9、アメリカフウロ
「……あ、この花、咲いたんだ。」
「あ、ほんとだね。嬉しいもんだよね、こういう小さな発見も!」
散策部、只今、久々の校外活動中です。
「そういえばね、綾川が鈴菜ちゃんと話したって言ってたよ。」
「……あ、はい。」
「大丈夫? あいつ、失礼なことしなかった? ばかだからさ。」
「大丈夫ですよ。綾川さん、可愛らしい人ですよね。」
「ええー、可愛くないよ~。」
今日は、こうちゃんが野球部の活動に行っていていないせいか、心なしか広瀬先輩の顔が穏やかだ。
そのせいか、いつもより広瀬先輩は多少能弁になっていた。
一歩一歩の歩みと周囲の観察を忘れずに、あたしたちは口をも動かす。
「何? 何の話をしてたの?」
広瀬先輩が、近くに咲いていたアメリカフウロという花に目を移しながら尋ねる。
「えー、えーと。」
あたしは何と言っていいか分からずに、思わず口ごもった。まさか、自分自身の話をされていたとは思いもしないだろう。
「あははは、冗談だよ。プライバシーだよね、聞かないよ。」
広瀬先輩は、アメリカフウロの前に静かに腰を下ろした。幸い、ここは人気の無い、少し荒れた細い道端。あたしも、スカートが地面に付かないように彼の隣に腰を下ろした。
『私が何を言いたいか、と言うとね。衣純が、友だちや初恋の人の事を話していた時の笑顔が、いつも鈴菜ちゃんに向けている笑顔と同じだよっていう事だよ。』
どうしてだろう、広瀬先輩の横顔を眺めていたら、昨日の綾川さんの言葉を急に思い出した。
それと同時に、なぜだか、あたし自身の初恋の人の事も思い出す。
『ねえ、おきつねヒーローさんは、何できつねの仮面を付けてるの?』
『何でって、そりゃ俺がきつねだからだ。』
『きつね?』
『……俺はずるいから。お前も、俺に嘘をつかれてるぜ。』
そう言った時の、仮面越しの「おきつねヒーロー」の悲しげに揺れる瞳を、あたしは今でもはっきりと覚えている。
「……ちゃん! 鈴菜ちゃん!」
「……あ、すいません!」
ハッと我に返ると、目の前にはあたしを心配そうに覗き込む広瀬先輩の顔があった。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です。少し……あたしの初恋の事を思い出していました。」
「は……初恋?」
「はい。」
あたしは、目を閉じ、そして大きく深呼吸をする。
そして、ゆっくりと目を開ければ、あたしの目に明らかに動揺している広瀬先輩が映った。
「今まで、忘れちゃってたんです。そんな恋の話なんてする相手もいなかったですし。」
「…………。」
「でも、ちゃんと思い出しました。小さな頃、あたしが一番辛い時に泣き場所を与えてくれた人の事。そして、自分が傷つくのも厭わずに、いじめっ子だったこうちゃんに向かって行ってくれた人の事。」
「……それって、前に部室で話してくれた人の事?」
「はい。」
そして、あたしは昨日ふと浮かんできた言葉を、そのまま広瀬先輩に伝えた。
「あたし、もう一度『おきつねヒーロー』に会いたいんです。」
「…………。」
あたしたちの目の前で、アメリカフウロの花が小さく揺れた。