其ノ六~知恵と勇気だ! クラミツハ~
みっちゃん、がんばる。
「ほらほらほらすぶすぶすぶ」
聴くに耐えない奇怪な呻きと共に向かってくるものは、土左衛門のごとき青紫の肉袋。
クエビコ曰く、『深泥鼠』と呼ばれる魔物だそうだが、鼠の面影なんてどこにあるというのか。
醜く肥大して二メートルを超すゴム毬様の体躯に、人間のものとよく似た一対の手足が生えている。それを機敏に動かしてカサカサと這う姿は、ひたすら気味が悪かった。眼球は極端に小さく退化して、白目しかない。顔面に走る裂傷じみた口は縦に開く構造らしく、びっしりと生え並ぶ牙の間から腐り卵の臭いが絶えず放たれ、吐き気を催す。
その全貌のグロテスクさは、ふだん表情の変化に乏しいニギでさえ、
「きも……」
と露骨に顔をしかめて吐き捨てるほどだった。
いま一行のいる付近は、草木がごっそりと剥げあがり、ひび割れるほど乾いて痩せ衰えた一面の荒れ野。
先程まで歩いていた平原と地続きだとは思えない景色の変わり様に、彼らが驚いていると、深泥鼠の群が前触れもなく地面を掘って飛び出すなり、襲いかかってきたのだ。
「声をあんまり長く聴くなよ! 呪われるぞ!」
ニギに接近しつつあった一匹を、杭の横薙ぎによる殴打で吹き飛ばしてから、クエビコが叫ぶ。
「それも厄介だけどもさ、こいつらさっきからなんか……せい!」
先頭に立って最も多くの敵を引き付けているタヂカラオが、鋼鉄の拳を固め、ネズミの腹部に叩き込む。だが彼の正拳突きは、相手の肌に一瞬だけ深く沈んで、すぐに弾き返されてしまう。
水ぶくれみたくふやけてブヨブヨ波打つ肉体が、異常な展性を発揮し、衝撃もダメージも無に帰したのである。
「蹴れど殴れど顔色ひとつ変えないもんね~。しらけ世代なのかしら」
「刃も通らぬ!」
クラミツハの振るう太刀すらも全く意に介さぬ様子で、肉袋達はどんどん集まってきて、ついに一行を取り囲む。
「並の攻撃じゃ受け付けねえ体なんだよ。『つるぎ』ならどうにかなるかもだが……」
クエビコは隣を見やり、ニギの瞳に浮かぶ躊躇いの色に気付いてしまい、口をつぐむ。
三種神器使用過多に伴う最大のリスク、それすなわち、『上書き』の加速度的な促進。
あと何回まで許されるのか? 次も大丈夫という保証はどこにもないのだ。発動したが最後、前世の記憶に取って代わられるかもしれない。彼女の抱く不安と恐怖が彼の心にも嫌というほど流れ込んできて、判断に迷っていると、
「いや、ここは拙者にお任せを。……相すまぬが各々方、しばしのあいだ鼻と口を塞がれよ」
凛とした眼差しのクラミツハが数歩踏み出す。
「何する気だ。正攻法じゃあ無駄だって……」
「なれば、内部より破壊致すまでッ!」
侍少女は堂々と言ってのけるなり、自らの左手首を刃で撫でた。
突然の自傷行為だ。
「宿命刀・『クラオカミ』、今こそ我が血を啜り候え」
鮮血の飛沫が勢いよく噴出するも、風に連れ去られる事なく、真っ赤な霧のベールと化して周囲を漂う。
その霧にすっかり包み込まれた直後、並み居る怪物の身に、死の異変がふりかかる。奴らは途端に苦しみもがき、荒れ野の地面をのたうち回ると、火薬でも呑んでいたかのようにたちまち炸裂・爆散してゆくではないか。
「ぼらぁ!」
「ずぶぅ!」
見るがいい。頓狂な悲鳴の余韻を残して次々と倒れ伏す肉風船どもは、体内から飛び出す無数の刃で刺し貫かれ、みな一様にボロ雑巾めいた死に様をさらしている。これぞクラミツハの神力の為せる技。大気中に散布され、呼吸によって取り入れられた血液が、凶器の形に凝固したのだ。
「むふふ♪ 如何か? 自己紹介でも申したが……拙者、血から生まれし者ゆえに、こういう事が出来るので御座。ニギ殿ばかり頼っては神の名折れですぞクエビコどのぉ」
振り向いたクラミツハの表情は……はち切れんばかりの満悦の笑み。
素直に称賛しようと思ってたのに、と、クエビコは肩を落とす。
今まであんまりにもイイトコなかった自身の立場を相当に危惧していて、挽回を図ったのだろうが台無しである。
「名付けて『血晶・霧中殺』! 日頃鍛えた剣技の賜物にて候!」
「噛んだし。てか剣技じゃねーだろどう見ても。おもくそ邪道だろ」
「ござっ!? なんたる侮辱! 恩を仇で返すとは鼻持ちなりませぬぞ!」
今度はぷんぷんと子供みたく拗ねるので、
「よーしよーし、よくやったなーよくたすけてくれたー。えらいぞみっちゃんさすがだぞー、いいこいいこー」
とりあえず、投げやり気味にナデナデしてやった。
さらに怒るかと警戒したが、クラミツハの態度は意外にコロッと翻り、桃色に染まるはにかみ顔を見せた。黒髪を揺らしてくすぐったそうに身じろぎすると、側頭部から伸びる龍神の角が、どういう仕組みかピコピコ跳ね踊る。
「えへへっ、そんなぁ、照れるでござる~」
(純粋か!)
心でツッコミながらも、『可愛らしい反応するじゃねえか』などと思って撫で続けるクエビコは、ニギの冷ややかな視線によって背筋を抉られた。
「……ボクのこと慰めてくれたのと同じ手で、みっちゃんさんにも気持ちいいことするんだね」
「おおっとぉコレは聞き捨てならねーじゃん? ゆうべはお楽しみでしたねぇ~?」
タヂカラオまで割り込んできて、ここぞとばかりに囃し立てる。
「ばっけろい、誤解だよォ……」
「あと、みっちゃんは頭皮が性感帯なんだからあんま攻めちゃダメ~。デキて責任取らされちゃっても知んないよ」
「がーっ、タヂおまっ! 私を変態にするなこの阿呆! なんで貴様は発言の全てがセクハラばっかりなのだっ!」
「はいはいごめんごめーん、あー、ところでみっちゃん、機嫌よくしてるのに邪魔して悪いんだけど、あれ見てよ」
空気がいよいよ混沌としてきたところで、サイボーグ神の指先は荒れ野の一点を示す。
新たな深泥鼠の群が地中から顔を出していた。
「さっきのカッコいい技、倍プッシュでお願いできる?」
「あァ~思い出したように貧血が、やばいでごじゃる~」
「に、逃げるぞっ!」
結局、クラクラと座り込んでしまう一発屋・クラミツハを引きずって、一行は脇目も振らず退散するのであった。
(……にしても、あんなスゲエの持ってんだったらもっと早いとこ使っとけよな)
必死に足を繰りながら、クエビコはふと思う。
(ん、あれっ? 待てよ、だとすっと……)
この時、脳の片隅に何か、引っ掛かるものを感じたが。
後で考えよう、今は逃走に集中すべきだと割りきって、無理矢理にでも前を見る事にする。
※ ※ ※
「うわっ、なんだこりゃあ!」
小高い丘の上で立ち止まり、クエビコは呻く。思いがけない光景を、目の当たりにしたからだ。
眼下に広がる大地一面に、断崖絶壁のごとき陥没が刻み込まれていた。しかも断層の縞模様がむき出しになるほどの深度であり、巨人の振り下ろす鍬によって力任せに掘り返された、という表現が何よりも相応しい。
さらに驚いた事に、一応の目的地としていた『村』は、穴ぼこの底に築かれているではないか。
規模は野営地に近い。大小の天幕が数多く寄り添って、色鮮やかな仕切りの布が幾重にも折り重なる事で、居住区を形成している。
取り立てて奇妙なのは、並外れた生活レベルの高さだ。土肌の壁には木材での補強が施されているし、縄と滑車で駕籠を吊り上げる仕組みの、原始的なエレベータまで備え付けられていた。中には腐葉土を敷き詰めた栽培区画まで完備され、住人らしき複数の人影が忙しなく動き回って、小山ほどの収穫物を台車にのせて運搬中である。
クエビコは困惑してしまう。こんな難儀な場所に、わざわざ工夫を凝らしてまで暮らす必要があるのか?
「土に死臭が染み込んでる。この大穴、『黄泉の傷』だ」
足元の砂をすくいあげながらタヂカラオが呟いた。この能天気男にしては珍しく、絞り出すような声色。
「なんか懐かしいと思ってたら、そのせいか……」
「知ってんのか、おまえさん」
「汚染だよ。昔、似たような惨状の里を見たんでね。こうなると半減期までの六千年はペンペン草一本生えないよ」
「でも、それにしちゃ畑があるみたいだが」
「さぁ、それはなんでだがわかんないけど。
カカシちゃん聞いた事ないかな? 『平坂の乱』の話」
無機質な鬼仮面の向こう側にある表情は、いつもながら窺い知れず。
聞き覚えのない単語を使った、意味深な問いかけの意味も、同じく不明。
重ねて尋ねようとするクエビコであったが、ここでふと気付く。
クラミツハが、どこかいたたまれなそうに瞳を伏せて、うつむいている。『付き合いが長い』という昨日の話が事実なら、この反応は何かを知る者のそれだ。
恐らくは、触れてはならぬ過去の領域なのだろう。
沈黙に包まれる一行の後方で、慌ただしい足音と、鎧のこすれ合う金属音が折り重なって響く。
集まってきたのは、獣人型妖怪の兵士隊。兜の隙間からはみ出す、雲のごとき質感を持つ黄金色の鬣は、守護獣の化身……コマイヌ族である事を証明し、それぞれ緊張の面持ちで槍をたずさえている。
「あのそのえーと……こ、こんにちわぁ」
どこか落ち着きのない上ずった声が聞こえると同時に、集団の中から、風変わりな装いの男が進み出た。まだまだ日差しの強い季節にもかかわらず厚手のローブを着込み、目深にかぶったフードで、顔面の半ばまでを隠している。
「いきなり失礼なんですが、皆様ってもしかして、ミカド様の使いの方々だったりします?」
「ああ、一応な」
頬をひきつらせても、視線だけは決してそらさぬまま、クエビコが応対する。
誰の目にも明らかな、一触即発の状況だった。
「やっぱりそうでしたかあ。いえね、ダイコク様から命令受けたんですう。なんでもひどく名誉を傷つけられたとかで、見つけしだい処罰しろとねえ」
そう言い終えるか終わらぬかの一瞬のうちに、ローブの男は地を蹴った。
部下を引き連れておきながら単身での突進という、予想だにしない行動に驚くあまり、クエビコは背中の杭に手を伸ばす機を逸してしまう。
(しまった……!)
果たして、クエビコの懐にまんまと潜り込んだローブの男は、勢いよく倒れ込むかのように重心を低くする。
モーションからして頭突きか、アッパーカットか?
だが実際に繰り出された技は、いずれにも該当しない。
というか、攻撃ですらなかった。
「ごめんなさあああっっい!」
完全なる平伏のポーズ……すなわち土下座。
「攻め込まないでくださぁ~い!」
「攻め込まないよ!」
クエビコはたじろぎながらも即座にツッコむ。
「あたしダイコクの長子でして、『コトシロヌシ』と申します! お城のオオゲツさんからも報告うけてて、ずっと申し訳無い気持ちでいっぱいだったんですよう! 昔からどうしようもないバカ親父で、まっことお恥ずかしい!」
コトシロヌシが煩わしげにフードを取っ払う。
あらわとなる素顔は、あの憎たらしい色男とそっくりな美貌。唯一の違いと言えば、白粉をまぶしたみたく不自然な純白の肌を持つところくらいか。
「おい、おまえ落ち着けよ……」
「ひえ、そんな! 『お前で餅つきをしてやる』って?」
「いや、頭あげろって言ってるんだよ。ほら兵隊さん達も見てるし、なんかこっちまで恥ずかしいし」
「『兵隊さん達の見てる前で恥ずかしい事してやる』?」
怯えのせいか、さっきから聞き間違えがひどい。臆病もここまで来れば、もはや敬服に値する。
「だから言ってねーっての、んなこたぁ!」
父親とは外見以外似ても似つかぬ被害妄想全開の変神をなだめすかすため、小半時が費やされた頃。
「ごめんなさい。あたしってば取り乱すとすぐこうなってしまって、お恥ずかしい限り」
「いいって事よ」
「それはそうとクエビコさんって……優しいんですね♡」
熱っぼい眼差しを注がれて、クエビコは察してしまう。
いつの間にやら同性に惚れられていた。
ナニ言ってるかサッパリだと思うだろうが、事実は事実である。
すごーい★ポンコツスーパーコンピュータのフレンズなんだね!
オモイカネ
「ドゥーモー皆サン……ヨーコソ、ガハラパークへ。
『アマノクニ・クリーン化計画』のプロジェクトリーダー・オモイカネちゃんディース。
我々はこの作品世界から、下ネタをはじめとする様々な汚れた要素を廃止すると共に、教育にも役立ってご家族でお楽しみいただける綺麗なアマノクニを実現すべく……日夜戦う者なのディース!
は? ウソぶっこくなッテ?
失礼ナ……
覗き込んでみてクダサイよ、このカネちゃんの澄み切った純粋な瞳を……(キラキラ)
心の美しい神にしかコンナ目はデキマセーンよね。
(アー、仕事ダリィー、ハヤク帰ってツクヨミ様と《バキューン!》シターイ)
ハイ、というわけで、さっそく新しいフレンズ(ゲスト)をお呼びシマショウ。ドージョー」
コトシロ
「どーもーコトシロでーす。好きな男性のタイプは……よく締まるひとかな?」
オモイカネ
「アウトォォォォ! いきなりドストレートなの来ちゃったんですけどォォォォ!」
コトシロ
「え、ひょっとしてあなた女の子? 帰っていい?」
オモイカネ
「むしろこっちが帰りてぇって話ダヨ! チキショー! やっぱこの作者クリーンにする気なんかさらさらねえェェェェ! テユーカ、お父様はあんなスケコマシなのに、アンタなんでソッチの趣味なんデス?」
コトシロ
「だってあのヒト……確かに割とモテたりしてるみたいだけど、そのぶん女性がらみで散々ヒドイ目にあったりもしてるから……父親のそんな姿みて育ったら、ああはなりたくないな~って思うじゃないですかあ~!」
オモイカネ
「(いかん、バラ系から話題をそらさねば……)
エート、ちなみに特技とかアリマス?」
コトシロ
「結界を張ったりするところかな? これでもガードはカタいんですよ。だからタチの方もそれなりの重装備じゃないと、あたしのダンジョン攻略できな……」
オモイカネ
「ダマレーッ(延髄切り)」
コトシロ
「アーッ!(昏倒)」
死ーん
オモイカネ
「あァ……殺ッチマッタ……
思わず殺ッチマッタでーす。
ドウシヨドウシヨ、じ、自首スレバ、まだ……
でもでも、それじゃあツクヨミ様との神生がメチャクチャに……もう子供の数とか、マイホームのデザインとか、色んな計画立ててるのに……真っ赤なバラとか、白いパンジーとか、狛犬の横にはアナタが……」
スサノオ
「貴様~っそこでナニしているか~っ!」
オモイカネ
「ウワアアアア! (違わないけど)違うんディース! コンナはずじゃなかったんでーすっ!」
ダッ(逃走)
★オモイカネの逃亡生活が始まる……!★




