交わりかける、視線」
結論から言ってしまえば、AESにとって人工皮膚とは、どうしても必要なもの……という訳では実はない。
AESも遠い昔の戦争から改良を重ねられ既に第五世代、旧世界のロボットのようにコードが露出している訳でもなければ、ちょっとくらいの埃や水など入らないよう作られているのだ。
いくらイチが出所の不確かな上に製造途中で放棄されたといっても、同じ第五世代である以上、どうしても人工皮膚を付けなければならない事情などない……ないのだが、やはり単純に裸同然の格好で出歩かせては、一緒にいるこちらが恥ずかしいので、付けるに越した事はない。その程度の話だ。
「ま、中にはあんたみたいな剥き出しの方がいいっていう、マニアックなお客さんもいるんだけどね」
「……? なんの話? 分からない」
「なんでもないわ、こっちの話よ。えーっと……あんたに似合う服似合う服っと」
怪訝な顔でこちらを見つめるイチを放置し、アリスは自室のクローゼットから適当な服を見繕う。勿論PR用の服などではない。これからイチに人工皮膚を付けにいくに当たり、まず外出する為に適当な服をと選んでいるのだ。
「先程も言ったが、私はなんでもいい。好みなどないから、早く選んで欲しい」
「そりゃあんたは目が視えないからなんでもいいんでしょうけど、真っ裸同然のあんたと買い物行かなきゃいけない、こっちの身にもなれって話よ……うん、これならあんたの黒髪とも合うわかしらね」
「……もう、待つ必要、ない?」
「何言ってんの。上が決まったら今度は下よ。ノーパンで出歩くつもり?」
呆れたようにアリスが訊ねると、イチはどこか拗ねたような表情で、再びアリスの部屋に立ち竦む。
こうして見ると、まるで親の買い物に嫌々付き合されている子供のようだが、何を考えているか分からないいつもの仏頂面よりは、いくらか愛嬌がある気がした。
「フフフ。なんだか昔を思い出すわ。お姉様に服を選んで貰ってる時、もしかしたらあたしもそんな顔してたのかしらね」
「そんな事言われても、今自分がどんな顔か、私には分からない」
「……はぁ。はーいはい、あんたに聞いたあたしが馬鹿だったわよっと。うーん、そうね。上が黒なら下は赤なんてどうかしら。はい、いいわよ。ちょっと着てみなさいよ」
「……着る方法が、分からない」
「はぁ? 全く、これだからポンコツは……ったく、じっとしてなさい。着せてあげるから」
アリスがやれやれと呟きながら近づくと、イチは存外素直に言う事を聞き、アリスに言われるがまま服を着始めた。
服を着せていく中で、アリスはそういえばイチにこれだけ近づくのは初めてだと気付く。
初めて会った時から何かと気に食わなかった。思わず殴りかかった事もあったが、この黒い少女はひらりひらりと風のように躱し、文字通り指一本触れた事さえこれまでなかった。
――……へぇ。こいつ、あたしよりちょっと大きいんだ。
まさに着せ替え人形のように黙々と服を着ていくイチは、アリスよりほんの僅かに背丈が勝っている。先程はイチに昔の自分を重ねたが、そういえば最も敬愛していた七番目の姉も、たしかこれくらいの背丈ではなかっただろうか?
――って、あたしったら何こいつとお姉様をダブらせてんのよ。お姉様はこんな奴と違って、強く賢く美しく……それにとっても優しかったわ。そりゃあまぁ……こいつもちょっとは強いみたいだけど。
今は亡き姉の面影を思い出し、アリスの電脳に悲しみのバグが走る。
ローゼンヴァルト社の主力商品アリスシリーズは、改造再設計を繰り返す度に至高の少女の名を脈々と受け継ぐ事で、長きに渡りアイゼンブルームを支え続けてきた。
しかし、ほんの数年前までと共に戦っていた美しく気高い姉妹機達は、今では十三番目のアリスを残し皆逝ってしまった。
最も仲が良かった七番目の姉は、いつだって宝石のように赤い瞳でアリスに優しく微笑みかけてくれていた。しかし、彼女がよく褒めてくれた青い瞳が片方消失してしまったように、あの優しかった姉ももういないのだ。
何もかもを失ったアリスだが、それでもアリスはAESだ。AESは戦い続けなければならない。アリスの名を継いだ以上、いなくなった姉達の分まで、アリスは戦わなければならないのだ。
――なんだか重いな。どうしてあたし、こんな……、
「十三番、まだ、終わらない?」
「え? あぁ……もういいわよ」
いつの間に姉との記録に没頭していたのか、アリスは自分がイチの顔に手を添えたまま、ずっとフリーズしてしまっていた事に気付く。
添えていた手を離すと、イチは露骨にぎこちない動きで全身の駆動を確認し始める。
アリスが選んだ服は、上はイチの黒髪とよく合った黒いワンピースに、下は七番目の姉ズィーベンの瞳をどこか思い出す赤いタイツ、そして真っ白な素体の肌を少しでも隠す為、ワンピースと合わせた黒いオペラグローブとハイヒールを選んでみた。
「ふぅん、よく似合ってるじゃない。ま、あたしがコーディネートしたんだから当然だけど」
「……機動性、低下している。これ、着たくない」
「はぁ? あんたがいくらポンコツだからって、服着たくらいで機動性が下がる訳ないでしょ」
「そんな事、ない。関節部に、布が、挟まる……気がする」
「はっはーん。あんたさては、人工皮膚付けるからってそんな事気にしてるのね。心配いらないわよ。大方いっつもあんな格好してるから、なんだか慣れないってだけ。ほら、さっさと行くわよ」
自らのセンスに充分満足したアリスは、窮屈そうに顔をしかめるイチを半ば引き摺るように連れ、ユーリ達を待たせている社の正面広場へと向かうのだった。




