其ノニ~Shangri-La~
胸を抉る、真実の破片。
旅の面子は、一隻の小舟に揺られ、湖を渡る。
「俺ちゃんね、最近やっとわかったじゃんよ。自分が何のために機械のカラダになったのか」
照りつく日差しが水面に宿り、ひとすじの道を描き出すかのよう。
目映く瞬く自然の風景を背負い、タヂカラオはしみじみと頷いた。
「それは! いけすかねー・はしゃいじゃった・メンズ、略してイケメンをバコバコに凹ますためと見つけたり!」
「よく言った、おまえは同志だ!」
クエビコが真顔で唸り、立ち上がる。
イケてない男神ニ柱は、ネガティブな思想で通じあったのだ。
ピシガシグッグッと右の拳を打ち鳴らし、左の掌を握り合う。
「へっへー、言いふらしたらみっちゃん殺すとか脅されてたんで内心ビックビクもんだったけどね。一か八かビデオアイ、あの侍女ちゃんに見えるよーに陰から再生したのよ。したらもう効果てきめん。あァまぢスッキリした」
「ああ、それにしても意外だぜ。あいつがまさかここまでしてくれるとは」
一行に小舟を譲って送り出したのは、オオゲツである。
『これにはワタクシの神力を込めておきましたので、自動で向こう岸まで連れていってくれるでしょう。そこから村を三つほど越せば、南の国境は目前でございます。何かと大変でしょうけど、旅のご無事を祈っておりますわ』
城から出る直前、エプロン姿の女神は瞳に涙を溜めて、深々と頭を下げてみせた。
『この度はご迷惑をお掛けしました。謝って償えるなどと思いませんが、皆様は今や、大切な事を教えてくださった恩神です。一時の気の迷いでバカ男に引っ掛かり、恋の奴隷となった自分が情けないやら恥ずかしいやら』
『よしてくれ。ところで、あんたこれからどうすんだ?』
自害でもしそうな勢いなので心配になって、クエビコが問うたところ、
『とりあえず北へ参ります……』
という真剣な答えが返ってきた。
『やっぱ北か。うんわかるよ、それしかないもんな』
恋破れた者は無性に、雪景色に包まれたくなるらしい。
神世においても揺るぐ事なきセオリーである。
『せめてものお詫びの印に、これをお持ちくださいませ。長旅で困った時などに役立つでしょう。それでは……』
最後に不気味な小袋を渡されたものの、中身はまだ確認していない。
時おり中でピクピクと蠢くものがあり、血の腐った匂いまでほんのり漂ってくるので、覗くのが怖いのだ。いっそ捨ててしまいたいけれど、せっかくの餞別を無下にも出来ないし、第一そんな事をしたら祟られそうな予感もした。
気持ちを切り替え、クエビコは何となく周りを見回す。
帆も櫂もなく独りでに進む奇妙な舟の上、それぞれが、思い思いの時を過ごしていた。
タヂカラオは、ダイコクのほえ面がいかに痛快だったかを面白おかしく語る。
元の着流し姿に戻ったクラミツハは、遠くそびえる山々を眺め、『風流でござる』などとため息をつく。
そしてニギはといえば、覇気のない無表情のまま小刻みに震えつつ、こうべを垂れて何やら呟き続けている。
城における事件のショックを引きずってのものか。
纏っている巫女装束の露出度の高さゆえ、寒風に凍えてのものか。
クエビコには、わからなかった。
ひどく憔悴していた肉体の方は、寝屋に運び込んですぐさま癒しの神術を施した事で、万全まで回復したはず。となれば原因として考えられるのは精神的な問題だが、本人が一言も喋らぬ限り対処しようがない。
とはいえ下手に尋ねるのも逆効果だろう。
カカシの神はやるせなさの中、壊れそうな少女の横顔を窺う事しか出来ずにいた。
※ ※ ※
ニギの脳は今や思考を放棄し、寝屋での会話内容を繰り返し垂れ流すだけのレコーダーと化している。
『目覚めた時には自分の名前忘れてて、アバターが本物の体みたいで違和感MAX、お腹が空くって事にびっくり、知らない誰かの人格が頭に流れ込んできて意味不明……とまァ、これがわたしの場合。どう、共感してくれる?』
一つの布団を共有して寄り添いながら、スセリは確かにそう言った。
共感も何もない、というのがニギの率直な意見だ。
極めて軽い口調で並べ立てられる経験の数々は、彼女が身をもって味わった異常現象とまるきり同じではないか。
『こっちだとあんま時間の感覚ないし、体も歳をとらなくなって随分経つから曖昧だけど、かれこれ十五年くらい前になるかな?
当時のわたしは、普通の中学生。
ゲームのテスターに選ばれて有頂天だった。で、夢中で遊んでたら戻れなくなってたの。
最初はそりゃあ、怖くて不安で泣いたりしたよ。けど、よく考えたらどーでもよくなっちゃった。だってわたし、リアルに未練とかなんも無かったんだもん。学校イヤだし親はウザいし男はクソだし、夢もときめきもロクにない。将来なんて単語、聞かされるだけで鬱になる。
近いうち自殺でもしよっかなと思ってたから、ちょーどよかったなって。どーせなら楽しんじゃおって事で』
十五年前のテスターという言葉が妙に引っ掛かる。
かつてタケルが得意気に教えてくれた話を、思い出す。
アマノクニ・オンラインの前身だというVRゲームの初稼働日は、確か同時期ではなかったか?
『いちばん面倒だったのが、どうにもわたし、知らない間にゲームのキャラと入れ替わってたみたいなのね。いや、上書きされてたっていう方が正しいか。
ぜんぜん興味なかった昔話だかの神様……スセリヒメの記憶がね。
一度なんか、そいつはわたしの人格を食って乗っ取ろうとしてきたわ。こっちとしては冗談じゃないって事で、逆に抑え込んでやったけど。
あなたも同じなら身に覚えあるんじゃない? 体が勝手に動いたり、時たま気が遠くなったり、今までの自分じゃ思いもしなかった事をしようとしたり……それ結構シャレにならないくらい危ないから、注意した方がいいよ?』
ニギは、総毛立つ。
アマテラス曰く、自分はニニギという神の生まれ変わりらしい。
大浴場の戦いで込み上げてきた殺戮衝動が、本来そいつのものだというのなら、あれは精神侵食の先触れだ。
(ボクはもうすぐ、ヒトじゃなくなる……?)
いや、既に手遅れの可能性すら。
『そんな……ぅお、うぇっ』
引っ込んでいた吐き気が再び押し寄せてくる。
脊髄反射的に上半身を跳ね起こし、何度もえづく。
『ちょっ、大丈夫? あくまで可能性の話よ! お願い、ね、落ち着いて』
スセリは少し焦った様子でニギの背中をさすり、額に口付けをする。
赤子をなだめる母親みたく、頭を撫でて、抱き寄せた。
『ごめんね、ごめん。怖がらせるつもり無かったの。仲間に会えてつい嬉しくなって……!』
荒い呼吸が静まるのを確認し、話題を変える。
『思えばあのひと……ダイコクの節操がなくなったのは、わたしがスセリじゃないってバレてからだわ。
彼、本当に奥さんのコト愛してたみたいでね。
彼女が戻らないって知って、悲しくてどうかしちゃったんだと思う。だからわたしのせいでもあるのよ』
紡ぐ声には決意を新たにするような響きがあった。
ニギは感じた。この人はきっと、高天ヶ原の住人として生きる覚悟を決めているのだろう。
『もう行かなきゃ。あのひと、きっと今ごろ独りぼっちで泣いてるわ』
スセリは部屋を出る直前に、僅かな憂いを帯びた瞳で、背後を顧みた。
『じゃあねニギ。一緒に遊べて、わりと楽しかったわよ』
いなくなれ、オモイカネちゃん★
アマテラス
「カネちゃん、あっそぼー! 見て見て、余は最近、ポンカンを目で食べられるようになったぞよ」
誰もいませんよ?
アマテラス
「あれ? どこいった? ん、メールか」
『RE:RE:アマテラス様
ツクヨミ様と飲みに行ったらグデグデになっちゃったデス。終電のがしたし、とりあえずワターシのマンションがいちばん近かったから、泊める事にシマシタヨ。
というわけで今、弟サンお預りシテマース』
アマテラス
「ななな、なんぞこれぇ~っ! カネちゃんの奴、いつのまにヨミくんとそんな関係に!
ゆ、許さん! お姉ちゃんは許さんぞよ! このまま一緒にしたら、大事にとっといたヨミくんの貞操があの忌まわしきロリの手に! こうしちゃおれぬ!」
ダッシュ
アマテラス
「ヘイタクシー!」
しかし停まったのは白いハイ〇ースであった。
アマテラス
「もごご! なんぞお前ら無礼であろう! 余を天帝と知っての狼藉か!
は、はなせ! やめよ!
きゃああああああああああ!」
アマテラスの運命はいかに!?




