荒野の鈍器法廷
「くっ、うううう……。」
少年は歯を食いしばりながら、悔しさを堪えても、堪え切れない涙をあふれさせながら、縄をかけられて役人達に引っ立てられていった。
クエスタ坊かわいそうに。まだ、十四だってのになぁ……。ファンデさんの所の農場をフランデル侯爵に取られて……。挙句その裁判で父親も殺されてなぁ……。そして今度はたてついたクエスタを……。若い身空でかわいそうに……。
人々は、役人達に引っ立てられていくクエスタを不憫に思って口々に嘆いたが、誰も助けることはできなかった。
農場の権利も、クエスタの父親の命も、全て正当な裁判によってとられたのだから、それを取り仕切る役人に逆らうことは、この辺境の貧しい村、セルバンテスの人々には到底無理だったのだ。
引き立てられたクエスタは、頑丈な柵に囲まれた30ヤード四方程の、法廷と呼ばれる何もない広場に立たせられた。
連れてきた気の進まなそうな二人の役人を怒鳴り飛ばし、偉そうな態度の恰幅の良い、ついでにいえば高そうな身なりの男が、集められた近隣の村の者たちを前に叫ぶ。
「静まれ!これより、この者、クエスタ・ファンデの鈍器法廷を開廷する!」
あたりは水を打ったように静まり返った。誰もが名うての侯爵の権力を恐れていたのだった。
「検闘士ネイデル、前へ!」
その言葉に従うように、おうと答えて巨漢の男が扉を開けて柵の中の法廷に入ってきた。身の丈は8フィートはゆうにあるだろうか、誰もが目を見張る筋骨隆々たる巨漢だった。
だが、更に驚くべきは、その肩に担がれた巨漢の身の丈を上回る大きさの巨大なハンマーだろう。
ネイデルは、その得物を扱きながら、地響きを立てて近づくと、獲物であるクエスタに鋭い眼光を向ける。
「ヴゥハハハ!ネイデル参上つかまつった」
その声は、まるで獣の唸り声のように響いて、柵の外から見ている者達を震え上がらせた。
「被告、クエスタ・ファンデ。この者、これより鈍器法廷にて、このネイデルと審理を競うものである。弁護騎士を頼むこともできる。だれぞ、この罪人に変わり、このネイデルに挑むものはあるか?いるなら名乗り出よ。名乗り出ぬなら永遠に口を閉ざせ!」
裁判官たる侯爵の声が辺りに朗々と轟く。
だが、だれも弁護を買って出ようというものは居なかった。
見ての通りの子供が、両親と同じ凶槌の露と消えるのを、誰もが忍びないと思ったが、相手はあの風車のネイデルと呼ばれる悪名高き検闘士。不憫に思っても名乗り出るものなど、誰もいるわけないのだった。
もともと辺境荒野での揉め事を収めるために定められた鈍器法廷の掟。
被告側と検察側、あるいは異を唱える両者が本人又は代理人をたてて、神の御名による決闘をもって即決裁判とする掟なのだ。
不浄な血を神聖な裁判の場で流さぬよう、刃物は使わず、鈍器のみによって行われる鈍器法廷の儀式は、かの裁判王によって始められたと言われている。その裁判は神聖にして不可侵。異議を唱えることは許されない厳格なものと信じられていた。
「誰に弁護なんてしてもらわなくても、おいら、仇は自分でとってやる!たとえかなわなくても、せめて一撃くらわして、目にものみせてやらぁ!」
泣いていたクエスタは、覚悟を決めたのか、威勢よくそう叫んだ。
「ヴゥハハハハ……。小僧、その意気やよし!どれ、我が正義の鉄槌にて、苦しまぬよう一撃で裁きをつけてやろう。地獄の裁きでは、それを自慢話にするがいい!」
冷酷な嘲笑が法廷に轟き悪漢たちが欲望をほしいままにせんとしていた。見守る者たちにも、ただ、この世に正義はないのかと嘆くことしかでき無かった。
だが、今にも無情なる裁判が開廷しようとしたまさにその時、どこからか否を唱える声が響いた。
「その鈍器法廷待った!弁護騎士ならここに居るぜ!」
誰もが声のする方をさがすと、荒野の彼方から、一人の男が馬に乗って駆けつけてきた。遥か彼方から、矢のようによく響く声だった。
馬から降りて進み出てきた男は、流れ者だろうか、闘牛士風の派手なスタイルの一見して優男だった。
「俺は、ヴァン・キホーテ。これでもれっきとした正規の弁護騎士だ。この鈍器法廷の弁護騎士は、勝手で悪いが、この俺様が務めさせてもらおう」
ヴァンと名乗るその男はそう言うと、腰から下げた木製の古ぼけたガベルを抜くと、高らかに掲げてそう宣言した。
「ヴゥハハハ!ふざけた名前の優男が、引っ込んでいろ!この鉄槌の露と消えたく無くばな。格好をつけて首を突っ込むと死ぬことになるぞ!」
「格好てぇのは命がけでつけるもんだろ?俺はこのガベルだけでいいぜ、ウドの大木さんよ!。その鉄槌とやら、こいつで叩き割ってやる」
いきり立つネイデルと、更に油を注ぐヴァン。フランデルは両者の舌戦をおさめると、禍根なき裁判として、正式にヴァンを弁護騎士と認めた。
かくして、仕切り直して、ヴァンとネイデルの2人による鈍器法廷が開廷される運びとなった。
「あの……、ヴァン、聞いていいかな」
クエスタはさっきまでの威勢とうってかわって、心配そうに、おしかけ弁護騎士の青年に話しかけた。
「なんだい、我が雇い主たる、被告人殿」
「そういうのはやめてよ。それより、見ず知らずのおいらの為の弁護を引き受けるの、その、怖くないの?」
おどけるヴァンにクエスタは問いかける。本当は他に聞くべきことは山のようにあるはずだが、開廷までのわずかな間に、どうしてもそれだけは聞いておきたかった。
「ああ、怖くはないな、ちっとも。神の名の下に行われる鈍器法廷は、必ず正義が克つ。かの裁判王の名にかけて、負ける気はしないんでね。
「でも、おいらの父ちゃんは、あのネイデルに、その鈍器法廷で敗訴して、殺されたんだ。おいらだって、男として、たとえ負けるとしても戦わなくちゃいけないことはわかってる。でも、もう誰かがあんなことになるの、観たくないよ……」
「お前の親父さんは敗訴しちゃいないさ。それに……」
そこでヴァンは、クエスタの耳元で二言三言何かを囁くと、それっきり黙り、決然とクエスタに背を向けて、柵で覆われた法廷の中に歩いていった。
なにを言われたのか、クエスタは、ただ黙ってこぶしを握り締め、柵の外の被告人席から、ヴァンを見送った。
かくして、鈍器法廷の幕は上がろうとしていた。
法廷の中央で、ヴァンは軽く慇懃に一礼し、ネイデルは鉄槌を高く振り上げ、風車のネイデルの通り名のごとく、得物を勢いよく振り回した。
巨大な鉄槌は凄まじい勢いで回り、砂塵を巻き上げてその圧倒的な威力をもって優男を威圧し、威圧する。
「ヴゥハハ!ヴァンとやら。見たか、これが正義の力だ!聞いたか、この唸りが正義の凱歌だ!」
開廷と同時に、いや、それよりわずかに早く、ネイデルが怒涛のように駆け、ヴァンとの間を詰める。そして、叫びと共に鉄槌が唸りを上げて振り下ろされた。
地響きをあげて鉄槌が地面をえぐる。土煙が立ってよく見えないが、はたして、優男の弁護騎士は、一撃で凶槌に倒れたのだろうか?人々はかたずをのんで見守った。
一陣の風が舞い、次の瞬間土煙が晴れると、なんとヴァンは振り下ろされた巨大な鉄槌の上に軽々と乘って、華麗にステップを踏んでいた。
「フッ。これが正義だって?笑わせるな。かの裁判王曰く、決闘は血斗に非ず。たたの暴力だけで正しさは決めることは出来ないぜ!」
ヴァンはひらりと蝶のように宙を舞うと、あっけにとられたネイデルの頭部をガベルで軽く上から小図くと、素早くまた距離を取った。
小さなガベルで軽く打たれただけの巨漢だったが、瞬間、思いもかけず稲妻のような衝撃が脳天を突き抜け、悶絶して片膝をついた。
一瞬目を白黒させたネイデルだったが、すぐに立て直すと、怒りの咆哮を発して、再びネイデルの巨体が得物めがけてはぜる。
巨漢であるのに、ネイデルのその動きは俊敏そのもの。その体さばきは、まるでしなやかな獅子の狩りを思わせ、巨大な鉄槌を軽々とあつかって、ヴァンを責めたてていく。
だが、やはり俊敏さと動きの華麗さにおいて、ヴァンは遥かにネイデルを凌いでいた。
ヴァンはまるで猛牛をかわすようにマントを翻して、すかさず飛び退くと、ひらりと宙を舞った。
「こっちだ、木偶の坊!力が正義だって?腕っぷしが強いだけで自分の意見がなんでも通るなら、それは正義でも何でもないだろう。来い、正義が克つってところを見せてやるさ!」
ヴァンはそう挑発しながら、ネイデルの突進を何度も交わしていく。
「ぬかせ!力なくして何の正義か、力によって守られずして何の秩序か!それが鈍器法廷の正義だ!」
叫ぶと、ネイデルは竜巻のように鉄槌を回してヴァンに迫る。さすがにこれは避けきれず優男の体が宙を舞うかと思われた。
だがヴァンは、なんと片手のガベルを、素早く鉄槌の回転に合わせて一閃させただけで、ネイデルの得物を、その手から弾き飛ばしてしまった。
「ヴゥ、グルァァァ……ッ。な、なんだとぉ!」
ネイデルは呻きながら、痺れて動かぬ両の手を呆然と見た。そして理解した。
ガベルと鉄槌がぶつかった瞬間、再び雷に打たれた様に、今度は先ほどよりはるかに強い衝撃で、鉄槌は吹き飛ばされてしまったのだ。
「さて、ウドの大木殿、敗訴は確定かな?」
背後からヴァンの冷ややかな声が届く。
「そのような優男相手にこの醜態、なにをやっておるかネイデル!負ければすべてを失うのが鈍器法廷。荒野の掟を忘れたのか!」
侯爵はその様子を見て、怒り狂って柵を叩きながら叫んだ。もはや、裁判官は見届け役として曲りなりにも中立であるという建前すら、かなぐり捨てている。
「ヴゥゥゥォォォォォォォォオ!」
ネイデルは絶叫を上げて跳ねるように起き上がると、両の手の痺れもものともせず、再び鉄槌を持ち、立ちあがった。すさまじい気迫だ。
眼は血走り、口の端から泡を吹きながらも、なおも気迫で立つ。敵ながらあっぱれな検闘士魂と言ったところか。
「見上げた心がけと言いたい所だが、もうネタは上がっている。有罪!」
言うが早いかヴァンは素早く駆け寄り、鉄槌を振り上げたネイベルの懐に入り込んだ。
ガベルを構えると、今度はヴァンが叫ぶ番だ。
「鈍器法廷は無血裁判でなければならない。よって、血が流れた判決は、すべて無効。貴様たちがやってきたことは、全て裁判に名を借りた不当な虐殺、略奪行為に過ぎない!」
ヴァンはそう激しく断罪すると、ガベルを一閃させる。
そのひと振りだけで、全てが終わった。
なんと、ヴァンはガベルの一撃だけでネイデルの巨体を八つ裂きに切り裂き、その巨体はバラバラに飛び散ったのだ。
だが、血しぶきは飛ばなかった。
鉄槌は砕かれ、破片は地面に落ちたが、ネイデル自身の八つ裂きに引き裂かれた四肢体躯は、空中で渦を巻き、一滴の血も地面に堕ちることはなく、観る者たちを唖然とさせた。
「判決!八つ裂きの上、石化刑に処す!」
ヴァンの声と共に、乱離拡散した破片はそのまま渦を巻きながら毬のように集まって、あろうことか、1フィートほどの丸い石の塊と化して、地面に堕ちた。
「これにて閉廷!」
ヴァンは懐から、勝訴!とデカデカと書かれた巻物をパッと引き伸ばして掲げると、鈍器法廷を閉廷させたのだった。
周囲から割れんばかりの歓声が上がるなか、ヴァンは扉を開け、堂々と勝訴と掲げながら法廷から出てきた。
「無事でよかった!、その、ありがとう、ヴァン。たいしてお礼はできないけれど……」
駆け寄ってきたクエスタに、ポンポンと肩をたたくとヴァンは言った。
「それより謝らなければいけないのは、そもそも俺の方だ。親父さんからは手紙をもらって相談を受けていたのに。俺がもっと早く来れていたらこんなことには……」
悔やんでも悔やみきれなかった。
「仕方ないよ、それにヴァンは来てくれたじゃないか」
「そういってもらえるとうれしいが。だがまだ仕事は残っている」
ヴァンは、いまだに腰を抜かして椅子からずり落ちそうになったまま呆然とするフランデル侯爵に向かって進んだ。
「侯爵、今回の事は既にしかるべき所に報告してある、すぐに正式な使者が送られてくるだろう。侯爵のあんたを弁護騎士である俺が裁くことはできないが、今度はあんたが都で裁判を受ける番だ」
侯爵は、オロオロとする兵士や役人たちに囲まれ、どうすることもできずに呆然と崩れ落ちた。
すべてに鮮やかに幕を引き、ヴァンはそのまま馬を引いて去ろうとしていた。
「元気でな、クエスタ。ここも今よりは良くなるはずだ。達者でな」
人々が慌ただしく走り回る中、ヴァンは、クエスタだけに別れを言った。
「ヴァン……。できればこの村に留まって、弁護騎士をやってくれないか。きっとみんな喜ぶよ」
「ありがたい申し出だが、俺を持っている人達が、世の中には沢山いる。それに、俺自身にも、どうしてもやらなくてはいけないことがあるんでな。すまないな」
クエスタも、首を振って、ヴァンをそれ以上は引き止めなかった。
ヴァンは、この辺境の村にとどまるような男ではないと、はじめからクエスタにも、どこかでわかっていた事だった。
「じゃあな、クエスタ。農場の後を継ぐためとはいえ、いつまでも周りに男だと思われていないで、そろそろ、ちょっとは女らしくすることだな」
「え、気づいていたの!?」
「はっはっは、そりゃな。それに実は小さい頃にも親父さんの農場で会っているんだ、間違えようがない」
ヴァンは愛馬にまたがると、懐かしそうに村の方を一瞥すると、荒野に向き直った。
「もし何かあったら知らせてくれ。困ったことがあったら、俺はまたいつでも帰ってくるさ。じゃあな!」
そう言うと、ヴァンは馬を駆り振り向かず去っていく。
彼の姿が地平線の彼方まで去っても、クエスタは晴れやかな笑顔で、いつまでも手を振って見送っていたのだった。
―――そして、その様子を離れた場所からから隠れて見ていた者達がいた。
「あの男が、試しの石の試練で伝説の裁判王の後継者と選ばれたと噂の漢、ヴァンか。うむ、こんな所で会うとは思わなかったが、なかなか面白い漢よ」
「面白いじゃないですよ、卿。こっちはもう、どうなる事かと気が気じゃありませんでした。あんな年端もいかない男の子が危なかったというのに……。卿が止められなければ、私はすぐにでも飛び出してケリをつけてやっていましたよ」
頭の天辺からすっぽりとマントを被った二人連れ。顔や身なりはわからないが、二人はどうやら事の次第を見守っていたようだった。遠眼鏡をはずすと、一人が、何か得心したようにつぶやいた。
「しかしそうか、あの丸い石こそが伝説の試しの石と同じもの。決闘は血斗に非ずという、かの裁判王の言葉の意味は、ああいう事だったのですね」
「そういう事になるな。それより急いで都に戻るぞ、これから忙しくなりそうだ」
そういうが早いか、二人も馬に乗って地平線の彼方へと走り去っていった。