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アマノクニ  作者: 山田遼太郎
参ノ巻~オロチ☆THE☆リベリオン~
21/54

其ノ一~悲しみをやさしさに~

決別の日と、芽生えた気持ち。



 ニギには苦手なものが多すぎた。

 食べ物では特に、熱いものが嫌いだ。加えて熱いお湯も得意ではない。いわば全身猫舌である。だから今も、めいっぱい尻込みしてしまう。

 まとわりつくような湯気が漂う、総ヒノキ造りの湯殿ゆどのにて、手元の桶に視線を落とす。

 水面に揺らめく不安げな少女の顔は、自分のものであってそうでない、完全な作り物のはず。それが今では血の通った本物となっているのだから、ニギは違和感を禁じ得ない。現実を受け入れたつもりでも、慣れる事はない。


「キミは、誰?」


 思わず独りごちる。

 鏡の自分に同じ問いを投げ続けると発狂する、という地上の都市伝説がある事を、ニギは知っていた。

 いっそ狂ってしまえたら、どれだけ楽か。

 そんな愚かな思考をかき消さんと意を決し、頭上に持ち上げた桶をひっくり返す。

 ぬるま湯が体を濡らし、舐めてゆく。折れそうに細い首筋を、肩から鎖骨にかけての溝を、膨らみかけの胸元を、滑らかな曲線を描く下腹部を。


「きもちよく、ない」


 昼、客間に通される前、ニギは一度ここを訪れている。

 山中で触手の怪物に襲われてから、全身に残る乾いた粘液の不快感に呻いていると、テナヅチが気を回して案内してくれたのだ。長らく我慢してようやく体を洗えた時には、何とも言えない安堵感に包み込まれたものだった。

 今の気分と比べたら、まさに天地の開きがある。

 理由は明白。自分がいつ死ぬかわからない状況なのに、入浴を素直に楽しむ心の余裕などあるはずもない。必要ができたから、仕方なく来ただけだ。


「おい小娘」


 格子こうし窓からクエビコの声がしたので、反射的に胸元を隠してうずくまる。


「わぅっ、な、なに……のぞっ!?」


「変な声出すな、そして誤解すんな覗いてねえ! 風呂でおっ死んでねえか心配で来ただけでい。さ、さっきのアレも、悪い兆候かもと思ってだなあ」


 ちなみに失禁の後始末は、協力して済ませた。

 クエビコは女中を呼んで片付けさせようと言っていたが、これ以上誰かに生き恥を見られたくはない、とニギが泣き付いた結果そうなったのだ。


「危機感もてよ? 『つるぎ』が完全にオロチに吸収されちまったら、おまえはおしまいなんだからな。あがったらすぐ出発すんぞ! ……あー、あと、アレだ、洗った服、窓から寄越せよ。夜風でも干しときゃなんとかなる!」


「え、えー? でも」


「さっさとしろい! みっ見てねーから!」


「わぅう……わかった」


 少女は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、もう一つの風呂桶に入れてあったミニスカートと、レースのぱんつを手に取る。上着が汚れなかったのは幸いだった。どれも一着ずつしかないので、大切にせねばならない。


「神に誓って、見てねーからな!」


 そういうデザインなのか、割と間隔の大雑把な造りをしている木格子の間から、カカシの手首が現れた。ニギは恐る恐る近付いて、ブツを差し出す。


(お父さんにも見せなかったボクのぱんつ、男のひとに触られちゃうんだ)


 羞恥心に頬を熱くするばかりで、彼女は重大な事に気付かない。

 相手には、自分の姿が本当に『見えていない』という事に。


 ふにぃ


 探るように動く男の手が、検討違いの方向へと伸びて、微熟な胸の隆起部を下から撫で上げる。


「のわああああ」

「わううううう」


 意味合いの違う二つの悲鳴が、湯殿の湿った空気の中で混ざり合う。


 ※    ※    ※


 現在はちょうどうしこく

 屋敷の門前で待っていたクエビコは、重い足取りで玄関から出るニギに向かって開口一番、


「アレは不可抗力だからな、勘違いすんなよな」


 などと苦しい弁明を垂れた。

 ショックから立ち直れていないニギは、無言で目をそらすのみ。

 距離が縮まったかと思えた関係に、なんともいたたまれない恥ずかしい壁が追加されたようである。

 今の彼女はアマテラスから授かった犬耳型ヘッドフォン・打犬頭だけんとうを装着しているだけでなく、チョーカーや尻尾つきのベルトも律儀に身に付けており、下半身は寝屋のタンスから拝借した赤袴に包まれている。


「恥ずかしくないかその格好」


「こ、コレかわいいし……いぬ、好きだし……そりゃボクみたいな女がつけても、き、きもいだけだろうけど、なにもそこまで罵倒しなくても」


 いつもの被害妄想が発動し、しゅんと肩を落としてしまう。

 その様を見て芽生えかけた苛立ちと葛藤するかのように、クエビコは髪を掻きむしる。

 ちなみにまだ洗い立てで全く乾いていないスカートとぱんつは、彼の背負う十字の杭に紐で結ばれ、風に揺らめいている。


「いや、罵倒はしてねーし。むしろうん、いいと思うよ実際うん」


 ぎこちない会話を繰り広げる両者に、ふらふらと歩み寄る影ひとつ。


「ゆくのか」


 アシナヅチである。大剣にハネ飛ばされた体が痛むのか、ハ虫類面の従者によって脇から支えられた格好だ。昼間の精悍なる佇まいは見る影もなく、僅かの間に十も二十も老いたかのごとく、弱々しい目付きで宙を見ていた。


「なぜ私を討ってからゆかぬのだ」


「手前の命なんかより大事な用があるんでい。世話んなったなクソ野郎、ぶっ殺しに戻る時間も勿体ねえし、もう二度と会うような事もねえだろうよ」


 友に一瞥もくれず、クエビコは背を向けて吐き捨てる。一歩離れた位置に立つニギだけが、歯をくいしばる彼の横顔を、悲しげに見つめた。


「何かあったの?」


 険悪な空気の理由が掴めず、戸惑う。


「よく聞け小娘、こいつは賊とグルだったんだ。女房のために、おれの村を売りやがった……とんだ愛妻家だよ。あと、おまえの飯にまで毒盛ってたぞ」


「え、ちょっと待って……え?」


 この説明は理解を促すどころか、彼女をひどく困惑させた。


「それで、裏切りモンが何しに来たよ? またおっぱじめようってのか?」


「そうではない、おぬしらに渡したい物があるのだ」


 言うと、アシナヅチは手を上げて後方に合図を送る。

 すると別の従者が、布でぐるぐる巻きの物体を両手で抱えて前に出て、恭しくひざまずく。

 布が取り去られて全貌を見せたそれは、白銀の装飾をあしらう美しい鞘におさまる、小振りな刀だった。


「号を『櫛火切くしびぎり』という。山隠れの刀匠・カナヤマヒコが、テナガ山の間借り代にと打って寄越した、大業物のひと振りだ。くしとは『し』、あるいは『くしび』……すなわち、霊的な存在を断つという目的にのみ特化している。魔物ケガレ相手には最大の武器となりうるだろう」


「へェ? くしたぁな、そいつはいい! なんとも洒落がきいてるじゃねえかアシナヅチ。今生の別れにゃもってこいってやつだ」


 古来より、日本において、くしは決別を意味する贈り物とされる。


「かえって気に入った。でもおれにはデケエ荷物があるし、男が持つ刀にしちゃあ名前がどうにも女くせえぜっ。てなわけで、小娘にやるよ」


 刀はクエビコによって乱暴に引ったくられて、ニギの手に渡る。

 もらったは良いがどうするべきか少し悩んだ彼女は、尻尾付きベルトと袴の間にちょうどよくつばが引っかかるところを見つけ、差し込んだ。


「クエビコよ、許せとは言うまい」


 アシナヅチは突然、両膝をつく。


「頼める立場でないのはわかる。それを承知で頼む」


 地に額を押し当て、はらはらと落涙する。


「どうか我が妻を、テナヅチを救ってくれい! オロチの呪縛から解き放ってやってほしいのだァッ!」


 無念を凝縮した、血を吐くような叫びである。

 オロチを殺してくれとは言いたくとも言えぬのだ。妻や村のためを想っての事といえども、自身は憎き怪物の精神的奴隷と成り果てているのだから。

 神としての恥を捨てての、この土下座による懇願は、しかし一蹴された。


「ふざけんな、手前の女房がどうなろうと知った事かよ。おれはただ、盗られたもんを取り返しに行くだけだ」


 クエビコは歩き出しながら、今度は、低く押し殺した声で呻く。


「……おれの友達はこれでもう、一人もいなくなっちまったよ。くそったれ、くそったれ……!」


 傍らでただ一人聞いていたニギは、直感を抱く。これは彼の精一杯の、小さな悲鳴なのだ。誰の耳にも入らぬようにとわざわざ注意を払ってでも、吐かずにはいられなかったのだろう。そう思うと彼女はなぜか胸が締め付けられる気持ちになって、目の前で揺れるヨレた着物の裾を、ぎゅっと掴んだ。


「なんだよ、放せ。歩きづれぇよ」


「あ、いや、えっと……なんとなく」


 さみしそうだったから、なんて。

 初めて会った時と同じに、泣いてるみたいだったからとか。


 臆病なニギには言えるはずもない。次の瞬間には張りつめて壊れてしまいそうな今のクエビコに、どんな言葉をかけていいのかも、見当がつかない。

 だから、せめて離れぬように、同じ歩調で進み続けた。


 ※    ※    ※


 さて、オロチ神殿を目指す一人と一柱が、テナガ村をった頃。

 そこから五十キロばかり隔てる大森林の奥地にて、うっそうと茂る野草を掻き分けながら、獣道を抜けようとする三つの人影があった。


「うっわ、虫っ」


 殿しんがりを勤める影が、情けなくわめきたてる。重厚な板金鎧プレートアーマーで武装し、輪郭を物々しくしている割に、小心者らしい。


「もーやだ、なんでここにもベンジョコオロギいるんだよっ」


「あらあら、随分と軟弱ですこと。殿方がそれでは恥ずかしいですわよぉ」


 どこかわざとらしい口調で喋る影が、くすりと笑う。こちらは、艶かしい曲線を描くドレスの上に、夜闇に溶け込む暗い色のローブを羽織っている。


 この神世においては、時代も様式も無視した異質な風体だ。

 そんな二名に対し、


「アンタ達、無駄話しないの!」


 特徴的な八重歯をむき出しに叫ぶのは、先頭の影。月明かりが照らすその姿を舐めるように見つめ、ローブの人物は嬉しげに声を弾ませるのだった。


「はぁ~い、タケルちゃ~ん♪」


「早くしないと、お祭りが終わっちゃうからね」


 少女……タケルは、腰に手を当てて、猫科動物めいた笑みを口角に刻んだ。


山田でございます。


更新できなかった日でも新たに読者となってくださったり、ブックマークをして頂いた方々、全力で感謝を捧げます。本当にありがとうございます。そして、これからも、是非ともよろしくお願いします。


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