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 オーバールックホテルは大きな街道沿いにある宿で、造りとしては豪華さを目指したかったのか、レンガ造りの瀟洒な古城の趣である。

 入り口に近い壁面にびっしりとツタを這わせた古風な演出のすぐ隣に、色彩感覚を失った抽象画家に書かせたのではないかと言うほどどぎつい極彩色でホテル名を染め抜いた看板が立っている。この違和感がまた、思いがけぬ恐怖感を演出しているのだ。

「ねえ、フェアリー君、やっぱり……」

「おや、どうしました? やっぱり、お家へ帰りますか?」

「帰るわけないでしょ! 怖くないし!」

「ほんと、強情ですねえ」

「いいから、いくわよ!」

 と、強気を装って扉をくぐりはしたものの、ロビーのど真ん中でメグは足を止めた。

「マジで……ここ泊まるの?」

 ロビーは広く、薄暗い。カウンターのあたりにはろうそくが立てられているのだが、それがかすかな煙のにおいと共に放つ光はあまりに儚くて頼りない。だから、広いロビーのそこここに闇がわだかまっている。

 絨毯が暗い紅色なのも良くない。這いずるような闇を吸い込んで黒にも見えるそれは、人間の血の色を思わせて踏むことさえ厭わしい。

 とどめはフロント係としてカウンターに座っている老婆の容姿で、俯き加減の顔を隠すほど長い白髪がひどく恐ろしい。

「てか、不気味な老婆とか、ホラーとしてはテンプレであざとくない?」

「いきなりどうしたんですか、お嬢様」

「べつにっ! 怖いわけじゃないのよ! ただ、ホラーとしてはあまりにありきたりだなって思ったら、腹が立ったの!」

「素直に言いましょうよ、怖いんでしょ?」

 フェアリーの言葉は優しく、決してメグを揶揄しようというものではなかったはずだ。

 それでもメグには癇に触る一言だったのだろう、つんと鼻先を上げて胸を張る。

「全然怖くなんかないし! そもそも、お化けなんて非科学的なものは信じてないのよ、私」

「本当に?」

「本当よ。さっさとチェックインしてちょうだい!」

「はいはい」

 フェアリーはカウンターへと向かう。当然、メグには背を向けた形になる。

 そのとき、メグは見てしまった……それは誰に強要されたわけでもないし、そちらを見る理由があったわけでもない。強いていうなら……

 ふわりと風が吹いたような気がして、メグはロビーから客室へと続く暗い廊下を覗き込んだ。

「んん?」

 暗がりの奥に、そこだけ薄っすらと光を放つほど白い『なにか』がいる。

「んんんん?」

 目をこらしてよく見れば、それは真っ白いネグリジェを来た幼い女の子であった。

 着ているものだけではない、彼女の顔色はあまりに白い。ビスクらしい人形を大事そうに抱えているのだが、その人形の肌よりも薄く透けるようで、青ざめてさえ見える。

 その少女がふうっと音もなく視線を上げて、メグに向かって微笑みかけ……

「おばあさ~ん、こんな時間に廊下を子供がうろついてるんだけど、こういうのって親の怠惰だと思うのよね。ちょっと、あの子の親を呼んでちょうだい」

 フロント係の老婆は、皺に飲み込まれそうな目を寂しげに潤ませてメグに向けた。

「子供ですか、女の子でしょう?」

「ええ、そうよ。女の子だからこそ、こんな時間にうろつくような危機管理能力の無さは、ちょっとどうかと思うの」

「その子の母親は、あたくしでごぜえますだ」

 老婆はすでにだいぶ前に閉経を迎えただろうという年齢、なのに、廊下に立つ少女はあまりにも幼すぎ……

「母親なら、ちゃんと子供のしつけくらいしてくださいな。子供はもう寝る時間でしょ」

「いえ、あの子は……」

「こんな時間に子供がうろついているとか、ホラーとしてはテンプレだわ。一瞬、本当のお化けかと思っちゃった」

「ですから、あの子は……」

「まあ、メグは無敵の言霊使いだから? 別に怖くなんてないんだけどねっ! 他の人はびっくりして腰を抜かしちゃうんじゃないかなっ」

 メグが何も聞く気がないのを悟ったか、老婆は深いため息をつきながら手元の宿帳に視線を落とした。

「ええと、今日はダブルのお部屋しか空いておりませんが、よろしいですか?」

 『意外と常識人』のフェアリーは眉を曇らせる。

「いえ、さすがに同室はまずいかと……」

 しかし、メグは飛び上がってフェアリーに駆け寄り、その袖をつかんだ。

「同室のほうがありがた……いえ、がまんしてあげるわ! 旅寝なんだから、そういうこともあるわよね!」

「いや~、主従の関係で同室とか、世間の噂がやばいでしょ」

「別にお化けが怖いってワケじゃないんだけどね、お願い、一人にしないで?」

 思わぬ可愛らしい言葉に、フェアリーは目を見開いて驚いた。

「え? あれ? だって、お嬢様、アレが怖くないんですよね」

 フェアリーが指差したのは廊下に立つ白い少女だ。その少女が耳までを裂くように大きく口を開けて笑っている。

「べつに? 子供がどうして怖いのよ?」

「あ、そうですか……」

「それに、お化けだって別に怖くないって言ってるでしょ! むしろ怖いのは、こんな時間に子供を起こしておく、この人の非常識よ!」

 老婆が目を剥く。

「え?」

「いいこと? 子供の成長に必要なのは成長ホルモンなの。これは体内時計のリズムと、睡眠時間が……」

 見かねたか、フェアリーが間に入る。

「いや、お嬢様、あの子供も部屋に戻ったようですし、もういいじゃありませんか」

 ふと見れば、まるで煙が掻き消えたように少女の姿は消えてしまっていた。

「なるほど、私の心が届いて、自らの罪を恥じたのね。良いでしょう、私のいうことを良く聞いて、悔い改め、自ら成長しようとする人間は嫌いじゃないわ」

「はあ、おえらいんですね」

「うん、言霊使いだからね♡」

「ともかく、同室はいけません。お嬢様だって(正体はともかく)若い女性で、しかも名のある家の息女なのですから、俺なんかと同室に泊まったことが世間に知れたら、さらに縁遠くなっちゃうでしょう?」

「あら、それならそこのおばあさんに少しばかりチップをはずんであげなさいな」

「汚い……他人の口を金でふさぐのですか」

「いいえ、違うわ、これは親切よ。さっきの子供、見た? やせっぽっちで顔色も悪くて、あんまりごはんを食べていない感じだったじゃない? それに、女性なのに深夜の労働に従事しなくてはならないっていうのは、家計が苦しいからなんじゃないかしら。そういった貧しい衆愚を救うのも神官職の家に生まれた娘の宿命!」

「はあ、相変わらずお見事な推理ショーでございます。パチパチパチ~」

「つまり、私の親切に対する彼女の良心を信じようと、そういうことよ」

「つまり、良心を買えるだけの金額を渡して来いというわけですね」

「そういう言い方はやめてちょうだい。私は、あの人に愛を分けてあげたいだけなの」

 それからメグは、いかにもかわいらしげにくるりと回って、キャピっと人差し指を立ててウインクした。

「それに、メグはフェアリーくんなら紳士だから同室でもマチガイは犯さないと信頼してるんだゾ☆」

「ああ、まあ、おじょうさまに手を出すことは絶対にないと誓えますわ」

「でもぉ、キス……くらいなら許しちゃってもいいかな……くらいの覚悟はあったりして……」

「ご安心ください、キスどころか指一本触れないと誓えますから」

「え、そう?」

「じゃあ、チェックインしてきますからお待ちください」

 そっけなく向けられたフェアリーの背中に向かって、メグがもう一声をかける。

「ガマンしすぎは良くないんだゾ☆」

(いやいや、何のガマンだよ)

 心の中でだけ深いため息をついて、フェアリーはカウンターの老婆から宿帳とペンを受け取るのだった。


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