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ぴょん、と浜に下りたメグは岩場に向かって一目散……とはいっても足場の悪い砂地のうえを走っているのだからスピードなど出ない。
「ああ! この鈍足感も恋の試練っぽい!」
もがくように足を動かすメグの隣に、すいすいと走るフェアリーが並んだ。
「お嬢様、こんなに足場の悪いところではしるとあぶないですよ」
「恋する乙女は無敵だから大丈夫……ってか、あんたどうやって走ってるの!」
フェアリーは、まるで平地の固く踏み固められた道を走るように軽々と足を動かしているのである。メグが驚くのも無理ないこと。
「難しいことではありません、他の人間にはわからぬようにほんの少しだけ、体を浮かせているのですよ」
「あ~、なるほど、さすがは『フェアリー』……」
「失礼ながらお嬢様、その呼び方をしなければあちらの岩場まで運んで差し上げますが?」
「やっだ~、恋する乙女は一刻も早くいとしい人の顔を見たいものだって心得てるじゃな~い、この、イケメン♡」
「イケメンというのがどの様なものかは存じませぬが、褒め言葉だというのは伝わりました。どうぞ、お嬢様」
フェアリーが差し出した腕に、メグが取りすがる。それでも彼は細身のクセに軽々とメグを引き上げ、腕の中にすっぽりと『お姫様抱っこ』した。
「こ……これは乙女の憧れの! いやんいやん! だめぇ! こういう抱っこは結婚式のときにだんな様になる人にしてもらうものなの!」
「はあ……俺だってこういう抱っこは結婚式で、お嫁様になる人にしたいですよ……でも、運びやすいんだからしかたないでしょう、ちゃんとつかまっていてくださいよ」
砂浜の上を滑るように歩くフェアリーに抱えられては、岩場までなどあっという間だ。
「ここまででいいわ。運命の彼が嫉妬深い人だったりしたら、大変だもの!」
フェアリーの腕を振りほどいたメグは、灰色の岩礁の上にぴょんと跳びおりた。波で現れ続けたその表面が思ったよりもなめらかで滑ることには驚いたが、これも恋の試練とばかりに足を踏ん張って飛び越える。
「わ♡た♡し♡の♡おうじさま~ぁ!」
飛びこんだ小岩の陰は引く塩のせいでできた潮溜まりになっていた。時々よせる大きな波がわずかにちゃぷちゃぷと音を立てるだけの、静かな空間だ。
そこに一人の青年が倒れていた。
「ああン! メグのおうじさま~ぁ! 登場してすぐに死んじゃうなんて薄幸すぎる~」
フェアリーが飛びつくようにして彼の心臓の辺りに耳を当てる。
「大丈夫、生きています。おそらく、軽くおぼれただけかと」
彼の体は塩水に濡れ、髪には海草の切れ端がぶら下がっているのだから、おそらくはフェアリーの見立ては間違っていないのだろう。
「この肌の色、髪の色、美貌……ここよりも少し内陸に入った、チノー地方の民でしょう」
その男は、晴天の下で明るくゆれる海の色に似たブルーの髪をしていた。まるで海の欠片から生まれたようだと、さすがのメグですら見とれたほどである。
髪の下にすっと形良く置かれた眉もやはりブルーで、今はかたくとざされているまぶたの下にも同じようなブルーが隠されているのだとしたら、これはどれほどに美しい男なのだろう。
「いいわね、あっちの世界にいたころはブルーの髪なんてマンガの中でしか見ないものだったから馬鹿にしてたけど、実際に見るとけっこうクルわね」
男は短めに刈り込んだ短髪をわずかに揺らして、眉をしかめる。
「う……」
「どうやら本当にたいしたことはないようです。このまま水を吐かせましょう」
「いや! だめ! まって! その前にやることがあるでしょう?」
「やること、ですか?」
「いい、メグ、落ち着いて考えるのよ。海辺で倒れている王子様を助けるなんて、人魚姫のパクリじゃないの?」
「何をブツブツ言ってるんですか」
「いいからだまって! それでも、恋の始まりなんて平凡なぐらいがちょうどいいかも……パクリでもいいかしら、この後の展開で面白おかしく盛ればいいんだし!」
「彼、そろそろ気がつきそうですよ~」
「ああ、だめ! だめよメグ! 浜に倒れている王子様を見つけるのは村娘の役目! 人魚姫は深い海の底から王子様を助け出さなくっちゃ! そうして『幸せをつかんだ人魚姫』に私がなれば、これはもう、パクリじゃなくてオマージュ!」
メグはぽん、と手を打った。
「うん、それで行こう。フェアリー君、彼を海に投げ込んでちょうだい!」
「何を物騒なことを言ってるんですか……それに、ほら、お目覚めですよ」
メグが妄想を垂れ流している間も、フェアリーは彼にみぞおちを締め上げて海水を吐かせていたのだ。だから、その男は大きく咳き込み、体を跳ね上げるようにして起き上がった。
「ぼく……は?」
「ああ、お目覚めになりましたのね、王子様♡」
「誰かがずっと……ぼくが死の向こう側へ行ってしまわないように呼びかけてくれていた……気がする……うるさいくらいだったけど」
「それはメグがわめき散らす声だったのでは?」などと聞くほどにフェアリーは無粋ではない。
「それはおそらく我が主、アルバトロス=メグ様のお声ではないかと。ずっとあなたに呼びかけておりましたゆえ」
「そうなのですか、美しい人……あなたは私の命の恩人です」
美しく澄み切った青い瞳がまっすぐにメグを見つめる。
その瞬間、彼女は自分の胸を押さえてうずくまった。
「はうっ!」
「ど、どうなさいましたか、お嬢様!」
「恋に落ちる瞬間って……本当に『トゥンク』って音がするものなのね……」
「は?」
このやり取りを見ていた青髪の男は、軽く握ったこぶしを口元にあててクスクスと笑った。それはひどく上品な仕草であった。
「あなたは愉快な人だなあ」
「でしょ、ユーモアがあるって、良く言われちゃうの」
「とりあえず、助けていただいたお礼をしなくては……私はチノーの国を治めるホロアの族長、聖なる戦いをする者の二つ名を持つコウラーの息子……」
「長い!」
「はい?」
「恋する二人に肩書きなどいらないの♡ スッパリと簡潔に、名前だけを教えてちょうだい」
「要するに簡潔に名乗れってことですね。私はキリコ……」
「だめえ! その名前はだめ!」
メグが悲鳴を上げた。
「青い髪で、短髪で、その名前はだめ! パクリだって言われちゃう!」