第1話 ジェシカ
ーーーーカランカランッ
BARの扉を開けると、いつも鳴るベル。
薄橙色の店内に、いつも通り俺は足を踏み入れた。
辺りを見渡してから、適当な場所に座る。
するとモニターが現れ、
『Welcome』
と表示された。
ゲームの世界だとは思えない程細部まで作り込まれており、椅子の触感や、バーテンダーの氷を砕く音がリアリティに表現されている。
すごい。
俺が始めて、この〈イノセントワールド〉に入ったとき、直感的に感じたことだった。
「ユウリ君」
突然名を呼ばれて、振り返るとそこには男性が立っていた。
見憶えはある。確か、俺に依頼してきた依頼人のオーナーだったかな?
隣に依頼人が立ってるし。
立ち上がり、男性と向き直る。
すると、男性はにこりと笑った。
「はじめまして。噂はかねがね聞いているよ。急に名前を呼んでしまってすまなかった。反応するか試してみたんだ。俺の名はリトル。よろしく」
「ユウリです。こちらこそ、ご依頼感謝します」
しまった。またやってしまったらしい。
注意してはいるが、気を抜くとすぐやってしまう。
リトルさんは、小声で俺を呼んだらしいが、俺にはそれが普通の会話レベルで聴こえるのだ。
これは俺が暗殺者に必要な耳のスキルを限界にまで上げたことと、もとから地獄耳だったのがあいまって起こる現象だ。
だから向こうは独り言レベルなのに、こちらは返事を求められたと勘違いしてしまう。
暗殺業では役に立つが、日常では恐ろしく不便なのだ。
「まあまあ、座りたまえ」
男性が笑いながら座るのを見て、俺も再度椅子に腰掛けた。
男性はお酒を頼んでいたが、俺は飲む訳にはいかない為、ノンアルコールを注文する。
「おや、ユウリ君はお酒が飲めないのかな?」
リトルさんの目が鋭くなる。
礼儀はわきまえろよ、小僧。そう言っているようだった。
そんなリトルさんに、俺はあえて笑顔で応える。
「まだ未成年でして、飲めないのです。法律に触れるようなこと……しませんよね?」
「そう……だな。本題に入ろうか」
リトルさんは小さく咳払いしてから、誤魔化すように此方に写真を渡してきた。
写真に写っているのは、綺麗な女性だ。
「その女を3日以内に殺ってきて欲しい。詳細はこの資料に書かれている。暗殺者が関与していたことがバレるのはなるべく避けたい。できれば自然に殺して欲しい」
「アバター殺し……ね」
「お前はそれ専門だろう?」
リトルさんの挑発的な言葉に、口角がつい緩んでしまう。
それから再度、写真を見た。
真紅のドレスに銀の美しい髪。青い瞳が別方向を向いている時点で恐らくは盗撮だろうが、この業界では然程珍しくはないので無視するとして、見た感じは上流階級の人間だろう。
実力か金でのし上がったのか、何かしらお偉いさんの娘で、コネを使ったのは知らないが、貴族クラスを殺すのは初めてだ。
資料の中身を確認してから、リトルさんを見る。
「俺の仕事は高くつくって知ってるよね?そんなにこのジェシカが怖いの?」
「口を慎め外道が!」
言葉とともに、銃が俺の額に突きつけられた。
リトルさんの隣にいた護衛らしき人物が凄い形相で今にも引き金を引きそうだ。
ったく。誰でもそうだ。闇に怯えてるくせに、態度だけは無駄にでかい。
俺はそんな奴がーーー大嫌いだ。
引き金に手を掛ける前に、銃を持った人間に笑顔で短剣を首筋に当てる。
唐突のことに、男は気づかなかったのか、首筋に感じる違和感に恐怖心を抱いているようだった。
「雑魚は黙ってろよ。俺はこの人と話してんだ」
「辞めろトム。こいつは暗殺者だ。俺らヤクザが勝てる相手じゃねぇ」
リトルさんの言葉に、トムと呼ばれた男はそっと銃を下ろした。
俺もくるりと回転させてから、短剣を鞘にしまう。
「ヤクザって名前なんだね。ギルド名」
「あぁ。俺達は現実でもヤクザだからな。……手前は分かった。金は心配ねぇ。いくら金積んでも、どこも引き受けてはくれなかったからな」
「そりゃそうでしょ。貴族に手を出す馬鹿なんて、俺くらいだ。……んじゃ、話は聞いたから、俺はお暇するよ。3日後、ここで」
煙草をふかしはじめたリトルさんに、逃げるようにカクテルを飲み干し、俺はBARを出た。
身体に悪影響を及ぼす煙草とか酒は、基本嫌いなんだよね。
◆
BARを出た俺は、とりあえず時間を確認する。
ーーーー4時半
時計の針は確かにそう示しており、電波時計を見ても4時半だった。
BARで大分時間を使ってしまったらしい。
ホーム画面を操作しながら早足に歩くと、人に当たる確率は高くなる。
「……っあ」
そして俺はその確率に、見事に引っかかってしまった。
「あ、すみません。怪我はありませんか?」
俺とぶつかったことで転んでしまったらしい少女に、腕を差し出すと、少女はスッと立ち上がった。
立ち上がってから分かった。
少女と言うには年がいっている。女性だ。
「大丈夫です。私も急いでいたもので」
そう言った女性は、スッと時計を確認した。
銀髪を一つに束ね、パンツスタイルで決めた、いかにも働く女性らしい服装だ。
しかし、俺は気づいた。その女性が、今後俺の運命を変えることに。
「ーーーーあの」
「え?」
去ろうとした女性の背中に、俺は尋ねた。
此方を見る青い瞳が、驚きに染まっていた。
「ーーーージェシカさんですよね?」
なんたる偶然だ。
標的と偶然会うなんて。