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主たちの食事がすめば、使用人であるフェアリーにもやっと食事をとる隙ができるわけで、これが口うるさいメグから離れるつかの間の休息でもあるのだが……
「飼い葉おけで食事なんかして、体を壊したりはしないんですかね」
手元にスープの入った鉢を抱えたまま、ぼんやりと空を見つめながらのフェアリーの言葉は、本当に純粋な独り言だった。
それでもここは使用人用の大食堂なのだから、肩が触れ合うほど近くにいたコックの男が答えた。
「さっきの嬢ちゃんかい? なあに、頑丈そうなコだから、せいぜいが腹をくだす程度だろうさ」
「そうですか……」
それでも不衛生な使い古しの気桶から直接食べ物を食べたのだ、きっと気持ち悪かったに違いない、胸がムカムカしたりしないだろうかと……
「はうっっ!」
「どうした、胸なんか押さえて」
「なんだか一瞬、痛かったような気が……」
「そりゃあいけないなあ、医者でも呼ぶか?」
この会話を向かいの席で聞いていた若い給仕女が笑う。
「いやいやいや、そういうことじゃないっしょ」
フェアリーは不安に顔を曇らせた。
「すでに医者も要らぬほどの病状だと?」
「だから、そういうことじゃないんだな~」
給仕女は得意げに鼻を「ふすん」と鳴らす。
「あたしは~、給仕しながら見てたけど~、あんた、その痛み、あの飼い葉おけの人見たときにもなかった~?」
「ああ、ありました。ひどく甘やかな痛みが」
「それって~、恋っしょ」
「……はて? 恋とは?」
「だ~か~ら~、ラヴでしょ、ラヴ! 恋心!」
「あ~、ラヴ……」
一瞬納得しかけたフェアリーは、しかし、次の瞬間には我にかえったように首を強く振ってそれを否定した。
「そんなはずはありません。だってあの女性は白髪じゃないし」
「ナニそれ」
「俺が理想とする女性像です。あの方は、確かにきれいで大人の落ち着きがありますが、俺が理想とするのは十代後半、それに胸も、あのくらいあれば十分美しいですが、俺の理想はもっと大きくて……」
「そういう理屈や理想を飛び越えて落ちるのが恋なのよ」
「理屈や理想を……飛び越える?」
「ともかく、アタシも食事終わったから、お腹にきくハーブティー入れてあげるからさ、それをあの人のところに持っていってあげなよ」
「何で俺が……」
「いいからいいから、んっふ~♡ そのかわり、あとで話聞かせなさいよ!」
「はあ」
フェアリーは気のない返事を返しながらも、足元がスキップを踏みたくなるほど軽くなるような、そんな自分の中の高揚感を怪訝に思った。
「やはり、具合が悪いんだと思うんですけどねえ、動機も激しいし」
それでも九時女は強引で、彼女が入れたハーブティーのポットを持たされたフェアリーは馬小屋へと向かう。
「別にはしゃいでなんかいませんよ。なんというか……そう、足腰の鍛錬です」
誰もいないのに一人で言い訳などかまして、軽くスキップを踏む。
「ふむ、なんだか本当に楽しい気分になってきましたね」
馬小屋の前で一度立ち止まり、彼は深く深呼吸した。
いままで……彼が恋をした相手といえば紙の中にしかいない人物……絵草紙に出てくる姫君たちしかいなかった。
「そうですね、確かに恋に似ている。でも、なんだか違う」
今まで恋した姫君は空想の中の人物であるからこそ、必ずフェアリーの理想の姿で夢に現れた。
だが、オムリは違う。
現実にいる生身の人間だからこそ、フェアリーの理想とはそぐわないところがいくつもある。
「ああ、それでも……」
今すぐ、たとえ一目でも彼女の姿を見たい、会いたい。そして声が聞きたい。
「そうですか、これが恋ですか……」
フェアリーは馬小屋の中を覗き込み、奥に声をかけようとした。
「!」
ありとあらゆる不測の事態にも対応できる戦闘精霊である彼が凍りついたのだから、その衝撃は察してやってほしい。
馬小屋の中に在る人の気配は二つで、それは絡み合っているようだった。入り口に立つフェアリーの気配にすら気づかぬのか、馬小屋の一番奥の暗がり、干草の山の向こうから『声』が聞こえる。
フェアリーの手から銀製のポットが落ち、それは柔らかい草の上に倒れて音すら立てながったが、ハーブティーと湯気を当たりにばら撒いた。
そしてフェアリーは……きびすを反し、一目散に走り出す。
(ひどい! こんなのってあんまりだ!)
何があんまりなのか、何がひどいのかさえ説明できないほどに混乱している。
それでも帰巣本能のように、彼は主の元へとまっすぐに向かっているのだった。




