4章
「淳お兄ちゃーん! 居ないのー?」
私は大きな声で叫びながら淳お兄ちゃんのアパートのドアをどんどんと叩いた。
淳お兄ちゃんは私の従兄妹で、今年の春に大学に入ってうちの近くで一人暮らしをしている。とても子供好きで、よく私達と遊んでくれたり、いろんなことを教えてくれるいい人だ。ちなみに最近は『催眠術』の不思議さにハマッていて、そういう本やテレビ番組をよく見ているらしい。
私と健ちゃんは、その淳お兄ちゃんに祥子ちゃんのことを相談するつもりでアパートまで来ていた。
「おまえ、ドンドンやんないでピンポン押せよピンポン。というか、これだけ騒いでも出てこないってことは留守なんじゃないか? きっとどっか出掛けてんだよ。近所迷惑になるし、もう帰ろうぜ」
大きなあくびをして涙目になった健ちゃんが私に言った。
「えー、でも寝てるだけかもしれないじゃん」
「それはそれで迷惑なことに変わりないぞ。人の眠りを妨げちゃダメだ。俺も母ちゃんの掃除機で昼寝の邪魔をされたときは、それはそれは……」
「あっ! 淳お兄ちゃん!」
何かしみじみと語りだしていた健ちゃんの肩越しに、淳お兄ちゃんの姿を見つけて私は叫んだ。
私がいきなり目の前で叫んだせいで健ちゃんは目を丸くしてびくっと身体を震わせた。変な顔だけど、驚いた猫みたいでちょっとだけかわいかった。
「あれ、誰かと思ったら、さきちゃんに健ちゃん。僕んちの前でどうしたんだい? 何か用かい?」
淳お兄ちゃんは私達を交互に見ながらそう言った。
「私達、ちょっと淳お兄ちゃんに相談があって来たの」
「相談?」
「うん、でも呼んでも出てこないしどうしようかと思ってたんだ」
「ああ、ごめんね。ちょっと買い物に行ってたんだ。じゃあ立ち話もなんだし、とにかく二人とも中に入りなよ。あ……、今部屋を片付けるから少しここで待ってて」
そう言って淳お兄ちゃんは鍵を開けて一人で部屋の中に入って行った。
五分ほどして、「おまたせ」という声と一緒に再びドアが開いたので、私達も部屋へ入った。
「――それで、相談というのは何だい?」
冷えた麦茶が入ったコップを私達に差し出しながら淳お兄ちゃんが言った。
「うん、あのね、実は祥子ちゃんのこと――」と、私が話を始めたところで、向かい合わせに座った淳お兄ちゃんの背中側にある押し入れの中から何か小さな物音が聞こえたような気がした。私はネズミが出てきたら嫌だな、と少し思ったが、話を続けた。「――なんだけど」
「祥子ちゃんのこと……?」
私が祥子ちゃんの話を始めると、それまでにこやかだった淳お兄ちゃんの顔がちょっとだけ怖くなって、そしてすぐに元に戻った。
「ぷはぁーーっ」
その時突然、健ちゃんが幸せそうな顔をして息を大きく吐き出し、空になったコップをテーブルの上に置いた。コップの底が木製のテーブルに当たってコンッと軽い音が響く。
「ちょっと健ちゃん。麦茶飲むのはいいけど、今話してるんだからもっと静かに飲んでよ」
私は健ちゃんを軽くにらむようにして言った。
「な、なんだよー、んな怒んなくてもいいじゃんか……チェッ」
健ちゃんはちょっといじけたように口を尖らせて横を向いた。
「まあまあ二人ともケンカしないで」淳お兄ちゃんが笑いながら私達をなだめた。「それで、祥子ちゃんのことで相談っていうのは?」
「あ、そうだ。あのね……」
私は淳お兄ちゃんに、山ジジイの怪しい行動、そして自分達が祥子ちゃんの手がかりを探るため、山ジジイに接触したいと考えていることを話した。
淳お兄ちゃんは両手をテーブルの上で組み合わせ、私が話している間、何も言わずに黙ってきいていた。
「それでね、なるべく安全な方法で山ジジイのことを調べられないかなと思って、淳お兄ちゃんに相談しに来たの」
私が一通り話し終えると、淳お兄ちゃんは何も言わずに難しい顔をしていた。
私は姿勢を正して淳お兄ちゃんの返事をじっと待つ。
「さきちゃん……気持ちは分かるけど、それはやめた方がいい」
淳お兄ちゃんは真剣な顔で口を開くと、ゆっくりとした口調でそう言った。
「え、でも……」
「いいかい? それは危険なことなんだ。子供の遊びじゃないんだ。そのことは警察や大人に任せておいた方がいい。子供の出る幕は無い」
反論しようとした私の言葉を制するように淳お兄ちゃんは言った。まるで別人のような厳しい表情に強めの口調。いつもの淳お兄ちゃんとは雰囲気も全く違っていた。
「淳兄ちゃん!」
私がショックで何も言えずにいると、今まで黙っていた健ちゃんが急に叫んで立ち上がった。
「そんな言い方ねぇじゃんか! さきは本当に祥子ちゃんを心配して、自分に出来ることは無いかって一生懸命に考えてるんだぜ? それを子供の遊びって言い方はないだろ!」
健ちゃんは、座っている淳お兄ちゃんに向かってそう言った。
突然で驚いたけど、健ちゃんが私の気持ちを代弁してくれているようで、ちょっと嬉しかった。健ちゃんのクセになかなか侮れない奴だと思った。
「……そ、そうだね。健ちゃんの言う通りだ。厳しい言い方をしてごめんよ」
そう言って、立ち上がった健ちゃんを驚いて見ていた淳お兄ちゃんは、私の方に体を向けて丁寧に頭を下げた。
「まあ、分かってくれればいいよ。なっ? さき」
「えっ? あ、うん」
私が慌てて返事をすると、健ちゃんはまたいつもの健ちゃんらしい顔をして、何事もなかったように座った。
「ありがとう。――でも、君達の考えていることは本当に危険なことなんだよ。それに祥子ちゃんのことが心配なのは分かるけど、山ジジイが祥子ちゃんをさらったという証拠は無いんだ。それなのにわざわざ君達が危険を冒してまで調べることは無いよ。いいかい、この事は大人達に任せるんだ。くれぐれもおかしな行動を起こしちゃいけないよ。大丈夫、さきちゃんはきっと無事に見つかるよ」
淳お兄ちゃんは、冷静ながらも強い口調で念を押すようにそう言った。
それから私と健ちゃんは、それ以上淳お兄ちゃんに相談する訳にもいかず、とりあえずお礼を言って家に帰ることにした。
しかし、やはりまだ諦めきれない私達は、淳お兄ちゃんのアパートからの帰り道、ヒソヒソと二人である計画について話し合っていたのである。