第九話「交わらない、手と手」
「着いたよ。ここがローゼンヴァルト社のアトール島支部だ。そこそこ大きな会社だろ? ……って、イチには見えないか」
「問題ない。マップデータは、既にインストール済」
「いや、そういう意味じゃ……まぁいっか。まずはドックに行こう。親父達に紹介するよ」
「この建物には、入らない?」
瞼を閉じたまま、正面に構える八階建てのビルを指差すイチを見て、クスリと微笑むユーリ。
「そっちは支社ビル、俺達整備士は特に用はないよ」
「整備士? 司令官じゃ、ないの?」
「あー……えーっと、それには色々と深い事情……いや、別に深くもないか。とにかく、用があるのはこっちの――」
「あれ、ユーリあんた、今日はもう帰ったって……ちょっと、その子なんなの?」
「アリスちゃん、いきなりそんな口きいちゃダメだと思うよ? ユーちゃん、紹介してくれるよね? 新しく来る筈だったAESは、確か故障品だったんじゃなかったかしら?」
イチの手を引きドックへ向かおうとしていたユーリと出くわしたのは、昨夜から泣き腫らしたままのオッドアイで不機嫌そうに睨んでくるアリスに、チーム・アイゼンブルームのベテランAESであるメリルだった。太縁眼鏡の奥にあるメリルの黄色い瞳は、眠たそうな半開きながらも、イチの一部始終を抜け目なく観察してくる。
「えーっと、この子はイチ。昨日話した機体の代わりに、新しくアイゼンブルームに入って貰ったんだ。イチ、こっちのオッドアイの機体がアリス、そっちの眼鏡の機体がメリルさん。二人とも君のチームメイトだよ」
「紹介は必要ない。さっき司令官がくれたデータに、二人の事も載っていた」
「あんたに必要なくても、あたし達はあんたが誰か知らないって言ってんのよ」
「まぁまぁアリスちゃん。とにかく、これから宜しくねイチちゃん。分からない事があったら、私達になんでも聞いて頂戴ね」
アリスを宥めつつ差し伸べられたメリルの手を、イチは困惑するように閉じた瞼で見つめる。
「ちょっとあんた! 握手の一つも出来ないの? メリルさんに失礼じゃない。なによ、そんな変な格好しちゃって――」
「アリスタンマ……イチ、もしかしてセンサーの調子が悪いのか?」
「そういう訳ではない。ただ……行動の意図が分からない。これは、なんの為にするの?」
「はぁ? 握手は握手よ。同じチーム同士、これから仲良くしましょっていう挨拶じゃない」
「挨拶? ……そんなもの、AESに必要、ない」
その答えに、我慢の限界とイチの胸倉を掴もうとするアリス。しかしそれまで空のまま差し伸べられていたメリルの手に腕を握られ、心底不快そうにイチを睨みつけた。
「アリスちゃん、チームメイト同士乱暴はダメよ?」
「でもメリルさん! ……あんた、本当にAESなの? 今時自動販売機だって、もう少し愛想良く喋るわよ」
「質問の意味が分からない。私はAES……貴女こそ、本当にAES?」
「意味分かんないのはあんたの方だっつーの! 大体――」
「落ち着けってアリス、イチはOSが故障しているんだ。メモリーにも不備があるみたいで、色々と分からない事だらけなんだよ。だから許してあげてくれないかな? 頼むよ」
尚も掴み掛かろうとし、メリルに羽交い絞めにされるアリスだが、ユーリが申し訳なさそうに頼み込むと、ワナワナと瞳を震わせながらもプイッとそっぽを向く。
「ふんっ! もういいわ」
「あ、アリスちゃん。演習場に行くんじゃなかっ――」
「知らない知らない! あたしがいなくなって、ユーリにはそいつがいればいいんでしょ」
アリスはメリルの手を振り解くと、肩を怒らせ一人ハンガーへと戻ってしまった。アリスの癇癪にはお互い慣れているものの、メリルは溜息をつくと窘めるようにユーリを見つめる。
「これは内緒にしておいてあげて欲しいんだけど……アリスちゃん、ユーちゃんが新しい監督になったって聞いて、少しでも練習しておいた方がいいんじゃないかって」
「……すみません。後で俺からも謝っておくんで、メリルさんお願いしていいですか?」
「しょうがないわね。それじゃあ、またねイチちゃん。次はもう少し、お行儀を勉強しておいた方がいいと思うわよ?」
メリルは黒い太縁眼鏡をクイっと掛け直すと、アリスの後を追い戻っていった。尻尾のように揺れるメリルの白いおさげを見送りながら、改めて溜息をつくユーリ。
「あーあ、ファーストコンタクトは大失敗だったな。なぁイチ、どうしてそんなにアリスに喧嘩を売るんだ?」
「そんなつもりはない。私は事実を言っただけ。AESは兵器、仲良くする必要なんて、ない」
「んー……例えばだけどさ、自分がもう限界だーってくらい追い詰められてる時にさ、目の前で仲間も困ってるとするだろ? その時その仲間が大事だったら、自分も限界だけど、あと少し頑張らなきゃってならないか?」
「私にはそんな経験、ない」
イチにバッサリと切り捨てられ、困ったユーリはガクンと頭を下げる。メモリーがない影響もあるのだろうが、いくらAESが他のアンドロイドよりも感情豊かと言っても、やはり人間にしか共感出来ない部分もあるという事か。しかし……、
「でも……司令官がそう言うなら、善処する。保証はしないけど」
「イチ……そうか、そう言ってくれると、俺も助かるよ。特にアリスは、そういうの気にする子だからさ」
「把握した。それよりも、あの屋内演習場、AESが使うには、圧倒的に、広さが足りない。司令官には、早急な改善を要求する」
眼が見えなくても、渡したマップデータと自前のセンサーをフル活用し、演習場となっている小屋を正確に指差すイチを見て、感心すると同時に、微笑ましくなってくるユーリ。
「あぁ、中にあるのはディメンショナルコートへの転送装置だけだからね。あー……つまりだね、試合会場は別空間にあるんだよ。360°ジェルシールドに覆われてるから、AESがどれだけ暴れ回っても、外で観てる人達に危険はないんだ。その辺も覚えてないかな?」
「……記憶にない」
およそ百年前、AES競技の活性化と共に開発されたというDCは、今やフットドールに限らずあらゆるAES競技の要とも言えるシステムであり、全てのAESに開発段階で基本情報としてインプットされている筈なので、それを覚えていないという事は、やはりイチのメモリーには相当深刻なダメージが刻まれているのだろう。
「まぁ細かいルールも含めて、その辺は今から纏めてデータを送るから、覚えてなくても心配はないよ。じゃあドックに行こうか。親父達を待たせてるし」
黙って頷くイチを連れ、ユーリは支社ビルの裏、ハンガーと併設されているドックへと向かう。並んだ白い肩は、記憶がない事への不安からか、見た目よりも小さく感じられ、イチ本人は平然としているものの、ユーリは必ず約束を果たさねばと、改めて誓うのだった。




