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王子と王子妃

 目を覚ますと自室だった。ぼんやり頭を巡らせる。記憶がとぎれとぎれになっていて、うまく繋がっていない。王城に父と、そしてアーサーとカスミが……。私が目を覚ましたので侍女が伝えたのだろう、しばらくしてから両親がやってきた。

 少し憔悴した父と、泣きはらしたように目が赤い母の姿に、あれは夢ではなかったのだと悟る。口をひらけば自分のではないような、ひびわれた声音だった。


「お父様。どう……なりました?」

「――白紙に戻った」


 ああ、そうかと無感動に受け止める。白紙に戻った。アーサーは私を拒み通して、誰も説得できなかったということか。アーサーは信念を貫いてカスミを選んだのだ。手を取り合う二人の姿が浮かんで、胸が刃を刺されたように痛くなる。

 そうですかと呟くと眠りなさいと諭される。医師が調合した薬を渡してくれる。ひどく苦いそれを我慢して飲み下して、また枕に頭を預ける。母が手を握ってくれた。

 小さな子供に戻った気分で心細くて母の振るまいにほっとしている自分がいる。目が赤いくせに無理にも微笑んでいる母を見つめているうちに、うとうとと眠気が襲ってくる。

 眠って目覚めればきっと現実は残酷だ。そう思いながらも薬の力も借りて、夢に逃げこんだ。



 ――メアリはぼくのおよめさんになるんだって。

 ――そうなの? アーサーがおうじさまだから、わたしはおひめさまなの?

 ――おひめさまじゃないけれど、おうじひにはできるんだって。

 ――ふうん。おうじひ……へんななまえ。ジェームスさまもだれかをおうじひにするの?

 ――しらない。なきむしはおうじひになんかしてやらない。



 父に連れられて小さな頃から王城には上がっていた。その頃の夢だ。私はお姫様になれないと知ってひどく落胆したのを覚えている。王様と王妃様のお子でなければ姫にはなれないと知ったのは、後になってからだ。

 アーサーはでも王子妃にならできると、お姫様とあまりかわりがないと慰めてくれた。ジェームスも一緒にいて、私が泣きそうになるとひどく嫌がった。

 父におうじひになるのと尋ねるとたくさん勉強しないと駄目だと教えられて、気が重くなったっけ。あの頃から私は未来を疑いもしなかった。



 薬を飲んだせいか熱は下がり、寝台から起き出せば辛く惨めな現実と向き合わなければならなくなる。

 王子を迷い人に奪われて捨てられた娘という現実と。


 格好の醜聞だ。今から他に縁談を探そうと思っても誰も相手にしてくれないだろう。憐れみと嘲笑でもって接せられるのは確実だ。

 自尊心はこれ以上なくへし折られ、立場もない。

 醜聞にまみれれば病気療養と称してどこかに引きこもるか、行儀見習いの名目で国外の親類に身を寄せるか、寄付金を積んで修道院に入るかしか身の処し方がない。

 道を外れた貴族の行く末は本当に選択肢が少ない。婚儀のために準備した品が目に入ると気が滅入って仕方ないので、早々にしまい込んだ。でも扉を閉めれば品物は見えないが、なくなりはしない。

 噂も私の耳に入れる人がいないだけで、実際には大いに広まっているに違いなかった。

 

 つとめて平静なふりをして日々を過ごしていても、あれ以来私の胸に巣くうものがある。時間をおくにつれ、より深く根ざすのはどろどろと真っ黒で粘ついた、醜い感情だ。ふとした折りに意識の表層まで浮かんできては、ざらりと私を撫で上げる。

 家族が腫れ物に触れるように私に気をつかう時や、王城の庭にも咲いていた花を見かけた時、一人きりの寝台ではしばしば。

 私はその感情にこれまでは蓋をしてきた。王子妃や王妃といった立場なら人に公平にあるべきで、口に出さなくても態度に出ても軋轢を生んでしまう。好悪で人に接してはいけないと習ってきた。


 それでもこの負の感情を拭えない。

 私は初めて明確に特定の人に憎しみを、嫉妬を、憤りを持った。殺してやりたいとさえ思った。

 許せない。許せない。許せない。――許さない。

 物を壊すこともできず、花を踏み荒らすこともできず私は身内で黒い獣を生んで育てた。育て続けた。


 王城からの来訪者があったのは、気分の浮き沈みの激しい時期を過ぎるかの頃だった。

 

「お嬢様、殿下がいらしたそうです」


 手にしていた本を取り落とし、私は取り次ぎの顔を穴が空くほど見つめてしまう。

 それでも無意識に居住まいを正し、正確な情報をと聞き直す。


「誰が、いらしている……と」

「殿下とうかがっております」


 わざわざ向こうから来るのは、ただごとではない。待たせるようなことはあってはならない。思うより早く行動に、と立ちあがる。

 気楽な部屋着姿だったので慌てて侍女に手伝ってもらい、大急ぎで髪を結い軽く化粧する。父か母が相手をしているだろうとは思っても、逸る気持ちが抑えられない。

 王城に赴いた日のように胸を高鳴らせながら応接用の部屋に向かう。

 開かれた扉の向こうで、椅子に腰を下ろしているのは、ジェームスだった。



 高揚した気分は一気に冷水を浴びせられる。確かに、ジェームスも王子で殿下だから間違いではない。間違いではないけれど。

 冷静になればアーサーが訪ねてくるなどありえないのに。手紙も伝言もないのに、本人が来るわけがない。

 ――カスミを選んだアーサーなのに。

 どこまで愚かかと思いながらも、礼をとり椅子に腰を下ろす。


「病で伏せっていたそうだが、今は……?」

「はい、快癒いたしました。ご心配をおかけしました」


 王子の向かいには母が座っていて、私達のやりとりに耳を傾けている。アーサーとの話が白紙に戻って私以上に落胆したのは母かもしれない。それは嬉しそうに準備をしていたのに、私を気遣っておくびにも出さないようにしている。

 時間と費用をかけて集め誂えた品々をまとめて保管して、以後はそれに触れないように私達は日々を送っている。

 私の先行きについても不安がいっぱいだろう。きっと私以上に今日のジェームスの来訪について考えを巡らせていると見えて、ジェームスの言葉を聞き逃すまいと優雅な振る舞いの中でも気を配っていた。


「こちらの庭も見事だ。そぞろ歩きながら、話がしたい」


 内密の話と母は家令に視線だけで指示を出す。つかず離れずの距離に侍女と騎士が後に控える。柔らかな日差しの中、ジェームスと私は庭を眺める。


「――落ち着いたか?」


 問われてどう返したものか考えあぐねる。落ち着いたように見えるのは表面だけで、内面にはどす黒い闇が広がり続けている。

 今は醜態を晒したくない、家族に心配をかけたくないその思いで立っているようなものだ。ジェームスは私の表情で悟ったのだろう、庭の花に視線を向けた。

 私は聞きたくてたまらない、質問をする。


「アーサー様とカスミはどうなりましたか?」

「カスミは後見役の老貴族のもとに。アーサーは……彼女を追っていった」


 容赦のない現実に瞑目する。本当にアーサーは全てを投げ打って、恋か愛に生きる決意をしたのか。

 ジェームスは花を見つめたまま、固い声で続けた。


「王位継承権は、放棄するそうだ」


 愚かな……とでも続きそうな声音だった。一人の女性のために地位も名誉も捨て去るなんて、正気の沙汰とは思えない。

 それが次代の国王となるべき人物なら、なおさらだ。

 それでもアーサーはカスミへの想いを、周囲にも思い知らせた。愚行ともいえる振る舞いでもって証明した。

 馬鹿馬鹿しいのに、ひどく羨ましい。私の内の黒い獣が吠え出しそうになる。


「では……ジェームス様が……?」


 王位を継ぐのかとの含みを持たせた問いかけに、花から私にジェームスは視線を変えた。

 騎士として鍛えた年月が、姿だけでなく雰囲気までジェームスを硬質にしている。他人に厳しいが、自分にも厳しい。正義のために全力で邁進してきた自負が、威厳とも威圧感とも取れる空気に転化している。


「ああ。報告と相談と勧誘に来た」

「私に、ですか」

「――王子妃に、私の妃になってもらえないだろうか」


 歩みをとめた私達の周囲を風が通り過ぎる。言われた内容が上滑りして、現実味に乏しい。

 それでも機械的に頭の中で計算が組み上がっていく。王城側の思惑と、我が家の事情と周囲の受け取り方など気持ちより先に状況を判断しようとしてしまっていた。私は風よけに持ってきた肩掛けを握りしめた。

 何となく察していた気もすれば、意外なような気もする。気付けば唇は機械的に言葉を紡いでいた。


「ジェームス様の婚約者はどうなさるのです」

「説得して破棄する。――相応の見返りで納得してもらえるだろう」


 可愛らしく慎ましい女性の顔が思い浮かぶ。いずれは義理の妹になると、親しみを込めて眺めていた女性の姿。

 まるで道化芝居のようだと思ってしまう。アーサーが降り、私があぶれ、ジェームスが拾って、ジェームスの婚約者に内定していた女性が押し出される。当人達の心情にお構いなく、舞台の幕は開いて劇が始まる。袖ではアーサーとカスミが影の主役として寄り添っている……。

 誰も平静ではいられない。私はジェームスが続きを口にするのを待った。


「これが最も穏便に事態を収束させると結論づけた。私としても王子妃になるべく教育を施されたメアリ、あなたがいてくれれば心強い」

「でも私は……私では息が詰まると。それにジェームス様は……」


 私を愛してなどいないのでしょう。含みを持たせてわずかに開いた距離のまま見上げれば、ジェームスも射貫くような視線を返してきた。


「私は兄とは違う。責任の重さは痛感しているが、逃亡はしない。それに為すべきこともわきまえているつもりだ」

「ご立派なお心がけと存じます」

「あなたも義務を自覚し、立場にのっとった振る舞いができるだろうと私は評価している」

「もったいない評価と思います」


 やり取りの裏で冷めた計算がよぎる。体面に傷をつけるのを最小限に抑えるため。王子が出奔した王室とその王子に逃げられた我が家は、このままでは揃って笑いものだ。威信に傷がつけばその小さなひび割れから権勢そのものが崩壊しかねない。

 最も簡単なのがアーサーの王子位の返上を理由をつけて追認し、あとを取り繕うやり方で、ジェームスと私が婚姻することだろう。

 それでもためらう気持ちは消えない。見透かしたようにジェームスの声が低くなった。


「了承してくれれば……勿論便宜は図る」

「便宜、ですか」

「そう。私はあなたに権力を与えることができる」


 私の黒い感情をジェームスは理解している。王子妃という地位に伴い得られる力を餌にして、私を誘う。

 ――権力があれば今巣くっているものを解放できる。

 ――権力があれば。


 私はジェームスを見上げた。


「一人……」

「私は二人だ」


 ジェームスの返答に心が決まる。隠してきた本心にも。


「ええ……私も二人です。可能ですの?」

「勿論。我々に傷をつけることなく、最も誇りにすべきと信じてきたものをあっさりと見放した者に」

「後悔を」

「苦悩を」


 日が落ちかけて周囲は薄闇に沈む。私とジェームスの物騒な意見の一致を聞きとがめる者はなく、見知る者もいない。

 私は一つ吐息を漏らす。


「お話を謹んでお受けいたします。至らないことが多いことと存じますが、よろしくお願いいたします」

「いや、私も心強い。よろしく頼む」


 固く握り合った手は一つの目的を共有した証のように思えた。

 王室の意向は速やかに家にも伝わる。もしかするととっくに合意がなされていて、私に話が回ったのかもしれない。

 アーサーは病気療養の名目で王子位を返上し、動揺を最小限におさえるかのようにジェームスと私の婚姻が盛大に触れ回られて婚儀があげられた。

 





 

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