12.父の見舞い、小出と老人
変わらずに父の見舞いにも訪れている。しかし、双子の件は僕の口からは言い出せずにいた。どう言えばいいのかわからなかったし、僕が報告すべきことでもないように思えた。
父の方から話題を振ってきた。老人のことについてだった。今日も老人はベッドにいなかった。
見舞いに来る僕の姿を見て、老人が父に息子さんは何才ですか、と尋ねたらしい。今は十六で、数え年で言えば十七です、と答えると、どうやら老人の孫もちょうど同い年とのことで、高校生男子の扱い方についての会話に花が咲いたようだ。老人の孫は遠方に住んでいるらしく、年に一度会うくらいだそうだが、それでもそのときの顔と声を心に焼き付け、孫の青春の行く末を想像しているらしい。体の調子が良くなくても、年甲斐もなく妄想をすることによってなんとか精神は健康でいるのだというのがその老人の口癖だ、と父は言った。
「でもあのご老人は熱心に通ってくれる奥さんがいるから幸せだよな」と僕は呟く。すると父は、
「お前もそう思うよな! 実はあの老婦人、老人の奥さんじゃないみたいだぞ」と言った。
僕はまた驚いた。別に心の痛まない驚きで今度はほっとした。どういう意味なのか尋ねる。
「爺さんが包み隠さず身の上話をしてくれたんだが、奥さんにはもう先立たれているそうなんだよ。それなのに一人息子はたまの長期休みに帰ってくるくらいで、親孝行をするどころか、俺のこと憎いって思ってるんじゃないか、ってさ。寂しさと病が相まって通院が始まったころ、病院で出会ったんだってさ。老婦人も旦那さんを亡くしたばかりで二人は傷を癒し合って今に至るらしい」
年配の男女が病室で二人でいるからといって、必ずしも二人が結婚している訳ではないということに気づかなかったのは、おそらく偏見があったせいだ。若い男女なら未婚でも見舞いに来ることは普通にあることだろう。でもそれは老若を問うことではないのだ。人の事情を勝手に推測だけして自分の常識内に人の経験と感情を落とし込む、それはなんと矮小な人間のすることだろう、と思った。
老人が帰ってくる。いつも会話がまとまった直後に帰ってくるので、盗聴器でも設置しているのではないかと思ったが、一入院患者にそんな行動力があるわけがなかった。
折角なので持ってきた果物を老人にも分ける。紙皿の上でバナナを薄く輪切りにし、リンゴも親指ほどの太さに切り分ける。それらに爪楊枝を刺す。二人のベッドの間の机に置いて、食べるよう勧める。老人はバナナを口に入れるとすぐさまリンゴに自分の楊枝を突き刺し口に運ぶ。咀嚼するスピードも速く、シャキシャキという音は老いと病を感じさせない。
一方で父は、バナナを一切れだけ咥えると、口をもごもごさせるが、頬にできた五百円玉大のでっぱりは小さくならない。
僕の視線に気が付いた父は気まずくなったのか、ベッドから立ち上がり、トイレへ行くと言った。しかしその足取りは以前より確実に弱弱しく見えた。口先だけでもまだ元気なのは、隣にいる老人のおかげなのかもしれないというのが僕の感想だった。
父が帰ってくるまでの間、老人は僕に言った。
「お父さんは段々強くなくなるかもしれないけどな、最期まで支えてやるんだよ」
それとな、と続ける。
「今すぐには関係ないかもしれんが、大事な他人ができたら、ちゃんと求めるんだ。求めていることを伝えるんだ。そして何よりも、求められる存在になることだ。相手のメッセージに耳を澄ませ、より多くの叫びを聞くんだ。そうやって手にした情報を組み合わせても、結局は相手のことを一番理解できるのは相手自身かもしれん。それでも、相手自身のことを一番冷静に観察できるのは絶対に他人なんだ。相手の身になることが……」
父が帰ってきた。
僕は老人に礼を告げ、父に体の具合と必要なものを聞き、病室を出る。