3、ガキ大将
散策部の部室を後にしたあと、あたしは帰路を急いだ。
今日は、夕方の五時半から毎週見ているドラマの再放送があるのだ。そのドラマには、大好きな俳優の川嶋リクが出演している。
「ほんと、週に一度の楽しみよね。」
あたしは、ニヤけそうになる顔に必死で力を込めながら、家へと向かう足に力を込める。
あと少し。あと少し。
あたしは、自然と軽くなる足をリズミカルに進めた。
「ただいまあ!」
「おう、お帰り。遅かったじゃん。」
いつもの様に家に帰り、誰もいないはずの家の中に上機嫌で声を掛けた。
……そう、誰もいるはずは無いのだ。両親は仕事で夜まで帰らないし、兄は大学で上京している。こんな平日に帰ってくるはずはない。
え。なら、今返事をしたのは誰?
「鈴菜、早く入れよ。ケーキあるぜ。」
あたしが玄関で悶々と恐怖と戦っていると、再び声が掛かった。ていうか、何であたしの名前を知っているの? もしかして知り合い? でも、聞き覚えの無い声なんですけど。
暫く考え込んだあたしは、よし。と決心をした。
玄関を出よう。そして、警察に通報しよう。そうしよう。
しかし、あたしの計画は簡単に崩れることになる。
「早く入ってこいって言ってんじゃん。せっかくジュースも入れてあんのに。ぬるくなっちゃうぜ?」
「ひっ!」
玄関のドアノブに手を掛けたあたしの肩に、その「誰か」の手が置かれたから。
「や、やめて!」
「……わりいな。でも、何にそんなビビってんの? 俺、今日お前んち寄るって、おばさんに言ってあったと思うけど。」
「え?」
あたしは、意を決してゆっくりと「誰か」の方に振り返る。
……そこには、もう一生見ないと決めていた男の顔があった。いや、正しくは「もう一生見ないと決めていた男」の面影が残る顔があったのだ。
あたしの額からひとつ、嫌な汗が落ちた。
「……こうちゃん。」
「なあんだ、覚えてんじゃん。忘れ去られてたのかと思ったぜ?」
「だっ、だって。こうちゃん、こ、声変わりしたじゃない。高い声のこうちゃんしか、あたし知らない。それに、お母さんにもこうちゃんが来るなんて聞いてなかった。」
「あははは! そりゃあ、あれから六年は経つからなあ。声くらい変わるっつうの! てゆうか、おばさんひでぇ!」
こうちゃんは、昔と同じ様に豪快に笑った。
笹木広大。小学校四年生の時まで、あたしの家の近所に住んでいた、野球大好きなスポーツ少年である。
幼稚園の頃は、とっても仲が良かった。あたしの初めての「親友」だった。
しかし、小学校に上がった頃から、こうちゃんのあたしに対する態度が激変。
『お前、まじで変なやつ。』
『俺、お前なんか大嫌いだし。話しかけんな。』
『近寄るな。ばか!』
『もう、鈴菜とは遊んでやんない。』
急にこうちゃんの態度が変わった時には、あたしはとてもびっくりして、毎日毎日たくさん泣いた。
こうちゃんが嫌なことを言う。こうちゃんが遊んでくれない。
初めての友だちだった、大好きなこうちゃんに言われた言葉は、幼いあたしにとっては、とても重かった。
そんな時なのだ、あたしにとってのヒーローが現れたのは。
彼はいつも、あたしが本当に辛い時に現れて話しを聞いてくれたり、こうちゃんを怒ったりしてくれた。そのせいで、ガキ大将だったこうちゃんと取っ組み合いの喧嘩になって、傷ついても。あたしがこれ以上心に傷を負わないように守ってくれた。
「おきつねヒーロー」が現れなかったら、あたしは今頃、本当の人間不信のまま育っていたかもしれない。
まあ、過去の記憶が元で、今も本当はこうちゃんには会いたくなかったのだが。こうちゃんが遠くの町に転校した時に、あたしはもう二度と会わないと決めていたのだ。
「鈴菜。」
「な、何?」
ケーキを食べる手を止め、こうちゃんが静かに口を開いた。こうちゃんのお土産だというチョコレートケーキは、昔からの彼の大好物だ。
「俺、この町に戻ってくるんだ。親父の家に帰る。」
「……そう。」
こうちゃんの一言が、静まり返った我が家のリビングに重く落ちた。