第十四話「アリスとイチ」
ユーリ達がバンカーへ来ると、こちらでも心配そうなメリルの出迎えがあったが、メリルはユーリが小さな包みを持っている事に気付くと、黙って自分の部屋へと戻っていった。
「アリス、ちょっといいかな?」
「……そいつをクビにしないなら、明日の試合には出ないって言ったわよね? 言っておくけど、あたしは別に試合なんてどうでもいいんだから」
ユーリがドアをノックすると、僅かに開かれた隙間から、チェーンと共に不機嫌そうに細められたアリスの青い瞳が現れる。
「うん、試合の事は一旦置いておいて、今日はアリスに渡したい物があって来たんだ」
「……渡したい物?」
更に広がったドアの隙間から、アリスに見えるよう小包を見せびらかすと、ドアは怪訝そうに一度ゆっくりと閉じ、再び開いた時にはチェーンが外れ、ユーリは数日ぶりにアリスの不機嫌そうな顔を目の当たりにした。
「はいこれ、開けてみてくれないか?」
「なによ、つまんない物だったら承知しな――これ、お姉様の……どういうつもり?」
「直してみたんだ。アリスに、受け取って欲しくて」
「あたし、捨てておいてって言ったわよね? お姉様の顔なんて……もう、見たくもないわ。可哀想なお姉様。散々利用されて壊されて、挙句それが無駄だったなんて……」
邪険に扱いつつも、新品同様に復元された人形を、アリスはやがて裏表からしげしげと眺め始める。
アリスが驚くのも無理はない。なにせズィーベンの人形が作られた時と今では、ローゼンヴァルト社の状況は様変わりしている。当時は何台もあったきめ細かな塗装を施せる機械も全て売り払い、残った最低限の設備程度では、ここまで完璧に復元出来る筈がないのだから。
「……それにしても、よくこんな綺麗に直せたわね、まるで元通りだわ……ユーリが直してくれたの? 大変だったんじゃ――」
「司令官だけじゃない。私も手伝った」
「……は? なにそれ、どうしてあんたが、お姉様の人形に触ってんのよ」
「触っただけじゃない。司令官からデータを貰い、私が塗装した」
「アリス、イチが手伝ってくれたから――」
「ユーリは黙ってて! あんたが直した人形なんて……こんなもの!」
ユーリが止める間もなく、人形を握りしめたアリスの手は振りかざされ、放られた人形は弧を描き壁に激突……する事なく、アリスの手を離れた途端消えた人形は、ユーリが気付いた時にはイチの手に握られていた。
「ちょっと! 何すんのよ!」
「これは大事な物と聞いた。大事な物を易々と放棄するのは……よくない」
「持ち主のあたしがいらないって言ってんの! 返しなさいよ!!」
「直した身としては、そう簡単に壊されるのは、容認出来ない」
掴み掛かろうとするアリスの手を、紙一重で躱し続けるイチ。眼球がなくても、それを補って余りあるだけの高感度センサーを搭載しているイチにとって、至近距離でアリスの攻撃を躱す事など、まさに目をつぶっていても容易いのだろう。
「アリス、ズィーベンの事は残念だったけど……今この人形を捨てちゃったら、ズィーベンとの思い出まで捨てる事になるんじゃないかな? あんなにズィーベンの事を慕ってたのに、それじゃあ寂し過ぎると思うんだ」
「それは……! でも、あたし……辛いの。お姉様の最期、バラバラに飛び散るお姉様を思い出すのが、とっても辛いの……もう、思い出したくない……」
アリスはイチの手に握られた、自分とよく似た顔の人形を見つめると、険しい顔で俯く。
機械は人間と違い、都合よく忘れる事が出来ない。意図的にメモリーを消す事なら可能だが、部分的な削除はメモリーに矛盾を生み負担を掛けてしまうので、アリスがズィーベンの最期を忘れるには、それ以外の全てのメモリーも消す必要がある。
「本当か? 本当に、全部忘れちゃってもいいのかい? 最期があんなでも、それに負けないくらい、楽しかった思い出も沢山ある筈だろ? それも全部、なかった事にしちゃうのか?」
「そんなの嫌! 嫌だけど……」
「メモリーを消すのは簡単だ。人形を捨てるのと同じくらいね。でもどうせなら、もうちょっと悩んでからでも遅くないんじゃないかな? もうちょっと悩んでみて、それでもどうしても忘れたかったら、その時は俺が協力するからさ、もう一度だけ、受け取ってくれないか?」
「私からしてみれば、自分からメモリーを放棄するなんて、勿体ない事だと、思う」
基本的に受動的なイチが、珍しく自分から語り掛けた事にユーリが驚いていると、ズィーベンの人形を握りしめたイチは、指先でその存在を確かめながら、ポツポツと語り始めた。
「私はこの七号機について、データでしか知らないが、彼女は尊敬に値する戦士、だと思う」
「そうよ! お姉様はずっとチームを支えてくれた名選手だったの! それが――」
「そんな彼女を、忘れてしまうのは……忍びない事だと、思う」
指摘され言葉を詰まらせたアリスは、イチに渡されるまま人形を受け取り、複雑な表情で人形の頬に指を添わせ……、




