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小麦の短編集

野球ロボットの街

作者: 小麦

 ビルも建たない河原に田んぼ、たまに大きな家があったりするとひときわ目を引いてしまうような、そんな田舎の街並みを俺は歩いていた。俺はまだ30代前半、人生にくたびれるには早すぎた年のはずなのだが、今はそんなことなどどうでも良かった。すでに俺の日課は日中を散歩して過ごすことになっていて、それしか俺の楽しみを見いだせるものはなくなってしまっていたのだ。それというのも数か月前の出来事が原因で、もう俺に、先などありはしないのだ。何もない、俺にはもう何もないのだ。

「おい聞いたか? ピッチャーの早川の話」

「ああ、何でも右腕の故障でもう投げられなくなったんだって? せっかく今年はやっと一軍に上がれて最後のチャンスって時なのに、もったいないよなぁ」

言うな! それ以上俺の前でその話をするな! すれ違いざま、俺はそんな話をしていた会社員二人組にこう毒づいた。そうだ、俺は怪我をして野球ができなくなったただのオッサンだ。こうやってすれ違っても俺の顔なんて見たって誰も覚えていやしない。現役だったころはあんなにみんな騒ぎ立ててたってのに、引退した途端にこうだ。まったく、人間ていうのはどうしてこう流行に左右されやすいんだろうな。

流行といえば、俺が球団を出るとき、若いピッチャーがあんなことを言ってたな。

「早川さんの分まで俺頑張って投げますから!」

 あいつとしてはおそらく俺を励ますために言ったんだろうが、俺からしてみりゃただの嫌味にしか聞こえない。出ていくやつに対する激励の言葉なんて、当人からしてみれば感動も何もない。ただもうこの場所にはいられない、その冷酷な事実だけを突き付けてくるだけだ。そんな態度を表面に出すわけにもいかなかったから俺は素直に、

「おう、俺の分までしっかり頑張って投げてこいよ!」

って明るく返してやったがな。あの時ほどつらいものはなかったさ。しかし、こいつは純粋に俺に憧れてる奴だったからまだいい。別のやつなんか、俺に変な都市伝説を話してきやがった。

「そういや知ってるか? 夢半ばで引退してった奴ってのはどこかに拉致られて行方不明になるって話。何でも20年くらい前に怪我で引退してったピッチャーとかバッターはみんないなくなったらしいぞ。まあ、もうずいぶん昔のことだし、心配ないとは思うけどな」

 そんな根も葉もない噂話ばっかりに左右されてるからお前はダメなんだよ。だからいつまでも二流ピッチャーなんだ。そんなくだらないことを考えてる暇があったらあの若いピッチャーみたいに練習に励んだらどうなんだ、なんて言葉が喉から出かかるくらいにはムカつく言葉だったな。もっとも俺も最近まで二軍にいた二流ピッチャーだったがな。ちなみにその時も俺は、ああ、気を付けるよ、とか言って上手く流したよ。

 思えば今まで長かった。小学生のころから野球一筋でクラスメイトからお前野球なくなったら生きていけないんじゃないのか、なんてからかわれたこともあった。中学ではそれなりに名の知れた有名私立に入ってさらに野球に打ち込んだ。高校のころは野球に明け暮れてばかりじゃダメだと先輩が合コンを企画してくれたこともあった。結局その時その場にいたやつの一人が今俺の妻になっているわけだが、あれだけ野球一筋だった俺に生涯共にできる伴侶ができるっていうから、人生分からないもんだ。とはいえ、今の俺の妻は何もしてはくれない。どうも俺が野球選手を目指していて、年俸を稼いでくれそうだ、という玉の輿目当てに結婚したようなのである。だから、俺がプロ入りするまでは彼女も頑張って俺に尽くしてくれていたのだが、俺が二軍に落ちてからは冷たい態度を取るようになった。俺は焦るあまり彼女に何度も八つ当たりしたし、口げんかになったこともしばしばだった。だが、それは俺が頑張っている前提があっての話だ。怪我で引退せざるを得なくなってからはいよいよ彼女にも逆らえなくなり、居場所のなくなった俺は家から出てストレスから少しでも逃れるしかなかった。それが今俺が外でのんびり散歩している理由だったりもする。彼女といたってどうせ文句を言われ続けるだけだ。ストレスでしかない。

話を戻そう。そして高校野球では甲子園まで行き、そこそこの成績だった俺はプロ球団の2位指名で入団した。しかし結果が出せなかった俺は二軍に転落、そこからは泥沼の人生だった。だが俺は諦めず、そこからも日々練習に励んだ。高校のころは使えなかったフォークすら使えるように訓練した。だが、それが結果的に俺の投手生命を縮めることになった。試合で使えるように頑張って投げたボールは、俺を試合に出させる期間を短くしてしまったのだ。確かにフォークボールが腕を痛めやすいのは自分でも知っていたし、コーチからも言われていた。それでも結果を出すには新しい変化球に頼らざるを得なかったのだ。結果俺は今年一軍復帰まで見えてきていて、数日後には復帰するはずだった。だが、俺のからだはすでに限界だったのだ。腕の骨が剥離し、とても投球できる状態ではなくなってしまったのだ。俺は何度も主治医に交渉した。また投げられるようなことはないのか、と。そしてリハビリすれば可能性はある、という主治医の言葉を信じてリハビリを続けた。だが、結果リハビリに失敗し、俺の腕はとうとう元には戻ってくれなかった。最後には主治医は深刻そうな顔で、「残念ですが、この状態では……」と繰り返すばかりだった。その時には何を言われたのかさえ信じられないくらいだった。だが、やがて自分の頭が状況を理解し始め、そこでようやく悟ったのだ。俺はもう、使い物にならないただのガラクタなのだと。

 そこから先の俺は先ほど述べたように、こんな風にして毎日のように家から出て散歩を繰り返す寂しい人間になってしまった。何の楽しみもない人生だ。強いて言うなら今まで全く知らなかった地元の田舎じみた風景をのんびり眺める機会が増えたことが挙げられるわけだが、そんなものを楽しみに含めてしまっては俺は本当にただ老いるだけの操り人形マリオネットになってしまう。流れる時間に身を任せ、操られるかのようにボーっと過ごすだけの人形。そんな人生を過ごすくらいなら、俺は多分死を選ぶだろう。

 そんなことを考えながら俺はどのくらい歩いたのだろうか。知らない場所に来ていたことに気付いた。俺は確か河原のある道を歩いていたはずなのに、そこは驚くほど色のない世界だった。いや、色はあった。グレーと白と黒。それは昔にあったブラウン管テレビであり、モノトーン。まるで、俺の目に映る世界を表現したかのような、そんな孤独な世界。今までもぼんやり歩いていた時にたまに知らない場所に来ていたことはあったが、こんな風に自分がいた世界なのか、と首をかしげたくなるような場所に来ていたのは初めてだった。疑問に思いながらも、俺はそのまま歩を進める。そこに映し出されたのはまるで今の俺のように世界に居場所を失ったものばかりであった。穴の開いた鍋、液晶の割れたテレビ、空気の抜けた野球ボールetc…。使えなくなった瞬間に忘れ去られていく。そうか俺の存在とは日用品と同じくらいの価値しかなかったのか。知ってしまうと案外悲しいものだ。だが、不思議と俺は今の状況を素直に受け入れていた。おそらく今の人生にもう楽しみも喜びもないのが分かっているからだろう。一軍に上がり、テレビに映るあの楽しみさえ味わえなかった俺には既に残りの自分の人生が1円の価値もないことを悟っていたのだ。

 そのままさらに歩くと、また何かが落ちていた。これは……ユニフォーム?

「確かこれ、冬元の……」

冬元というのは俺の二軍時代の仲間である。もっとも、俺よりも先にひじの故障が悪化したせいですでに引退したはずなのだが……。なぜ奴のユニフォームがこんなところに落ちているのだ? そう言えば少し前に奴が行方不明になったとかいうニュースを聞いた気もするが……。まあ、ここで考えても仕方ない、先に進むとしよう。

今度は再び河原が見えてきた。ただし、今度は先ほどまで歩いていたような河原ではない。それは、広いグラウンドの付いた河原だった。モノトーンなのは相変わらずだが、おそらくここでサッカーのようなグラウンド競技が行われているのだろう。おそらく、俺が専門としていた野球も。だが、今度は先ほどとは少し状況が違っていた。それは、こんな灰色の世界にも動くものがいたことである。もっともそれは人間ではなく、体が思うように動かせないはずのロボットたちであった。確かに俺の目から見たらお世辞にも上手いと言えるものではない。しかしこいつらはとても優雅に、華麗に、野球をしていた。最初俺はどこかでロボットコンテストでも行われているのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。そのロボットを作ったはずの人間たちがいないのである。そのロボットたちは何かに縛られた様子もなく、ただのびのびと野球を楽しんでいた。

(俺は……あんな風に楽しく野球ができていたんだろうか?)

 その様子を見ていた時、何故だかそんな疑問が頭をよぎった。俺は今まで人生のすべてを野球に費やしてきた。だが、果たして俺は野球を心から楽しめていたのだろうか? 小学生くらいの頃は、始めたばかりということもあってか、毎日がとても楽しかった。だが、中学生くらいになってくると、試合に出ることや実力主義ばかりが先行して、本当に楽しく野球をできていなかったような気がする。まして甲子園やプロともなれば尚更である。野球を止めた今、そのことが俺に強くのしかかってきた。結局、俺は生涯引退するまで続けてきた野球ですら、何も残ってはいなかったのだ。体をボロ雑巾のようになるまで酷使し、ただ生活のために投げ続けた。球を投げて打つだけのスポーツに、俺は人生の全てを投げ打ってしまったのである。どうせこんな風になるなら、いっそ野球と出会わなけれ良かった、とまで思ってしまう。もっともそれは結果論であり、そんな考えがあっても俺が野球を好きである事実は変わらない。そのことが俺により辛さを与えてくる。

(俺の人生って、一体何だったんだ……?)

「……もし、そこの方」

 俺がそんな後悔の念に苛まれていると、突然目の前から声をかけられた。声をかけてきたのは、先ほどの野球をしていたロボットのうちの一体だった。

「ああ、どうもです」

俺は事務的な挨拶をして、そのロボットの顔を見る。妙に人間味のある顔であった。

「お前は、早川優すぐるだな? プロ野球の二軍で活躍し、一軍復帰を目指していたが、腕の怪我が原因で引退した」

「俺のことを……知ってるんですか?」

俺は驚きながら聞く。こいつが俺のことを知っている、と言ったことももちろんだが、ロボットのはずなのに俺はこいつをどこかで見たような気がするのだ。それもそう昔の事ではなく、割と最近に。

「そりゃそうだ。ここは野球ロボットの街。野球の情報なら何でも入ってくるさ」

「野球ロボットの……街?」



 俺はその後その野球ロボットたち約二十人に囲まれて、話を聞くことになった。どうも聞いたところによると、ここは野球ロボットが住んでいる街のようだ。野球ロボットと言っても作り主がいるわけではなく、いつの間にかロボットが増えていることが多いらしい。一体どこでメンバーが増えているのかは誰も知らないそうだ。

「なんて不気味な街なんですか……」

「私に聞かれても知らんよ。私だっていつの間にかこの場所にいたんだから。それに、私は昔こんな姿ではなかったような気がするのだ」

「……こんな姿じゃ……ない?」

 その言葉に俺は疑問を投げかける。それは最初このロボットを見た時から思っていたことだった。というか、他の俺を囲んでいるロボットたちですら、全員がどこかで見たことがあるような気がしていたのだ。

「……まぁ、そんなことはどうでもいいのだ。今となってはそんなことを考えることすら無意味なことになってしまっているしな」

「無意味なこと……ですか」

「ああ、私たちはもうそんな細かいことなど気にせずに、のんびりと野球ができてさえいればそれでいい、そんな野球バカの集まりだからな」

 それは、彼らを見ていればうすうす感づける話であった。彼らの体は泥にまみれ、光沢のあったはずのボディにはもう輝きなど残ってはいなかったからだ。だが、彼らには不思議とそんな作り物の輝きではない、もっと体の内からあふれ出るような輝きを持っているように見えた。

「いいですね、そういうの」

俺は誰に言うともなしに、そう呟いていた。実際、俺が憧れていたのはこのロボットたちがやっているような野球だったのだ。俺の目から見ても、今のプロ野球はお世辞にも良い物とは言えないものだ。薬物の不正使用が横行し、プロ野球選手というレッテルそのものの価値が落ちた。そしてふたを開けてみれば、プロの世界とは自分の技を見せつけるような場所で、ピッチャーなら防御率や奪三振数、バッターならホームラン王や打点王と言ったタイトルを獲得するために必死になるばかりだった。このロボットたちのように楽しむという概念はそこにはかけらもなく、俺が目指していたものもそこにはなかったはずだった。だが、結果的に俺は今の今までその現状に不満すら持たずに生活してきたのだ。それは、蔓延していたそう言った風潮に、俺自身同化してしまったからに他ならない。朱に交われば赤くなる、とはよく言ったものだが、俺がそんな奴らに染まってしまっていたのは引退した今ならばよく分かる。

「どうだ、お前も俺達と野球やってみないか? お前なら俺達と一緒にきっと楽しい野球ができると思うんだ」

 別の野球ロボットが俺にこう話しかけてくる。何だろう、こいつの話し方、冬元にそっくりな気がするのは何でだ……?

「でも、俺はもうミットに球が届くかどうかさえも分からないんですよ? そんな奴が入ったって……」

「構わないさ」

そう言いかけた俺の言葉を、最初に俺に声をかけた野球ロボットが声をかけた。

「私たちはそんな小さなことを気にして野球をしているわけじゃない。野球を楽しむ心と野球を愛する心、それさえ持ち合わせているなら誰だって大歓迎だ」

「そうさ、お前はもう俺達の仲間だってみんなに認められたんだぜ! そんな細かいこととか気にしないで、ただやりたいって一言言えばいいんだよ! そうすりゃみんなハッピーさ!」

 その言葉を聞いた俺はこう悟っていた。俺の居場所はここなのだ、妻にさえ見捨てられ、居場所のないあの世界に戻るくらいなら、このロボットたちと心から野球がしたい、と。そう分かった時、俺の目から一粒の涙が、流れるように落ちて行った。



 そして俺はあれからこの町に住み、彼らと一緒に野球をしている。何故かは知らないが、もう動かないはずの腕は普通に動くようになり、キャッチャーミットまでボールが届くようになった。俺の腕は前より動かしにくくなったような気もするし、俺の体は彼らと同じようにガチャガチャとやかましい音を立てるようにもなった気がするのにもかかわらずだ。だが、俺がいつここに来たとか、そもそも俺の腕が使い物にならないことさえもうほとんど覚えていない。そんな小さなことなど、俺からしたらどうでもいいことだ。俺にとって今大事なのは、彼らと一緒にする野球で、野球を愛する心を忘れないことなのだから。

「よーし、休憩するぞー!」

「はい!」

 あの俺を誘ってくれた方がそう声をかける。彼はこの団体のリーダーで、20人近くになった野球チームをまとめ、取り仕切る立場の人間だったようだ。

「ふう、疲れた……」

俺は河原に座り、持ってきた水筒の中のスポーツドリンクを飲むことにした。水筒のふたを開けて飲もうとすると、俺の方に一冊の新聞が風に流されて飛ばされてきた。

「何だ、まったく……」

俺はその文字をチラッと読む。そこには、(元投手の早川優行方不明! 引退を苦に自殺か!?)の文字があった。

「ふーん、こいつも大変だ。何かの事件にでも巻き込まれてなければいいけどな」

「よし、休憩終わるぞー!」

 俺が新聞に目を通している間に、休憩時間が終わってしまったらしい。

「はい!」

 俺は他のメンバーと同じようにそう返事をしてから、急いでグラウンドに走った。

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― 新着の感想 ―
[一言]  かつて感動した映画のフィールド・オブ・ドリームスを思い出しました。  奥さん(実は良い嫁orやっぱり嫌な嫁?)が出てくると、もっと面白くなりそうな気がします。
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