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ともかく、『風のように』のたとえどおり、馬車はものすごいスピードで走る。
御者台に座らされたメグは手綱を握るのに精一杯で陣を描く余裕などない。舌を噛まないように唇を固く閉じているのだから、言霊を紡ぐこともできない。
ただ、キリーだけはご機嫌であった。
「いいですね、さすがはポルチェ! この振動がたまらない」
その完成に曖昧な笑顔を返したそのとき、メグは道の遠く向こうに人影が立っていることに気がついた。
「ひゃ、ひゃめえ! とまっちぇぇえええ!」
ろれつの回らない悲鳴を上げて手綱を強く引くが、馬たちは止まるつもりなどない。むしろ、なにを調子に乗ったか強くいなないてスピードを上げた。
「らめなのにぃいいい! いっちゃうのぉ!」
もはやメグも意味不明。
馬車は小石を食んで軽く飛び上がりながら一本道をすごいスピードで疾走する。
馬はグングンと人影に近づく。
「ま、まさか、おとうしゃま!」
道の真ん中に立っていたのは、体型が逆三角形に見えるほどに筋肉むっきむきのおっさんだった。
おっさんは自分に向かって疾走する馬すら目に留まらぬ様子で、ただ一点のみを見つめて叫ぶ。
「メグたま~♡」
叫びながら走り出したおっさんは、すごいスピードで向かってくる馬にがっつりと組み付いた。
「ふんぐお~!」
踏ん張る両足は地面にめりこみ、馬車は大きく揺れて止まる。
それでもおっさんの眼中にあるのは御者代に座る我が娘の姿だけだった。
「メグたん、メグたん、メグたあ~~~~ん♡」
「ちょ、飛びつかないでよ、お父様!」
「冷たいなあ、メグたんが帰ってくるって聞いたから、朝からず~っと走りっぱなしできたのに!」
「お父様、本当に元気よね」
「それよりこれ、どういうことだね、可愛いメグたんをこんな暴走馬車に乗せるなんて、責任者出て来いっ!」
キリーが馬車の窓からおずおずと覗き込む。
「あの~」
「しかも男とランデブー!? お父さんは許しませんよっ!」
「ランデブーって、そんないかがわしいものじゃないわ! 純愛なのよ!」
「純……愛……だと? こんなヤツを愛しちゃってるのか、メグたんっ!」
「こんなヤツ呼ばわりしないでちょうだい、私の大事な人なんだから!」
「こんな悪い虫をつけてくるなんて……フェアリー、フェアリーはどうしたっ!」
さすがは戦闘精霊というべきか、すでに馬車の後ろまで走ってきていたフェアリーは、呼吸ひとつ乱すことなくメグの父の前にかしこまった。
「ここにおります、ベガー司祭」
「お前がついていながら、どういうことよ、これ!」
フェアリーはしれっとした顔で答える。
「すべてメグ様のご意志によるものでございます」
「本当かい、メグたん!」
「ええ、本当よ。私も年頃出し、恋に落っこちちゃったの。あ、でもプラトニックラヴだから安心してね♡」
「んむ~、プラトニックラブ……」
「やあね、お父様ったら、発音の悪い。ラ『ヴ』よ、『ヴ』。ほら、こうやって下唇を……」
「いやいや、発音の練習なんかしてる場合じゃなくてね、お父様は大反対だぞ、こんなどこの馬の骨ともわからない男……」
これにはさすがにキリーが声をあげる。
「いえ、馬の骨などではなくて、私はチノーの国を治めるホロアの族長、聖なる戦いをする者の二つ名を持つコウラーの息子……」
「だまらっしゃい! お前には何も聞いとらんわっ!」
「あ、はい」
「それ以上口きくと、この馬のケツからつっこんで、本当に馬の骨にしてやるからな!」
「ひぃいい!」
びくっと身をすくめたキリーのことなどもはや見向きもせず、おっさんは甘い声を出した。
「メグたんはお父様のお嫁さんになるんだって、小さいころはあんなに言ってたじゃないかぁ」




