6章
お母さんたちが寝静まったのを確認して、私と健ちゃんは家を抜け出した。部屋を出る時に時計を確認すると、午前一時を少し過ぎた頃だった。もちろん私も健ちゃんも、今までこんな時間に外に出たことはなく、はじめての体験だった。
昼間とは違い、深夜の町はしーんと静かだった。いつも見慣れている場所のはずなのに、その雰囲気はまるで別物で、この辺りの家には一人も人が住んで居ないのではないかと思ってしまうほど静かだった。
遠くで犬が吠える声が聞こえて、私たちは妙な緊張感を感じた。
「よ、よし、行こう」
リュックから取り出した懐中電灯を点けて健ちゃんが言った。
私は小さくうなずいて返事をし、それから二人とも裏山を目指して歩きはじめた。
学校の裏山は、私の家から歩いて二十分ほどの距離にある。はじめはいつもと違う雰囲気に緊張していた私たちも、歩いているうちに少しづつ夜道にも慣れてきた。
道の真ん中を歩いていると、たまに車が通ったりして、私たちは見つからないように慌てて電柱の影に隠れた。
「なんか俺たち、泥棒みたいじゃないか?」
健ちゃんが楽しそうに笑いながら言った。
「もー、言っておくけど遊びじゃないんだからね」
私がそう言うと、健ちゃんは手の平を上に向けて外国人のように肩をすくめてみせた。私はほんのちょっとだけいらっとした。
そうこうしている間に私たちは裏山に到着した。さらに裏山の周りを移動して、山の中へと続く入り口に向かう。
しかし、山の入り口まで来ると思わず足が止まってしまった。
そこは他の場所と違って道が開けているのだけど、覆い茂った木々がその上空を塞ぎ、中は塗りつぶしたように真っ暗で、二、三メートル先からはまったく何も見えない。私たちの目にはまるで、違う世界へと続く大きな入り口のように見えた。
「………」
私たちはお互いに黙ったまま顔を見合わせた。
「どうする……?」
健ちゃんがつばを飲み込んで言った。
「ど、どうするって……ここまで来たらもう行くしかないよ。祥子ちゃんの為だもん……」
「そ、そうだよな……よし、じゃあ行くんださきっ! 後ろの守りは俺に任せろ」
「え、ちょっと、前は怖いよ、健ちゃんが先に行ってよ」
「ええっ、俺だって怖いよ」
「健ちゃんは男の子でしょっ、女の子を盾にする気でございますか?」
「何で急に敬語なんだよ。んん……わ、分かったよ。しょうがねぇなぁ」
そう言って健ちゃんは先頭になることを嫌々承諾し、左手に懐中電灯を、そして右手に拾った木の枝を持って恐る恐る暗闇の中へと進んだ。
「おい、さきも早く来いよ。一人じゃ余計怖いじゃんか」
暗闇の中から健ちゃんがそう言った。まだ入り口からちょっとしか離れていないのに、懐中電灯の光以外、ほとんど見えない。私は健ちゃんに近づこうとして、一歩足を踏み出した。
とその瞬間――背後に誰かの気配を感じた。
「――この山に入るな」
その低くかすれた声は私のすぐ後ろから聞こえた。
とっさに振り向くと、本当にすぐそこ、1メートルも離れていない距離に髭を生やした大きな男が立っていた。
その姿を捉えた瞬間、私は目を大きく見開いた。体全体が何かに感電したように激しく震えて硬直し、一瞬息が止まった。そして声にならない悲鳴をあげて、私はその場から逃げ出した。
――山ジジイだ。本物だ。どうしよう、殺されちゃう。怖い。助けて。助けて――
パニックになりながら泣きそうになるのをこらえて私は必死に走った。しばらくの間、自分のふき出る汗にも乱れた呼吸にも気が付かないほど無我夢中で走り続けた。
どれだけ走っただろうか、体力も尽きかけた頃、私は見覚えのある公園の側に居た。いつもみんなで遊んでいる公園。私はほとんど無意識に公園の中に入り、端の方に設置されているトイレの裏側に身を隠した。
私はトイレの外壁に背中を預けて座り込み、呼吸を整えた。それから神経を尖らせて辺りの様子をうかがう。耳を澄ますと聞こえてくる虫の声が煩わしかった。
辺りに人の気配は感じられない。どうやら無事に山ジジイから逃げられたようだった。
しかし、ほっと一息ついた次の瞬間――私は大変なことに気付いた。トクン……と一回、心臓の音が響き、体中の血の気が引いた。
青ざめている私の側には、健ちゃんの姿がなかった。