其ノ一~すいみん不足~
ニギ は うごけなくなった!
突然の緊縛ショウであった。
「わうぅ~っ!」
濁りきった沼のごとき緑色をしたゲル状の生物が、無数の触手でニギの体を絡め取る。
「ナニやってんだ、ばっけろい!」
正面から迫り来る同種の怪物を、抱えた杭の横薙ぎでもって吹き飛ばしてから、クエビコは振り向いて叫ぶ。
下山は、途中までつつがなく進んでいるように見えた。そこはタニグク村から一番近い、大陸北部に寝そべる『ウンシュウ山脈』の一角で、テナガ山という。クエビコは実に二千年ぶりに踏み込んだが、飛び回るカラスの視覚情報を神力で盗み、安全な道を歩く事ができていた。
ちょいと目を離した隙に迷子となったニギが、魔物の巣である沼地に入り込むまでは。
緑と陰で視界を埋め尽くす草木の隙間から、魔物の気配がどんどん増えていくのを、クエビコは感じ取った。急いで離れなくては!
身を翻し、襲われているニギのもとへと駆けていく。しかし、お楽しみを邪魔するなとばかりに立ち塞がった新たな二匹が、体当たりをかけてきた。
彼はとっさに杭を横に倒して構え、衝撃を受け止める。
「どけこのぉ!」
足止めを食らっている間にも、糸引く粘液まみれの触手が、うら若き少女の柔い肢体を這いずっていく。
上半身では腕を封じて、襟元から内側に侵入し、決して豊かではない胸をこねくり回して弄ぶ。
下半身では脚を伝って、スカート状の裾から潜り込み、あらぬ部分を舐め回すようにまさぐる。
「あっ、ぅん……くっ、はあぁ、んひ、やっ……」
ニギはもはや抗えぬ虜。寄せては返す未知の感覚に震えを走らせ、頬を紅潮させて悶え、艶めく喘ぎを吐息に混ぜた。
さて、読者諸兄の誤解を防ぐため、語り部の『わし』から言わせていただく。
これは決して無意味な触手プレイシーンにあらず。
まず明確にすべきは、このゲル状生物はオスではなく、メスだという点。
では女の子同士のイケナイくんずほぐれつなのかというと、それも違う。
ちょうど人間大のサイズを持つこの種のメスは、半分以下のサイズしかないオスから精子を受け取った後、受精卵を体内で成熟させるが自分では産卵しない。他の生物を捕らえて植え付け、五百を越す赤子の苗床とするのだ。
すなわち触手での蹂躙はなにもエッチな目的ではなく、人間という未知の生物の体を探り、植え付けに適した部分を確認したいだけなのである。
果たして怪物はそこを見つけるに至った。
受精卵を注ぎ込むためのホースたる特別な触手が、いよいよニギの大事なところに向かおうとしたその時、
「うらああああァーッ!」
クエビコの雄叫びが、轟く。
彼は足止めの二体を踏み台にして跳躍すると、右脇で下向きに固定した杭の先端を、落下の勢いのまま突き降ろした。
怪物はゲルの中心に浮かぶ脳髄を的確に貫かれ、青い体液を噴き上げてどうと倒れ伏す。巨体が転がった先は、急な斜面であった。
「うあああっ」
「きゃああっ」
カカシと少女は悲鳴をユニゾンさせ、死骸と一緒に滑り落ちていく。
土煙と木の葉を巻き上げ、どこまでもゴロゴロと。
※ ※ ※
「ばっけろい! 朝からボーッとしやがって! なんであそこで道をそれるんだ、ちゃんとついてこいと言っただろ?」
流水のせせらぎが清々しい音色を奏でる川辺にて、クエビコはがなり立てた。目の前ではニギが正座し、暗い顔でうなだれている。
「落ちたところが運よくここだったから良いものの、崖かなんかだったらおれら死んでたぞ! いらん苦労させやがって!」
ここならどれだけ怒鳴っても魔物を呼び寄せる心配は無いと、クエビコは学んでいた。
自分達が穢れた存在であると理解している魔物達は、綺麗な水を怖れるという共通性質を持つため、川辺までは追ってこないのだ。
「ご、ごめんにゃさ……ふぁ、あふっ」
ニギはもごもごと呟きかけて、突然起こったあくびに驚き、口元を隠す。
「お説教中にその失礼な態度はなんだ! だいたいおまえ強えーんだろ? なんであのとき無抵抗だったよ? でかい剣だしてズバーッはどうした?」
「ふに……出し方、わから、ない……」
頼りなく答える顔は先程以上に惚けており、様子がおかしい。しきりに瞼を瞬かせ、細い体を揺すっている。
「ど、どした? まさかおまえ、もうタマゴ産み付けられちまってたのか? それじゃマズイ! み、見せてみろ! はやく脱げ下を!」
最悪の事態を想定したクエビコは気が動転するあまり、ニギに詰め寄ってしゃがみこみ、袴の裾に手をかけた。唐突な神のセクハラに悲鳴が起こる。
「ひっ、違う……! ただその、ねむくて」
「眠いだと?」
「おなかも、すいた」
「当然だろ。朝メシ出しても遠慮したのはおまえだし、ゆうべずっと起きてたのもおまえだぞ」
「違うんだよ、『こっち』に居てこんな風になるの初めてだから……」
困り顔で言われても、クエビコにはさっぱりだ。地上の者は食事も睡眠もとらないというのか? と頭を悩ませてしまう。
「こっちでものを食べるとか眠るなんて……想像できないし、怖くて無理」
「意味がわからん。それにしたって、生き死にのかかったあの場で戦わなかった事はどう説明つける。アマテラスの話だと旅人やって長いんだろ? 魔物を初めて見たわけじゃあるまい」
「そうだけど……仲間と居た時はボク、後衛ばっかで……弓とか魔法とかで支援してたから、前の方で戦った事ない」
「まほー? 地上の技術か? じゃあそれ出せばよかったろうに」
「……出せなくなってた」
しょんぼり肩を落とすニギの姿に、クエビコはムカッ腹が立ってきた。アマテラスは下級とはいえ神の自分に、こんな奴の子守りをさせたいのかと。
「だー! 使えねえ! とんだ役立たずだよおまえは!」
吐き捨てられた瞬間、ニギは雷を浴びたみたいに硬直する。たださえ虚ろな瞳により濃い影を落とすと、膝を抱えて後ろを向き、頭を垂れてしまう。
「ど、ど~せ、ボクなんか……っ」
「おちこむなァ~ッ! あー、ぶん殴りてェーッ!」
想像してた以上にウザさMAXの少女に、カカシの男は怒り心頭である。
「こんなお荷物と一緒に頑張れってのか神様よお~っ!?」
自身の肩書きを忘れるほど打ちのめされた彼の嘆きが、山中に反響した。
※ ※ ※
テナガ山の麓からさらに南下し、広大な森林地帯を抜けた付近に位置する平らな土地。
そこはアシナヅチという土地神の領地であり、ミズチ族と呼ばれる蛇の妖怪が住む村がある。その入口に、ニ柱の神が立った。
両者とも丈の長い外套に身を包み、深く被ったフードで顔を隠している。
「あーれあれ、聞いてた以上にエグい惨状になってんじゃんよ。俺らが行ったら確実に殺し合いだね。どーする『みっちゃん』」
長身の男神が、やたら明るい声で物騒な事を言う。
村の市場は客で溢れ、賑やかな声と活気に包まれている。どう見ても先の発言とは程遠い、平和そのものの光景。
だがそれは、本当は異常な光景だった。なぜならそこは四日ほど前、人間の一軍による襲撃を受けていたはずなのだから。
腰に刀らしき物を帯びた女神が、一拍置いて返す。
「『タヂ』……ことが起こってほしいような物言いは慎むで御座るよ。迂回して先を急ごう。今は帝の命令が何より先決なり」
「了解。でもぶっちゃけ、この似顔絵って参考になると思う?」
男が広げた巻物には、驚くほど稚拙な筆遣いで、二つの顔が描かれている。絵の下には、
『くえびこクン&にぎチャン
よしなに頼む ばーいアマテラス』
という文字が確認できた。
クエビコです!
ついに二章が始まったわけだが、いきなりの前途多難……。この女、天浮橋まで速達便で送りつけてえくらいだぜ。
さて、もう忘れられてるかも知れないが、おれはカカシの神であると同時に知恵の神でもあるんだ。てなわけで、今回はおれら神の事について少しだけ語ろうと思う。といっても、このお話の中だけの事だけどな。
・神様の肩書き……八百万の神様ってのは、地上の自然やら色んな物質を司っていて、その数だけいる。複数の肩書きを兼任してる奴もいるし、転属したりする奴もいるな。おれはカカシの神兼、田んぼの神兼、知恵の神。アマテラスは太陽の神兼、天空の神兼、ニートの神(仮)みたいな感じか。地上の文化の発達によって、属性が増えていってるぞ。知恵師仲間のオモイカネなんか、スーパーコンピューターの神もやってるらしいし。
・神様のランク……やっぱ八百万もいると、自然に上級下級は分かれてくるわな。都に住むようなメジャーな神は、地方のマイナーな神から『信仰エネルギー』を年貢みてーに搾り取ったりしているらしい。おれはゼッテー、アマテラスの奴に敬語なんか使わねーけど。
・神力……人間や妖怪から向けられる信仰エネルギーによって、神様が使う奇跡の総称だな。この力の強さで、そいつがどれだけ偉いかがわかるわけだが、おれは民を失って今んとこゼロ。やんなるぜ。この前の『タタリ』みたいな裏技で底上げする事もできるんだが、乱用はできないな。
・神様の死……神様だって生き物だからな。人間と違うのは、死んじまったら色々悪影響が出るんだな。おれが死んだら田んぼがなくなったりすんのかね。アマテラスが死んだら太陽がなくなるのか? まあ、すぐに代わりの役割を持つ奴が『成り出る(産まれる)』んだけどな。世界ってのは帳尻合わせるようにできてるもんだ。
まあ今はこんなところか。長くてすまない。神様の苦労にちょっとでも共感してくれたなら、また本編の方で応援してほしい。じゃーまたな!




