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迷い人と王子

 正式な日程の発表を前に、私は最後の準備に取りかかる。衣装を揃え装身具をあわせ、連れて行く侍女も念入りに選ぶ。

 毎日のように勉強の時間が取られ、各分野の専門の方から教わる。誰からも侮られてはならない。正しく最新の知識を身につけ、尊敬される振る舞いが息をするように自然にでるようにしないと。

 目が回るように忙しい。来客を迎えるのも大切な未来への布石になる。小さなお茶会から始めた自分だけの交流の場も、徐々に規模を大きくして社交の術を磨く。

 王城へとあがる機会は極端に減った。それでもカスミが心細いようで、会うとほっとした表情を見せるのがいじらしい。


「忙しい? 疲れてる?」

「……大丈夫。これくらいで疲れたら、この先やっていけないの」


 王子妃になったら、朝から晩まで予定がびっしりとつまる日々になる。

 カスミにかみ砕いて説明すると、うめき声を上げた。


「アーサーも忙しい? 笑うけどどんよりしてる」

「アーサー様はもっと忙しいわ」


 もっとの一言にカスミが眉をよせた。理解できないのかと一瞬思ったが、ぶつぶつとアーサー忙しいと繰り返しているのでわかってはいるらしい。私はカスミとお茶を飲みながら、顔をのぞきこんだ。


「カスミは淋しい?」

「……淋しい。アーサー忙しい。ジェームスむっつり」


 ジェームスがむっつり? 今度は私が首を傾げる番だったが、どうやら機嫌がよくないという意味合いのようだ。

 カスミがぎゅうっと眉間に皺をよせて、顎の線を緊張させたからそう推察できた。その可愛らしい顔と眉間の皺の差違がおかしくて、笑みがこぼれてしまう。カスミの処遇はアーサーとそれとなく話題にしている。

 どこかの貴族に後見人になってもらい、生活の心配をさせずにのんびり暮らすように処するのがカスミの幸福かもしれないと。この世界に迷い込んできた少女に細やかな気遣いを示すアーサーは、未来の王として頼もしく思える。その姿勢や考え方を立派だと思い、そのアーサーを支えるのが自分の役割と改めて与えられた責任を痛感する。


 カスミとお茶を飲んだ後は、王妃陛下との打ち合わせが入っている。婚儀の発表の前に贈られる装飾品を確認するために、私は西の棟を離れた。王妃陛下とも礼節と親しみをもって接するように努め、割いていただいた時間が有効なものになるようにと話をすすめる。

 用件が済んで退出する前にもう一度カスミのところに顔を出すと約束していたので、私は再び西の棟に赴いた。部屋にカスミはいなくて、庭に出ていると言う。私も気楽に庭に出て夕闇が迫りそうな遠景と手入れの行き届いた庭を楽しむ。


 休憩やちょっとした集まりにも使える四阿にカスミはいるようだった。

 近づくにつれ、違和感を覚える。人が多い。カスミだけならせいぜい侍女が一人、護衛も一人か二人なのに、影法師のように佇む人数は十人に近い。 四阿に目を凝らすと、カスミは中に据えられている石造りの長椅子に腰掛けているようだった。

 そしてカスミだけでない――もう一人。

 私を認めてにわかに緊張する護衛の騎士に静かにするように手振りで伝え、私は侍女を一人伴って彼らの斜め後ろから四阿に近づく。

 深まりゆく暗がりに身を潜めるようにして足音も消した。


「アーサーねてる?」

「起きているよ。でも眠りたいな、気持ちがいい」


 未だ姿が見えないのに、声は届いた。心配する口調のカスミと、応じるアーサーの無防備な声音は黄昏に相応しい音量に思える。でも未だアーサーの姿がとらえられないのに不審を覚える。四阿は小高い場所に作っているのに、認められないのはおかしい。細心の注意を払いながら出入り口の切れ目から中を覗くと、腰掛けるカスミの膝枕で寝そべるアーサーがいた。


 どく、と胸が嫌な音をたてる。近衛達は明らかに私の出現に動揺していた。彼らはカスミとアーサーが四阿で寛いでいるのを承知していたのだ。緊張感のまるでない、もの慣れた二人の様子からはこんな時間は初めてでもないのだろう。

 立ったままでは見つかるかもしれない。そっと二人の背後に中腰で佇む。盗み聞きなんて恥ずべき行為を、しかも侍女や近衛が見ているのにしてしまうのは正気の沙汰ではない。未来の王子妃としてはあるまじき行為だ。

 そう、分かっているのに止められない。


 状況を把握しなければ。私はその一念に凝り固まっていた。


 どくどくと響く鼓動と耳鳴りで声が拾えない。

 それでも無情にも会話が聞こえる。


「疲れているの、とべ」

「……ああ、疲れもが軽くなる。カスミは優しいな」

「疲れているの時の膝の枕、マッサージは最強ね」

「マッサージ?」

「首や肩を揉んだり叩いたり、舐めたり」

「舐めるのは勘弁だが、ずっとこうしてもらいたいな。気持ちがいい」


 侍女がさっと私に視線をやった。

 アーサーがカスミに膝枕をされて頭や首、肩を揉まれているようだ。――カスミに他意はないだろう。アーサーの疲労がたまっているのを見かねて、自分にできるやり方でアーサーを癒やしている、そうに違いない。


 そう、思おうとする。思い込もうと、した。


 ただありえない。婚儀の日取りの発表はまだでも、私とアーサーはほとんど生まれた時からの婚約者だ。そのアーサーが私ではない女性の膝に頭を預けている。男性と女性の振るまいとしては、非常識にすぎる。

 婚約していたって、私はアーサーを膝枕するなんて恐れ多くてできはしないし、やったこともない。考えもしなかった。

 なのに、この状況はどうだと思えば、慎みがない、無礼を通り越して不敬ではないかとカスミを非難する気持ちが湧いてくる。でも同時にそれをさせて赦しているのがアーサーだと気付くと、とてつもなく胸が苦しい。


 私にはしない濃厚な触れあいをどうしてカスミとはするのか。

 どうしてアーサーは私でなくカスミに癒やされているのか。


 呆然とする私を置き去りに、薄闇の世界で二人はしのびやかに囁きあっている。そこに私の入り込む余地はないように。


「嫌なことも忘れてしまう」

「アーサー、嫌なことあるの?」

「ここだけの話だ。王子のつとめや婚儀から逃げ出したくなる時がある。ああ、これは秘密だ」

「秘密。ないしょ?」

「そう、私とカスミだけの内緒ごとだ」


 今度こそ足が震えた。このままだとこの場に崩れ落ちてしまいそうで、私は踵を返して近衛のいる場所へと戻った。目の色だけで気遣わしげな空気を漂わせる侍女に、意識的に微笑んだ。ぎこちないかもしれないが、感情を露わにはできない。

 恥の上塗りになってしまう。


「もう少しすれば夕食でしょう? 私はこれでおいとまするわ。カスミには顔を出す約束を果たせずに謝っていたと伝えて下さる?」

「――承りました」

「カスミも一人で石の長椅子に座り続ければ身を冷やすわ。頃合いを見計らって戻るように勧めるのがいいでしょう」


 あそこに座っているのは、カスミ一人。

 私はカスミしか見ていない。だから――と匂わせた内容と王子付きの近衛や侍女は受け入れ、心得顔で軽くお辞儀をした。ほんの少しの同情も滲ませながら。それがどれほど私の誇りを傷つけているか。

 鷹揚に頷いて私は侍女を連れ庭から離れる。

 歩みが無様に乱れてはいけないと、なけなしの自尊心だけを支えに足を進める。気を抜くと走り出したくなる。泣きそうになる。人前でけして動揺を見せては駄目だ。幼い頃から叩き込まれた振る舞いを私は必死でなぞる。

 西の棟を抜け、馬車に乗り込み王城から離れるまで永遠にも近いような、それでいてひどく短かったようなおかしな感覚だった。


「お嬢様」

「帰ったら王妃様からいただく装飾品にあわせた衣装を作らなければ。見事な宝石だったもの、衣装が見劣りしてはいけないわ」

「……お嬢様」


 我ながら固い声。はり付けたようなおかしな表情。

 全身に力を入れて姿勢よく座っていなければ、馬車の中でくずおれてしまいそうだった。掌で顔を覆い、慟哭しそうだった。

 さっき耳に入った会話を何度も何度も繰り返す。


 ――逃げ出したい。王子の重責はたしかに押しつぶされそうな息苦しさをアーサーに与え続けている。否定はできない。

 ――逃げ出したい。婚儀から。つまりは私から――。

 私との婚儀が嫌なこと。その心情をアーサーはカスミと密かに共有する。


 呼吸を整えないと引きつけを起こしそう。背筋を伸ばしていないと胸がかきむしられる。馬車の床をしっかりと踏みしめていないと、足元にあいた穴に落ち込んでしまいそう。


 そんな錯覚にとらわれる。自分を律しながら、どうにか館に帰り着いた。

 家族と夕食を取りながら王城での出来事を話題にのせる。四阿の件は無論除いてだ。衣装の仕立てに取りかからなければと嬉しそうに呟く母にそうねと同意して、部屋に引き上げる。

 いつもと変わらないように心がけ、ようやく自分と向き合えたのは寝台に入ってからだった。そっと顔を掌で覆い、透明な仮面を外した気分になる。途端に押し寄せたのは悲しみとも憤りともつかない、激しい奔流だった。

 胸に穴が空いてしまったようで鳥肌が這い上る。自分で腕をきゅっと抱きしめながら、私は二人に思いを馳せた。


 アーサーとカスミはどんな関係だろう。アーサーはカスミをどう思っているのだろう。そしてカスミはアーサーを……。

 考えれば考えるほど嫌な予感しかしない。

 ようやく私はジェームスの『危険』と漏らした心情を理解した。



 意識的に二人のことを頭から閉め出して、私は婚儀の準備に没頭した。

 アーサーを公私ともに支えられるようにと自分を磨く。やるべきことは山のようにあり、集中していれば余計なことは考えなくて済む。出した手紙にはアーサーは優しい返事をよこしてくれる。それを頼りに、ともすれば気が抜けそうになる時間を必死で耐えた。

 それでも前のようにはカスミのもとへは行けなくなった。無邪気なカスミの口から、私の知らないアーサーの言動が飛び出すのが怖い。


 カスミの養女の件は進展していないらしかった。それとなくジェームスに探りを入れても、適当な者がいないらしいと望むような答えはない。それでもある老貴族が後見人になりそうだとの話が浮上して、私は心底安堵した。

 カスミが王城から出れば……全ては杞憂に終わる。予定通り私達は婚儀をあげて、私は王子妃になってゆくゆくはアーサーと共にこの国を治める。優しく真面目なアーサーだから、きっと民に慕われる国王になるに違いない。ジェームスだって支えてくれるはずだ。

 微力ながらその助けになり、子供をつくり次代に引き継ぐのが私の役目。

 ――大丈夫、何も心配することはない。

 そう思いながら、私は正式に婚儀の日取りが発表されるのを待った。



 ついに父と私に内々に王城にという通知が来る。ようやく、という安堵のもとで入念に支度をして私は家族に見送られる。

 父とひとつ馬車に乗り合うのも久しぶりで、私は父と沢山の会話を交わした。父は物静かだが家族を思いやってくれる。私も両親のような家庭をアーサーと作れたらと密かに目標にしている。今日の父も穏やかで落ち着いている。

 つとめて冷静にと心がけながら、私は王城の門をくぐった。



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