其ノ八~残酷な天孫のベーゼ~
男は、一糸纏いぬ少女の柔肌を前にしていた。
真珠の煌めきが今、貝殻による保護から解放され、手の届く距離にあるのだ。
「あの……クエ、お願いだからじっと見ないで」
敷布団の上で、俗に言うぺたん座りの格好となったニギは、しっとりと汗ばむ裸体を小刻みに震わせる。
「安心しな、暗すぎてわかんねえっての。万が一見えたとしても、おれの心がガキごときに惑わされると思うか?」
嘘である。
灯りのないテントの中でも、神の視界は昼間と変わらず至って良好。故に乙女の姿を細部まで正確に捉えていた。
ほの赤い頬と、固く結ばれた薄い唇。
なだらかな鎖骨と、きゅっと狭まった丸い肩。
慎ましい胸の膨らみと、それを何とか覆い隠さんとするいじらしい細腕。
上腹部から下腹部にかけての滑らかな曲線と、落ち着きない様子で時おり擦り合わされる左右の腿。
日焼け跡すら認められない瑞々しい肢体の全てが、白く眩しく痛いほど鮮明に焼き付き、クエビコを痺れさせる。
(し、しっかりしろ、れれれ冷静になりやがれ自分。相手は子供……いや赤ん坊、それどころか受精卵、下手すりゃ精子ですらねえ、影も形もないくらい遠い存在なんだぞ)
混乱しすぎて思考が迷子だし、生唾を飲む音さえやけに大きく聞こえた。ちなみに、彼自身も衣服を着ていない。
「えっと……よ、よろしくお願いします」
恐る恐るの口調でニギが言い、深々とお辞儀する。
「おまっ、敬語になってんじゃねーよバッカじゃねえの。さっさと始めて終わらせっぞ」
いよいよ進退極まって、クエビコは彼女を抱き寄せた。
単に目のやり場に困った末の行動であり、他意はない、と己に言い聞かせながら。
(なんでこんな事になったんだ……!?)
※ ※ ※
十分前の事だ。
「今からあなたは、あなた自身の心に潜ってもらいます。無意識の最下層におわす天孫様の御霊と会うために」
ニギの診察をひと通り終えて、コトシロが切り出した。
「会う……ボクが、ニニギと?」
「本格的な食い合いが始まる前に話をつけるのです。首尾よくいけば共存も可能となるでしょう」
「失敗したらどうなるの……?」
「このまま放っといたって、どちらかが消滅するだけなのですよ。さっそく取りかかりたいと思いますんで、ぜんぶ脱いで、クエビコさんと一緒の布団に寝てくださいねえ」
とんでもない指示に対してニギは完全にうろたえ、眼球で渦巻きを描く。
クエビコなど、驚愕のあまり顔面のパーツが『へのへのもへじ』となってしまい、しばらく戻らなかったという。
「なっ、ナァナァナァ……」
「もしもーし、言ってる意味わかりますかあ?」
「わっかんねーよ、どういう事だっ!」
怒鳴り散らされたコトシロはなぜか穏やかな面持ちで、
「結界造りの極意とは、『外はカリッと中はふっくら』。基本的に反発層と包容層の二重構造から成り、硬い外側の殻で侵入者を拒むと同時に、柔い内側の殻で保護対象者を優しく包み込む……というふうに役割が分かれるのです」
唐突な理論を展開する。
「たこ焼きか、メロンパンみたいだねっ」
ニギの感想も微妙にズレていた。
「なんで急にこんな話になるかって、心というのも結界と似ていましてね。
自我を保護する防壁は複雑かつ繊細な代物で、解除するには仕組みを理解した上で慎重にやらなければいけない。たとえば……反発層が硬いからって無理にぶっ叩こうもんなら、奥にある包容層の脆い膜は、中身諸破けちゃう。そうなると精神に取り返しの付かない傷がついて、しまいには発狂しちゃいますよ。
だから面倒くさくても、正しい手順を踏む必要がある。ここまではよろしいですか?」
もっともらしい解説だが、クエビコにはいまいちぴんとこない。
「裸も、手順とやらのひとつなのか?」
「気分の問題です。心を解き放つイメージをわかりやすく感じてもらうための」
「おれが参加する意味はどこにある?」
「ああ、そのへんが何より重要でして……お耳を拝借」
コトシロが顔を寄せてきたので、クエビコはちょっと身構える。
「布団に入ったら意識して雰囲気を盛り上げてください。抱き締めるでも甘い言葉をささやくでも何でもいいんで、とにかく落とすつもりで、イヤらし~くお願いしますね」
「はっあ!? ふざけんな! それじゃまるで……」
「ん?」
ひそひそ声での会話を聞き取れていないニギが、犬ころみたく無邪気な瞳で、こてんと首を傾げた。
「心に最大の隙ができるのってどんな時だと思います? ズバリ、欲望に突き動かされて理性のタガが緩む時です。その瞬間を見計らい、あたしがあの娘の『回路』を繋ぐ」
「無茶だぁ~……! 出来るわけねえよう……!」
「間違いが起きそうになったら全力で止めますんでご安心を。あの娘を救うためと思って、頑張って男を見せて!」
※ ※ ※
そうやって背中を押され、現在に至るのだが。
「ぃや……クエ、いたいっ……」
「す、すまん! 慣れないもんでよう」
抱き締める力加減の事なので、誤解無きよう。
慌てて腕を放せば、微熟ながらも形の良い乳房が間近く見下せる格好となり、余計に気まずくなってしまう。
布団の周りには、虹の光彩を持つ風変わりな蚊帳が張り巡らされている。
その外で座り込み、難解な呪文を詠唱中のコトシロの口から、クエビコの耳にはっきりと届く舌打ちが放たれた。
ちんたらやってじゃねーよと言わんばかりだ。
(急かされても困るっつの、これ以上どうしろってんだ。三千年拗らせ続けた神の童貞なめんなよ……!)
言葉にすれば確かに凄いが自慢にもならない事を考えて歯噛みしていると、ニギが突然、しなだれかかってきた。
「初めて見るけど……クエって、こんなとこまでツギハギだらけなんだね……」
カカシ男の胸を細い指先で撫でさすり、呟く。
どこを見ているのかもわからない虚ろな瞳と、肩を上下させての荒い呼吸は、明らかに普通ではない。
「……ん、ごめん、何してんだろうね。頭、ぼおっとして変なの。からだがあつくて、おなかがじんじんして……」
切なげに呻く彼女は知るまい。蚊帳内の四隅で焚かれた媚薬の香によって、判断力を奪われている事実など。
「やだ、あつい。くるしいよクエ、どうしたらいいの? ねぇ、たすけてよ……おねがい、どうにか、して……っ」
ついには、ぽろぽろと涙を溢して嗚咽する。
疼きに翻弄される幼い心が感情さえ御しきれなくなり、肉欲の獣へと堕ちゆく我が身を、ただ恐怖しているのだ。
「ニギ……おまえ……」
一方、薬品全般に対して耐性を持つ豊穣神たるクエビコに、媚薬の影響は出ていない。
にもかかわらず、魅惑的を通り越して今や背徳的ですらある少女の姿が、この世のどんな猛毒よりも理性を蝕む。
すぐにでも慰めてやりたいという、神としての哀れみ。
すぐにでも食らいつくしたいという、雄としての昂り。
二つの思いが合致してからの行動は、迅速だった。
ニギを布団に押し倒し、濡れた唇を奪う。
「……んんぅ、あっっ!!」
それだけで彼女は甘い声を漏らし、敏感な反応を示す。雷に打たれたみたく腰が反り返り、びくびくと痙攣する。
「よし、チャネルが開いた! いってらっしゃい!」
蚊帳の外で何者かが叫ぶ。はて誰だったか……と考える間もないうちに、クエビコの意識は闇に呑まれていった。
※ ※ ※
『おっ、カカシの奴もお出ましか』
空気を介さず、脳ミソの内側で直接響き、弾け回る声。
猛烈な不快感に襲われて跳ね起きると、ニギが至近距離にいた。小バエのたかる生ゴミを見下す時の表情で。
『ふん、ド低級神ごときが、大恩あるぼくに対して無礼な事してくれるじゃないさ!』
「うわああっ! ニギさんごめんなさい悪かった! 一生かけて責任とるから許してくれ!」
今まで辛うじて保ってきたオトナの威厳も吹っ飛ぶほどの情けなさを発揮して、相手にしがみつく。
そしたら、クエビコは本当に吹っ飛ばされた。
というか、蹴っ飛ばされた。
ハイキックの衝撃の余波を顎先に感じつつ、仰向け状態で倒れ込んだまま十秒間ほど過ごしてから、彼は気付く。
いま自分のいる、極めて不自然な世界に。
天地という概念は存在せず、周囲の全てが乳白色の濃霧に溶け込んでおり、まるで果てしなき雲の大海原である。
「どこだここは」
『ぼくの心の中に決まってるだろ』
「ち、違うよっ。ボクの中だもん」
全く同じ声が重なり、ぶつかり合う。
クエビコに肩を貸して再び立ち上がらせたのは、紛れもなくニギその人。
すっかり見慣れた露出過多な巫女装束姿に加えて、犬耳ヘッドフォンや尻尾ベルトまでしっかり身に付けている。どこで服を着たのだろう、とクエビコは疑問に思うが、彼自身もいつの間にか馴染みのズタボロ着物を纏っていた。
「ニギ……って事は、あいつは」
先ほどの相手を改めて観察してみる。
空色の瞳、ボブカットに整った紺色の髪、あどけなさを多分に残す小動物めいた容貌も……鏡に映したかのごとくニギと似通っている。目立つ違いといえば、狩衣や烏帽子をはじめとする、神主然とした装いぐらいのものだろう。
「あんたが、あのニニギノミコトなのか?」
『そうだよ。あと、ぼくを女と間違えるな。一度は許すが二度目はないよ』
中性的な神が、不敵な笑みと共に頷く。
美形なんてダイコクやコトシロの時にウンザリするほど見飽きた気でいたけれども、そいつの場合は、単に綺麗だとか目鼻筋が通っているとかの表面的な要素のみならず、触れれば引き込まれそうな妖しい色気を兼ね揃えている。
「かえしてよ、ねえ」
ニギは、泣き出す一歩手前といった表情でニニギに詰め寄っていく。
「ボクの名前、ボクの記憶、ボクの体ぁ!」
『おいおいおい、他所様の敷地内に土足で上がり込んどきながら悪者扱いまでするのかい? それに、きみの名前や記憶なんかぼくの知った事じゃない。この体にしたって、もともとそっちの持ちもんってわけでもないだろうにさ』
言い返され、ニギの足が止まる。
「ボクを引っ張ってきたのはキミじゃないの?」
『「イザナミ」のババアがやった事さ。ぼくに当たるのはお門違いだ』
ニニギはどうやら、何らかの事情を知っているらしい。
それはのちほど聞くとして、今の空気のままでは具合が悪い、とクエビコは判断した。
「よせニギ、気持ちはわかるが早まるな。おれらは交渉に来たんであって、やりあいに来たんじゃないだろ?」
『はいはい、ここからぜんぶ聞いてたから説明はいいや』
「そうか、だったら話は早……」
『却下』
まだ口にしてもいない提案が、無情にも遮られる。
『単刀を直入させてもらうよ。ぼくは説得に応じるつもりはない。何としてもその娘を消して体を手に入れてやる』
「なに!?」
『理由は単純で明快、きみらの事がだいっきらいだから』
ニニギは長いため息の後に一拍置き、人差し指をピンと立てる。
『ずっと観察してて、ぼく的に結論付けたわけ。
最初は目的のための割りきった関係だったし、まだ納得できたけど後がよろしくない。
たとえばアシナガ村の時だ。互いの境遇ちょっとばかり知ったくらいで、安い同族意識なんか芽生えさせちゃってさ。わたしはひとり、あなたもひとり……だから、ふたりボッチになりましょうってかい? ぺろぺろぺろぺろキズ舐め合って馴れ合って、何かあるたび慰め合ってちちくり合って、毎度まいどの茶番劇。
きみら見てるとキモチ悪くてヘドが出るよ!』
けんもほろろの全否定。
次の瞬間、
「お前なんかにボクらの何が解るっていうんだぁーっ!」
噴火したのはクエビコではなく、ニギだった。
真っ赤な顔で腕を振りながら相手に突っ込んでいき……結果、足払いを仕掛けられ、容易く転ぶ。
「ニギっ!」
駆け寄ろうとするクエビコの目を、閃光が射抜く。
『「まがたま」、起動』
ニニギの掌から迸った光は、ただちに収束して、小型の鉄塊として実体化する。
複雑構造の機械であるという事以外、何の道具なのか、田舎神のクエビコには理解できない。
だが、地上で暮らす現代人ならわかるだろう。
そして息を呑むはずだ。ニギの後頭部に突きつけられたソレが、『銃』と呼ばれる物だと知っているはずだから。
サービスサービス★オモ
アマテラス
「孫うおおおおおおおおっっ!!」
オモイカネ
「ウワーッ! ナナナ、何デスカ、ミカド様! まだこのコーナーのタイトルコールもすんでないノニ、イキナリ発狂しないでクダサーイ!」
アマテラス
「狂わいでかっ! 死刑はガキデカッ! ついに我が孫のニニギが本編登場ぞよ? てゆーかなぜ余を呼ばぬ! 嗚呼、会いたい! 今すぐ会って抱き締めたいのに後書きの壁が越えられんぞよ! うわあああん余は無力なり! こんなもんで何が最高神アマテラスかああああっっ!」
オモイカネ
「も、モチツイテー。これは放送事故デース。ミカド様ともあろう御方が公共の電波でこんな醜態さらすナンテ全軍の士気にカカワリマースヨ!」
アマテラス
「組め………!」
オモイカネ
「ハァン?」
アマテラス
「今すぐ孫の特集を組めー! 放送予定は変更! 決定! これは勅命ぞよ! やらんと首飛ばすぅー!」
オモイカネ
「ご、ご乱心~! 誰かタスケテ~(/≧◇≦\)」
ツクヨミ
「無駄さ、ああなった姉さんは誰にも止められない。心の拘束具が外れて……!」
アマテラス
「オオオオオオオオオオンンッッ! マァーゴー! 余の可愛いマァーゴー!」
ツクヨミ
「完全に暴走状態だ!」
オモイカネ
(でもいくら孫ったってアレ可愛いカ? どう見ても生意気で傲慢で性格歪んだショタにしか見えナイケドなー……あ、納得した、確かにあのヒトの孫って感じだわー。そっくりだモン)
ツクヨミ
「オモイカネくん、言いたい事はスゴくわかるけどこらえてね。頭からムシャムシャいかれちゃうからね」
オモイカネ
「ヒッ……!(しめやかに失禁)」
つづくのかな★




