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ロードスターに敵わないとはいえキリーがメグの世話係のためにと用意させた馬車なのだからそこらの駄馬とは違う。湖のほとりにたどり着いたフェアリーは焦れながら主の帰りを待つこととなった。
もっとも実際にはそんなに長いことではなかったのかもしれないが、フェアリーの妄想をかきたてるには十分すぎる程度の時間であったのだ。
だから彼は、森の中から現れたメグの手がしっかりとキリー王子とつながれているのを見て目をむいた。
「いやいやいや! 良家の子女として、それはちょっとやばいっしょ!」
「やばい? なにが?」
「ちょっとキリーさま、お嬢様をこちらにお借りしても?」
「ああ、ぼくは料理の仕上がりを確認してこなくちゃならないので、かまいませんよ」
ふりほどかれた手のぬくもりを惜しむように、メグは自分の手をさすった。それからぐるっと振り向いて……
「何で邪魔するのよ! 男の嫉妬もたいがいにしてよね!」
「嫉妬じゃありませんってば!」
「じゃあ、なによ!」
「まさかと思うけど、本当にコレのとおりに?」
フェアリーが懐から取り出したのは、メグが小説を書き付けているあのノートだった。
「ちょっと! 何でそれ持ってきたのよ!」
「え、馬車の中で読むのにちょうど良かったから……」
「やだやだ、人の文章を勝手に読むとか、信じられない!」
「え? だって小説でしょう? 小説というのは他人に読まれるために書くものではないんですか?」
「ぐ……まあ、そうね、1アクセスだと思えば……」
「あくせす?」
「メグの世界のシステムの話よ、気にしないで。それより、その小説がどうかしたの?」
「これによれば、その……森の中で二人は……アレを……その……」
「なによ、はっきり言いなさいよ!」
「婚前交渉なさったのですか!」
「ちょ!」
メグが顔を真っ赤にして両手を振り回す。
「そういうエッチな言葉をこんな日の高いうちから口にするなんて、ちょっとフェアリーくんの常識うたがっちゃう!」
「これでもエロくならない言葉を選んだつもりなのですが……そうですか、ダメですか、『婚前交渉』は……」
「また! そういう破廉恥で下劣な言葉づかいはダメ!」
「えっと……じゃあ、『チョメチョメ』……」
「悪化してるじゃん! まあ、フェアリー君は額がなさそうだから仕方ない、後でそういう言葉の使い方をみっちり教えてあげるわ」
「ありがとうございます。それで、性交渉はあったのですか?」
「だ~か~ら~! どうしてそういう話になるのかなあ!」
「だってこの小説に、『二人は森で恋に落ちる』と書いてあるじゃないですか」
「確かに恋には落ちたけど? そんな、アレの描写なんかどこにも書いてないわよ!」
「え? あれ?」
フェアリーがページをパラパラと繰る。
「あ、本当だ。『恋に落ちる』としか書いてないや」
「当たり前でしょ! メグが目指しているのは大衆にこびるような安っぽい官能小説じゃないんだから! そういうシーンを書くなんて恥ずかしいことしないもの!」
「これは失礼いたしました、お嬢様の小説があまりにも……そう、あまりにもお文学的なので、深読みしてしまったようです」
「んっふ~♡ わからなくもないわ、なにしろメグは読者をミスリードさせる伏線をはるのが好きだから♡」
「はあ、すばらしいですね」
「でもね、だからこそ読み手はその伏線を読み解き、筆者が書きたかったテーマを正確に、正しく、過たずに理解するべきなの! だって筆者は読者のために頭と気を使って伏線を作ってあげてるんだから、これは作家と読者の頭脳戦なの!」
「はい、以後、キモにメイじます」
「私の小説を読むなら一字一句にまで気を使って、あますところなく読んでちょうだい! そうやって読むことができるように、一字一句にまで気を使って書いてるんだから!」
「さようですか」
「それと、キモにメイじるってあなたは言ったけれど、これ、まさか『キモに命じる』だと思ってないわよね? みんな間違えがちだけど、キモにメイじるっていうのはね……」
「あ、お嬢様、お嬢様。キリー様が呼んでいますよ、行かなくていいんですか?」
「え、あ、もう……キリーったら仕方ないなあ、愛する私をそばにおいておきたいのはわかるんだけどね、束縛とか困っちゃう♡」
「何をおっしゃるんですか、それもまた愛の形! 恋人同士はそばにいなくては! ささ、いってらっしゃいませ!」
「そ? じゃあ……キリーぃいいいいい♡」
走り去る主の背中と手の中のノートを見比べながら、フェアリーは深いため息をついた。
「仕方ない、もう一度読み返してみるか……」




