26
食卓の上には次々と山海の珍味が並べられてゆくが、肝心の食器がオムリの前にはひとつとして運ばれてこない。皿はもちろんのこと、フォークの一本も渡されないのだから、彼女は文字通り指をくわえて湯気の立ちのぼる料理を眺めているしかなかった。
そんな様子を見かねて、キリーは自分の前におかれたフォークをそっと差し出す。
しかし、目ざといメグがそれを見逃すわけなどなかった。
「キリーさま、それはあなたのために用意させた食器ですので、あなたがお使いになってください」
「いや、しかし、オムリの食器が……」
「あら、おほほほほ、あんまりにも影が薄くて、地味で、根暗だから、使用人たちにも気づかれないのね」
心なしか、メグの顔の下から光があたっているように見える。
それはあまるにもふんぞり返って鼻先を上げているからなのだが、顔の上半分に暗い影をまとった表情は、いかにも底意地悪そうに見えた。
「オムリさん、ごめんなさい、気のきかない使用人たちで、ああ、私のしつけが行き届かないのがいけないんですわ」
どう聞いても心のこもっていない棒読み口調でわびてから、メグは手を叩く。
「ほら、オムリさんに食器をお持ちして」
その声に応えて使用人たちが運んできたものは、人間の食器としてはかなり大きなものだった。
そもそも材質は木で、しっかりとした鉄のタガがはめられており、使い込まれたささくれ感が渋いそれは……
「これ、飼葉おけですよね?」
「そうよ。でも、これで十分でしょ、『家畜の食器』だもの」
メグは自ら飼い葉おけを手に取り、料理に手を伸ばす。
「オムリさん、プディングはお好き?」
「あ、はい、好きですけど、まさか……」
「プディングいっちょ、はいりま~す!」
やわらかい寄せ料理は深い飼い葉おけに投げ込まれて、べチャッとつぶれるような音を立てた。
「あ、野菜も食べないと、美容によくないわよね~」
トングでごっそりと取り上げたサラダが桶に投げ込まれる。それでも大きな器が一杯になるわけがなく、それは桶の底に張り付くように収まった。
「スープもどうかしら? うちのコックがひくコンソメはおいしいのよ~」
すでにぐっちゃりと混じりあった料理の上へ知る物が足される。
「う……」
もはや見た目は残飯に似て汚らしいそれを、メグはオムリの前に押しやった。
「さあ、遠慮なく食べてね♡」
「……これを……ですか?」
「そうよ、アルバトロス家ではもてなしに出された料理を残すことは最高に無礼なことですからね、ぜひとも桶の底まで舐めて、残さず食べていただきますからね♡」
しばらく飼い葉おけの中を覗き込んでいたオムリがなにを考えたのか、それは誰にもわからない。しかし少なくとも『キリーのため』という言葉を思ったのではないかと、フェアリーは思った。
なぜならオムリはりりしく引き締めた表情をあげ、メグに向かってにっこりと笑って見せたのだから。
「丁重なおもてなし、ありがとうございます。それでは遠慮なく頂戴いたします」
凛と澄み切った声を聞いたフェアリーは、思わず自分の左胸を掻き抱いた。
メグが不思議そうに彼を見る。
「どうしたの?」
「いえ、なんだか、胸が痛いような気がしたのです」
「ちょうど心臓の辺りじゃないの、悪い病気?」
「いえ、そういう不快な痛みではなく、甘くて苦しくて、ほんの一瞬の痛みでした」
「ふうん、ま、痛みが続くようなら医者に行きなさいよ」
「はい」
その間にもオムリは食事に必要不可欠なあるものを求めてテーブルの上を見回していた。
「あの、せめてスプーンなどお借りできませんでしょうか」
メグは懇願の言葉にあざけりを返す。
「は! スプーンですって? なにを人間みたいなことを!」
「いえ、あの、これをどうやって食べれば?」
「家畜には家畜のテーブルマナーっていうものがあるでしょ! フェアリー、教えて差し上げなさい!」
飼い葉おけは床に下ろされ、テーブルの足元に据えられた。
「こ、これを?」
「そうよ、冷めないうちに召し上がれ♡」
泣くだろうと……そうしたら少しばかり助け舟を出してやろうと、フェアリーは身構えていた。
しかし、オムリは涙ひとつ魅せることなく、少しだけ固い笑顔で床にひざを下ろした。
「はい、いただきます」
そのまま飼い葉おけに頭を突っ込むオムリを見て、フェアリーが股間を押さえる。
「はうっ!」
「どうしたの、変な声を出して」
「疲れでしょうか、痛みが少しあっただけです」
「そんなところが痛いなんて、尿道系の病気かしら」
「いえ、そんな不快な痛みではなく……」
「はいはい、ともかく、レディの前で股間を押さえるようなはしたない真似しちゃだめよ、私の従者なんだからお上品に、品行方正に!」
「失礼いたしました。一過性の痛みだったのか、もう大丈夫です」
「ならばいいわ」
後は言葉もなく、メグは飼い葉おけに顔を突っ込んで中身をむさぼるオムリの姿を満足そうに眺める。
下まぶたを引き上げるようにして細められた目元、大きく横に広がって下卑た笑いに歪む口元、満足そうにぴくぴくと動く小鼻……
「お嬢様、めっちゃ悪人顔になっていますよ」
「あら、いけない、メグったら♡」
少しぶりっ子して「てへぺろ」っと下を出した口元から、それでも、いやらしいニヤニヤ笑いが消えることはなかった。




