2.小出の家庭
高校が再開して最初の週が終わり、家族三人で出かけることになった。父に運転を任せるわけにいかず、母は免許を持っておらず、もちろん自分もそうで、行き先は鉄道の範囲内かつ日帰りで行ける場所に限られた。
ただでさえ田舎に住んでいるのに、さらに田舎に向かうことになった。
山奥へ電車が進むほど、駅と駅の間隔が広がるのがわかった。住宅は線路から距離が離れていき、電車の走る真横が新緑の山々となった。時々視界が開けるのも峡谷に架かる鉄橋を通過するときのみで、進行方向にシカやクマが飛び出さないか心配になるほどだった。
両親は隣あって座り、母が父の方に頭を乗せる。向かい合うタイプの座席で、目の前に座る二人の姿が、とても幸せそうに見えた。
実際そうなのだろう。いつ消えてしまうかわからない幸せを目の前に置かれて、飛びつかないわけにはいかないだろう。二人の幸せを、ただ見つめていたかった。
電車が終点に到着すると、空気が少し冷たかった。山の気配を孕んだ風が一家を撫でる。改札を出て駅舎を振り返ると、西武秩父の四文字が光っている。お茶を買いに入った商店では、昨年解散したブルーハーツが優しさについて歌っていた。
駅から公園に向かう道を歩き始める。初めは平らな道だ。駅周辺には商店が多くあり、人数も多い。見知らぬ街に興味を惹かれついつい足が進む。しかし、肩にかけた弁当箱を詰めたカバンの重みが、自分が一人でいるわけでないことを思い出させる。振り返ると両親がいる。父が一歩一歩進んでいるのを母が手を取り支える。自分はその姿を写真に残したかったが、生憎カメラなど持っていなかった。二人が自分のいる場所に着くまで見つめ続けた。その後は後ろからゆっくり歩いた。
一時間強かけて公園に着くと、思ったほどの人数はなく、芝桜もまだ咲き初めだった。なだらかに盛り上がった花畑の一部分だけに薄紫や薄桃の花々が開き始めている。遠方からやってきているような人は見受けられず、地元の老人が散歩をしているのが遠方に見える岩山と対照的でなぜか親しみを覚えた。
丘の高い所にあるベンチに座り、昼食にする。花は今一つの開花具合のくせに、気温だけはいやに高い。きっとあと数日もすれば一面に咲く花と、その間の歩道を歩く人々で満たされていたのだろう。幸福にありつくことが先決で、季節を待ちきれなかったようだ。
父が予想ほど食べなかったので、母お手製のサンドイッチはカバンの中で余っていた。その反面、それを流し込むためにお茶を父が飲み干してしまっていたので、僕の分をわけた。
見晴らしの丘から秩父市街を見下ろし、それから行きよりさらに遅い速度で坂を下りた。もう一度西武秩父駅に来たときには太陽が黄色くなっていた。電車を十五分待ち、自分たちの町へ帰った。
翌週、父は入院した。ニュースでは芝桜が見ごろを迎えていることが紹介されていた。