其ノ一~恋をするたびに傷つきやすく~
砂塵吹き荒れ、日光照り付く、さながら地獄の釜の底。
赤錆色の岩盤が露出した荒涼たる砂漠を、コトシロヌシ率いる遊牧集団は列となって進む。
大量の荷物を背負って運ぶのは、十頭あまりの深泥鼠。ファーム勢の術によって家畜化しているらしく、魔物とは思えぬほど大人しい。そのせいか、おっそろしく不細工でおどろおどろしい外見も、どこか愛嬌めいて感じられた。
「あつい、あづい……」
最後尾にて、辛うじてついていけている状態のニギは、同じ台詞を繰り返さずにはいられない。
羽織った外套の中身は言うまでもなく汗でぐしょ濡れとなっており、十四歳少女の姿蒸しが完成しそうな勢いだ。
歩き続けて、もう何時間経つだろう。
コマイヌ族の年寄りや男女のつがい、ファーム勢の働き手数名を穴ぼこの村に残し、夜明け前に出発してから半日以上は費やしているはず。なのに、国境どころか一キロ先の地平線すら、陽炎の幕に溶けてしまって見えやしない。
「おいニギ、水分補給してるか?」
隣のクエビコが、竹造りの筒を差し出す。
「え……でもさっき飲んだとこだし、そんなに喉かわいてないし、水は大事にしなきゃでしょ?」
「砂漠なめんな。かわいてなくても飲んどくんだよ。あと歩幅はもうちょい狭くしろ。今のペースでいくと倒れる」
怒られてしまった。さすがは知恵師の神、難所の進み方も心得ているらしい。
慌てて筒の飲み口を傾けた瞬間、日差しが彼女の網膜を焼く。目眩に襲われてふらつき、タヂカラオとぶつかる。
「疲れたんなら俺ちゃんが運んだげよっか? 肩車か肩車かのどっちかで」
「黙れスケベ野郎! ニギに触んな!」
「お父さん、これは決してふざけて言ってるんじゃなく、ただ純粋な下心で、ニギちゃんのむちふわっとした太ももの感触を肌で味わいたいだけなんですよ信じてください」
カカシとの舌戦が始まったと思えば、
「ふしだらッ!」
一喝と共にクラミツハが飛び入る。刀の柄頭でもって、欲望丸出しサイボーグ神の顎先を斜め下から張り飛ばす。
「ちょ、なにもそんな、適格に脳を揺らす角度で打ち込む事ないじゃんよ」
「普通にやっても効かんのだから仕方あるまいバカもの」
「そりゃそうだけど。え~い、ほいだらもうみっちゃんでいいや。おら~」
反撃とばかりに伸びた鋼鉄の腕が、サムライ少女の腰を軽々と抱え上げてしまう。
「こらっ、私は疲れてない! おろせったら、きゃ~!」
「それ~、タヂくんお楽しみの、むちふわランデブー♡」
いっそ清々しいくらいダイナミックなセクハラだった。腐れ縁コンビはじゃれ合いながら、列の前方へと消える。
「ウザすぎだろ、あいつ」
「ふふ、そだね、うざいね……」
クエビコは呆れ気味にため息をつくが、ニギは不思議と今までの疲れが吹き飛んだような心地になり、淡く笑う。
「クラミツハの奴もアレでよく嫌にならねぇもんだ。付き合ってるんじゃねぇのか、さては」
「ないでしょ。それだとみっちゃん可哀想だよ……」
他愛ない会話のさなか、双方の視線がほんの数秒間だけ交差して、どちらともなくぎこちない調子で顔を背ける。
(やりにくいや)
笑顔を曇らせ、ニギはうつむく。
この気まずい空気が昨日の出来事に起因するのは、まず間違いない。
『ニギさんを愛してるんでしょ?』
コトシロの指摘に対して、クエビコはしばしの躊躇いを挟み、呻くようにして答えた。
『変な勘繰りはよしてくんな。おれは目的のためにこいつが必要なだけで、それ以上でも以下でもねぇや』
純然たる事実であった。ふたりの関係性をキモチ悪いと切り捨てた、ニニギノミコトへの反論でもあるのだろう。
(そりゃボクも助かりたい一心でついていったんだけど)
わかっていても、ニギの胸には痛みが残る。一緒に乗り越えてきた今までの日々を、利用などという淡白な言葉で片付けたくない。名を呼ばれた時の喜びも、拳を合わせる時に感じた絆も、ぜんぶ否定してしまう事になるからだ。
(嫌だな、またぐじぐじ悩んでる。だいたいボクはクエにどう思ってほしいんだ?)
どこか思い詰めるような表情で押し黙ったままのカカシから、少しでも遠ざかろうと、少女は懸命に歩を速める。
「皆さん大丈夫? 死んでるかたいませんか? 頑張ってくださいね~!」
先頭のコトシロが、大声で列全体に鼓舞を届けた。
※ ※ ※
果てが無いのではと錯覚するほど広大な岩石砂漠の真ん中に、そのオアシスはぽつねんと存在した。
小ぢんまりとした泉の周囲に鮮やかな深緑の木々が生い茂り、熱帯雨林を形成している。土と砂ばかりの殺風景にすっかり馴染んだニギの目には、別世界の一部を無造作に切り貼りした、というふうな、不自然な景色として映る。
「ぎもぢわるいよぅ。揺さぶるなって言っただろ、タヂのばかぁ」
「みっちゃんゴメン。熱暴走してたかも」
クラミツハとタヂカラオは泉に辿り着くやいなや、頭を水に浸してぐったり倒れ込む。
後者など機械の肉体ゆえか、長時間の直射熱にやられて深刻な状態だったらしく、派手に白煙を吹き上げている。
「ん? 地図だと水場はだいぶ先のはずなんですけどね」
悩むコトシロの傍らに、コマイヌ族の集団が近付いて、なにやら喚き始めた。
「ばうばうばう、ぐるるる」
「あー、はいはい。仕方ないですね、そうしましょうか」
主の承認が下ると、筋骨粒々の妖怪達は長旅の疲れなど微塵も感じさせない動きで、荷降ろしやテント設営を手際よくこなしてゆく。惚れ惚れするくらい迅速かつ効率的な作業行程を遠巻きに眺めつつ、クラミツハが首を傾げる。
「なんと面妖な……。あれが『コマイヌ訛り』か、唸り声にしか聞こえんが」
「今日のところはここらで野宿したいんだって」
「おおお、さすがニギ殿、耳が良いでござるなぁ!」
聴力は関係ない。ニギが常時装着している犬耳型ヘッドフォンは、犬妖怪特有の言語を自動翻訳できるのだ。限定的すぎて無駄なのか便利なのか評価に迷う、こんな微妙な機能をなぜ搭載したのかは、開発者のみぞ知る事だろう。
「あと、人間クサい奴と同じ空気吸うの嫌だし、食う寝るところはしっかり分けたいって」
「む……なんですと? 聞き捨てならん! 畜生上がりの分際でよくもニギ殿に無礼な口を!」
クラミツハは憤慨し、集団に詰め寄ってゆく。
「ま、待って。やめて、みっちゃん!」
引き止めるニギの胸に、後悔が滲む。
先の発言がなくとも、自分やファーム勢に対する妖怪達の視線に含むものがある事は、出発の時点で察していた。それは、黒く煮え立つ嫌悪の油に小さじ一杯の諦めを混ぜ合わせて無理矢理飲み下したような、複雑な感情の波だ。
理由も知らず、気安く触れて良いはずもない。
そもそも人間との共存は、民草にとって逆らえぬお上の意向。押し付けられた方針に渋々従っていれば、ジレンマの一つや二つ抱え込んでもやむ無しだろう。ここまで推測できていながら、要らぬ刺激を間接的に与えてしまった。
「無礼討ちに致す! 発言者、前へ出よ!」
「オレだ!」
明瞭な日本語で答えて、どよめく群れの中から歩み出たのは、ひとりの子供。
ぼさぼさ髪とドングリまなこが、獣人ならではの土臭い野性味を際立たせる。大鎧の一部であろう無骨な肩当てに滑稽なほど着られている様は、背伸びして戦遊びにふけるやんちゃ坊主の印象で、お世辞にも似合いとは言い難い。
「よりによって童とは、親の顔が見てみたいでござる……名乗れっ!」
「戦士『ココノツ』が一子、『ロク』! あいにく親ならもういない、アンタらが連れてる人間に殺されたからな」
仔犬妖怪の耳と尻尾が、ぴんと立つ。
身に覚えのない敵意を突然ぶつけられたニギは、戸惑う他ない。
「オレだけじゃないぜ。うちはな、奴らに故郷を焼かれたモンの集まりなんだ! 言っとくけど、絶対に謝らないし撤回しないぞ。自分の欲だけで生きてるようなケダモノをクサいと言って何が悪い! 斬るなら斬れよ、田舎神!」
うつむきがちだったクエビコはここで、弾かれるように顔を起こす。
「この期に及んで侮辱を重ねるか貴様ァ、覚悟せよッ!」
いよいよ我慢の限界に至ってか、クラミツハの目つきは完全に据わり、手は腰元の得物へと伸びる。
対するロクは地べたにどかっと座り込み、瞑目して首を垂れ、処刑の受け入れ体勢を整えてみせる。
刃傷沙汰の一歩手前で、二つの影が動いた。
次の瞬間、クラミツハとロクは、
「はぁんっ」
「いでっ!」
まるで性質の異なる悲鳴を同時に漏らす。
片や、タヂカラオの手に背後から胸を揉みしだかれて。片や、コトシロヌシのゲンコツを後頭部に叩き込まれて。
「ねェみっちゃん、怒るのやめよ? そーゆー楽しくない感じ、俺ちゃん嫌いだな」
「わかった斬らにゃい! だからお願いやめて、ひぁっ」
「もぉおっ、ロクちゃん、このばかちんがァ! お客様にあんな失礼を働いて! 反省なさい! めっ、め~っ!」
「痛てェって! くそ、コトシロ様も人間の味方かよ!」
ドタバタの様相に、見守る面々も焦るばかりだったが、結局はロクが悪態をつきながら逃げた事で騒ぎは収まる。
「ごめんなさいね。あの子はうちでも一番の跳ねっ返りでして……いやはや面目ない」
「や、こちらこそ、うちのサムライが迷惑かけてサーセンした。でしゃばりなのはおっぱいだけにしろってね」
改まった場面は苦手らしく、たどたどしい敬語で答えるタヂカラオ。
逞しい腕に大人しく抱かれるクラミツハは、敏感な乳房への愛撫の末にくたくたとなり、表情を蕩けさせていた。
※ ※ ※
日が傾くと、砂漠の気温は一気に氷点下まで落ち込む。
泉に映る夜空の星をひとつひとつ数えるように見つめ、クエビコはふと、呟いた。
「あのガキは、おれとおんなじだ」
彼の後ろで外套にくるまり、寒さに耐えていたニギは、「えっ?」と目を見開く。
「理不尽なもんだよな。直接の仇じゃなくっても、相手が人間ってだけで充分に恨めちまう。
そういう筋違いな事を、おれも、おまえにやっていた」
出会って間もない頃の記憶が、少女の脳裏に甦る。
最初に見た青年の姿はどす黒い憎悪と殺意で縁取られていて、首を絞められて、殺されかけて。
でも、どうして今、思い出させる意味があるのだ?
「で……でもクエは言ってくれたじゃないか。『おまえは奴らとは違う』ってさ。ボク、あの時ホントに嬉しくて」
「あんなのただの気休めでい。腹の底では未だ割り切れてねぇし、本質は同じなんじゃねえかって疑ってもいるよ。慰めてるフリして、心にもねぇテキトーふかすような……おれはそういう陰険な野郎なんだ。なぁ、幻滅したか?」
振り向いたのは、ひたすらに無機質な眼差し。転移して以来、唯一の支えとしていた暖かさは、もはやない。
「今まで優しくしたのも、おまえを自分の復讐に利用するための打算だぜ。これでも、まだ仲間だって思えるか?」
「どうしちゃったの、ねぇ? ぜんぜん話が見えないよ」
「つまり、おれらは必要以上にかかわりすぎたって事よ。お互いの今後のためにも関係を見直すべきかと思ってな」
「なんでそんな……なんで」
世界から放り出されたような虚脱感に震えながら、
「あいつに『馴れ合い』だとかって笑われたから、だからムキになってるの? なんかソレって……子供っぽいよ」
ニギはほとんど無意識のうちに反論していた。
溢れる激情が涙として流れる前に、叫びとなって迸る。
「そんな理由でボクから逃げるの? 誰かに口出しされて変わっちゃうような、ボクらってその程度の友達なの?」
「言ったな小娘」
クエビコは威圧的に迫り、巫女装束の襟元を引っ掴む。
「だったらこっちも遠慮しねぇぞ!
手前はいつだって不安で、寄っ掛かるもんが欲しいだけだろ。で、その役目を身近なヤツに押し付けるんだ。
タケルがダメなら今度はおれか? 冗談じゃねえ。
そういうとこが鬱陶しいし、いいかげん迷惑なんだよ。毎日毎日オドオドめそめそケツ追っかけて来やがって!」
吐き捨てて、乱暴に突き放すなり、背を向けてしまう。
「わかったら、あっち行け。おれはいま考え事で忙しい」
空間ごと凍りつくような、数秒の沈黙が流れゆく。
「行けよ!」
「ひっ……!」
怒気に気圧された少女は、涙を散らして走り去る。
胸の痛みの正体も、ぶつけられた言葉の意図も、何一つ理解できぬまま。
ご立腹だよ★オモイカネちゃん!
アマテラス
「カネちゃん、あっそぼ~」
呼び鈴りーん
オモイカネ
「留守デスヨ」
アマテラス
「いるじゃん! てかもう前回から二十日も引き込もってんじゃん! 少しは日の浴びないと病気になっちゃうぞよ!」
オモイカネ
「ウルサーイ! バッキャロー! オマエナンカ顔も見タクナイデース!」
アマテラス
「ば、バンジーのことはまぢで心から謝る……すまんかったぞよ!」
オモイカネ
「謝ればイイってもんじゃアリマセーン! 活動報告で六月の予定を語っときながら二十日も投稿シナカッタ恥知らずな作者と同じで、マッタク反省してないのが見え見えデース!」
アマテラス
「あ、やっと出てきてくれた!
そ、それは……」
オモイカネが見せつけたのは、ふたりの友情の印であるプリクラだった。
笑顔のツーショット。
キラキラのラメ&チャーム。
背景には『ズッ友だょ☆』の文字。
オモイカネ
「……ミカド様の事は、仕事とか立場抜きにして、たった一人のトモダチだと思ってマシタ。でも最近のアナタは、最高神の立場をかさにきて傍若無人のワガママ三昧……。もう付き合ってられマセーン。
どんな無茶ぶりされても従って来たノハ……いつか昔のヨウナ素直な子に戻ってくれると信じてタカラ……でももう、それも今日までデース!」
ビリッ(やぶいた)
アマテラス
「あーっ! そんな……うっうっ」
オモイカネ
「泣いてもダメデース!
オマエとは絶交したのデスカラ、もう他人以下デース! サヨナラ!」
バタン!
アマテラス
「うぇーん! カネちゃーん!」
アマテラスは、マンションの前で三日三晩泣きわめいたが、オモイカネが出てくる事はなかったという……
つづく……




