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メグが湖水の中に飲み込まれてから8年の月日が流れた。
ただの子供の姿になったフェアリーを養い子として引き取ったのはメグの両親で、これは心だけでもメグの近くにいたいというフェアリー自身の希望でもあった。
そして今日、17歳の誕生日を迎えた彼は、養い親が用意してくれた真新しい執事服に袖を通した。
「メグ様……」
いとしい女が消えた湖水のほとりで、彼は一冊のノートをそっと開く。
「『メグの南国キラキラ日記』……未完のままじゃないですか。続き、どうするんですか」
それは彼女が残した形見で、彼はそれを折に触れては開いてメグをしのんでいたのだ。もはや一字一句をそらんじれるほどに何度も読んだ物語ではあるが、それでも、これを開けば彼女がすぐそばにいて、あのクソ生意気な物言いで無理難題を吹っかけてくる……そんな気がするのだ。
「待ってろって、自分で言ったくせに……いつ戻ってきてくれるんですか」
戦闘精霊であればこの程度の湖水、かきわけ泳ぎぬいてでも彼女を迎えに行くだろう。
だが、彼はその力を失い、ただの人間となった。もはやそれすら叶わない。
「メグ様が戻ってこないなら……俺が続き書いちゃいますからね」
彼は胸元にあったペンをついと抜き、ノートの新たなページに滑らせた。
『メグのキラキラ南国日記~待ちわびたフェアリー編~』
フェアリーは今日も湖水のほとりに立つ。彼は美しい少年に成長していた。
メグは……湖のそこに沈んでしまったが、彼だけは知っている、彼女が眠っているだけだということを。
フェアリーには視えている、その映像が。
フェアリーが17歳になったとき、彼女は目覚めるのだ……
そのとき、なだらかにないだ湖水の表面にコポリとひとつだけ、小さな泡が上がったのをフェアリーは見逃さなかった。
「ん?」
妙な胸騒ぎを感じて、泡の正体を見極めようと湖水に顔を近づける。その耳にどこから響くのか、かすかな声が聞こえた。
「ウンエーニ……ツウホウ……」
「ウンエーニツウホウ?」
どこか遠い異界の呪文か、それは耳慣れない言葉であった。
「ウンエーニツウホウ……」
先ほどよりも声が近づいた気がする。まるで湖水のそこから、何かが上がってくるような……ゆっくり、ゆらりと声が近づいてくる。
「ウンエーニツウホウ、ウンエーニツウホウ……」
フェアリーの目の前でゴボゴボ、ガバガバと湖水の表面が泡立ち、盛り上がり……ついにザバーっと音をたてて、『それ』は姿を現した。
「運営に通報ッ!」
「メグ様っ!」
喚起の声をあげるフェアリーを見下ろして、彼女は8年前とまったく変わらぬ姿と態度で鼻先を上げた。
「だめよっ! ふぇありーくん! パクりはだめっ!」
「すいません、メグ様の世界の創作物には詳しくないので、どこがパクリなのかさっぱりです」
「いいわっ! メグがゆっくりと教えてあげる!」
あくまでも強気な態度に、フェアリーの頬が緩んだ。
「……おかえりなさい、メグ様」
「……ただいま、フェアリーくん」
ここで恋人同士、再会の抱擁ぐらいあってもいいだろうに、そうはならないのがピカピカ導師の悲しいところである。
「いくわよ、フェアリーくん!」
「い、いくってどこへ?」
「メグをこんな目にあわせた神様をぶっ飛ばしに!」
「でも、俺は猛戦闘精霊じゃないから……何の役にも立ちませんよ?」
「なに言ってるのよ、あんたがいなかったら、誰がツッコミを入れてくれるのよ」
「ツッコミ!? 俺、ただのツッコミ要員ですか?」
「あたりまえでしょ、大事なツッコミ要員よ!」
ぐるりと人差し指を回して、メグが言霊の陣を描く。
「『メグのキラキラ南国日記』は、ハッピーエンドで終わらせるんだからね♡」
言霊の光は辺りに飛び散り、キラキラ、ちらちらと静かに降った。
「ついてらっしゃい、フェアリーくん!」
「待ってくださいよ、メグ様! 本当に強引なんだから!」
歩き出した二人の上にチラチラ、キラキラと、それはまるでライスシャワーのようにも見えるのだった。
~FIN~




