迷い人
どう考えてもこの世界でない所から迷い込んだ者がいるらしい。
そんな噂が現実と割りに早く知ったのは、私が王族に近しいから。
迷い人は若い娘で、王城で発見された。はじめは不審者として牢に入れられたけれど、何もないところから忽然と現れたとしか思えない状況とどんなに調べても素性がわからず、他国との繋がりも見いだせなかった。結局、厳重な監視下で生活することになった。
「迷い人の世話というか、生活について助けて欲しい」
そう自分に頼んだのは世継ぎの王子殿下、アーサーだった。心底困ったような表情に、生まれた時からの婚約の間柄も手伝って勿論と要請を受け入れる。ほっとしたアーサーに、自分が胸のつかえを取ることができたと誇らしさも覚える。
どうやら国王陛下から迷い人の件を任されたようだった。
「とにかく服装が妙なのだ。これまで見たことのない意匠で、そのためこの世界の者ではないのではと判断する根拠になった」
目立たない王城の一角の部屋に案内され、その娘――少女と私は対面した。
発見された時の衣装を着ている彼女を目の当たりにして、絶句してしまう。どうにか、声は飲み込んだけれど。
上と下の外衣は別れている。上の衿は前は三角にくられ、下に布をあてた胸元の両側に沿って肩にいくほど広くなっている。後ろで衿は四角くなっていて、濃い細い別の布で少し内側が縁取られていた。
下は――確かに珍奇としか言いようがない。決まった方向に折られた布が腰のところで上からのかぶせの布でまとめられている。その長さは、なんということ。膝の上、腿の半ばまでしかなくその下を余すところなく晒している。
思わずめまいを覚える。
なんてはしたない。足を見せるなんて。一般的な知識として巷には体を売る女性がいて、誘惑のために足を見せるというのは知っていても、こんなに堂々と晒すのなんて聞いたことも見たこともない。
確かにこれではアーサーは弱ってしまうだろう。私はそう判断した。
言葉の通じない少女はきょとんとした顔で私達を見ていた。私は少女に笑いかけ、小首をかしげる。
それまで緊張していたような少女は私を見て――ぱああっと花開くような笑みを見せた。唇から飛びだしたのは、私には理解できない言葉。
それでも少女は全身で、私への嬉しさを表現した。安心したのかもしれない。可愛い、と私が思ったのも自然だった。
屈託のない、そして裏表のまるでない笑顔に代表されるように、少女は素直だった。
まずは足を隠さないとと、身振り手振りで着替えをすすめる。王城の衣装から締め付けずに着られるものを用意して、少女の体の前に当ててみる。少女は衣装と私を交互に見てから、これを着るの? とでも言うかのように目で問いかけた。
「ええ、そうよ。着替えましょう」
小さい子供に言い聞かせるようにゆっくりとはっきりと言葉を紡いでから、私は少女を促して侍女と共に部屋を変えた。
――私が可愛いと思ったくらいだ。一緒にいたアーサーがそう思わないはずがない。
おそらくこの時から、始まっていたのだ。
こちらの衣装を身につけても少女はどこか幼い感じだった。発育が悪いわけではない。
表情がくるくると変わり、好奇心を前面に出している様が、取り繕い本心を明かさないのが通常の王城内ではことに新鮮というわけだった。
アーサーは少女の教育を始めた。優しい人だから一人世界から放り出されたに等しい少女に同情したのだろう。言葉を教え、時間が空けば王城の中を案内していた。
私は年頃も近かったので少女のお世話係のような立場についた。特別に西の棟に滞在する形で三月の間泊まり込む。アーサーは忙しいから公務でいない間に私が言葉や生活習慣を教え、食事や軽食をともにし、手芸や音楽、散策を楽しんだ。
一応こちらの生活が送れるようになって私は一旦西の棟から退出し、その後はできるだけ頻繁に顔を出すようにした。
発見されてから二年で少女はこちらに馴染んでくる。
少女はカスミ、という名前らしかった。たどたどしく単語を繋げて、ひどく時間はかかるけれど意思の疎通を図る。
「カスミ、おいしい。ごちそう、さまさまでした」
「美味しい? よかった」
「よかった」
口に合わないものも多いが、食べて美味しいとカスミは必ずにこにこする。つられて私も微笑んで、その場の空気が和やかになる。アーサーも同席するとひどく楽しい時間になった。
弟の王子、ジェームスは対照的だった。初対面から懐疑的な態度を隠そうとせず、正体を暴いてやるとばかりにカスミに対して否定的だ。彼は兄と私がカスミに親しくするのをひどく嫌がった。二年経ってもカスミに友好的ではない。
「兄もあなたも暢気すぎだ。害意ある者だったらどうするのだ?」
「年端も行かない、頼る人もいない子です。第一武器の類は持っていないし……」
「修練を重ねた者は全身が武器のようなもの。警戒心がなさ過ぎる」
「ジェームス様は心配性ですね」
兄のアーサーの穏やかさとは対照的に、弟のジェームズは騎士団に入っていて剣で父王や兄王子を助けるつもりのようだった。大きな体躯と鋭い目つきは威圧感を醸し出す。カスミはジェームスに戸惑い、怯えて私かアーサーの後ろに回り込むことが多かった。
妹ができたみたいで、私は庇護欲をそそられる。
軽くジェームスを睨んで、カスミに大丈夫と告げる。アーサーもカスミの背中を撫でて笑いかける。
「私一人を悪者にする」
無愛想な顔を一層しかつめらしくしてからジェームスが出て行くのを、カスミはアーサーの服の裾を握って見送る。
扉が閉まってからカスミがはああっと大きな息をつく。
「ジェームス、息うすい、喉カラカラ。ええと、熊?」
「――ジェームスが熊のようで怖くて、カスミは緊張して喘ぎ喉が乾くということだろうか」
「おそらくそのような解釈でよろしいかと、アーサー様」
「そうか、ジェームスは熊か。全くカスミは面白いな」
優しい眼差しでアーサーがカスミを見つめ、カスミはにこにことしている。
ちり、と感じたのは何だったのか。
アーサーはカスミを、一人でもやっていけるようにしたい意向を持っているらしかった。
侍女でもお針子でもなんでもいい。ただカスミは元の世界の貴族か王族かと思うくらいに、見事に何もできなかった。
「水くみ? したことない」
「針? ミシンは触ったある」
「料理は……レンジでチンと、あとIH」
「ロウソク、これが普段、明かり?」
よくわからない単語を織り交ぜながらもカスミのいたところは、食べるものも着るものも困らず、他国の料理を気軽に味わえ電気とかいうもので夜も明るく、肉体労働をする必要もないらしい。そして居ながらにして他国や人々のことがわかるらしかった。
恵まれた者の素直さと鷹揚さをだから備えていたのか、と私は納得する。
同時に、そんなところから迷い込んだカスミがどんなに心細かったかと同情した。
アーサーもカスミの背景に興味があるようで、西の棟でカスミから話を聞く機会がだんだんと増えていた。
「テレビ、新聞、ネット、口コミでええと情報、知る」
「テレビ? 新聞? ネット?」
「え、と、ね。説明難しい。あ、口コミわかる? 人から人の噂、口付け」
あちらの単語らしいのを一生懸命伝えようとするカスミと、理解しようとするアーサー。
真剣な空気は私でさえ割り込むのがためらわれた。真面目な顔をしていたアーサーが、不意に顔を赤くした。
「く、口付け?」
「口で思いを伝える、触れあい、とても大事」
「カスミ……」
カスミは大まじめに頷いた。しっかりとアーサーと目を合わせて。
私は瞬間息をのんだ。余人を立ち入らせないような、そんな空気を感じて。
勇気を出して声をかけようとした瞬間、ぐっと肩をつかまれた。振り返るとジェームスが怒りに満ちた表情で前方を見据えている。
「ジェームス、さま」
「あれは、何だ」
ふと周囲に気付いたのか、アーサーがカスミから視線を外した。
ジェームスはきびすを返して荒々しい歩調で部屋を出て行き、残された私はどうにも気まずい思いで立ちすくんだ。
「あの……、一息入れないかとお菓子を用意させました」
「あ、ああ。そうだな。カスミ、お菓子を食べよう」
「うん、お菓子好き」
カスミはお菓子と聞いていそいそと卓にやってくる。カスミとアーサーと私が卓を囲む。アーサーの右側にカスミ、左側に私。
当たり障りのない話がのぼり、アーサーがカスミにかみ砕いて説明する。二人のやり取りを耳にしながら、私は焼いた菓子と果汁の杯を口に運んだ。
ひどく違和感を覚えながら。なぜかここにいるのがおかしいように感じられて、焼き菓子のぼそぼそとした感触がいつまでも口に残る。
私はやんわりとアーサーに進言する。
「カスミは働かせて無理に自立させるよりも、どこかの貴族の養女にした方が彼女の以前の生活と乖離しなくていいのではないでしょうか」
「養女……そうだな。カスミを働かせるのは酷な気がしていたから、確かにその方が本人にとってもいいだろう」
アーサーは私の提案を受け入れ、真面目に検討してくれている。
久しぶりに二人きりだった。もちろん侍従や侍女は部屋に控えてはいたが、カスミが疲れたと昼寝をしていたのだ。公務が忙しいのか疲れを滲ませているアーサーには、西の棟への来訪が気分転換になっているようだった。
「父上にも話してみよう」
「私もいつまでも頻繁にうかがうわけにもまいりません。支度もありますし」
アーサーと私の婚儀を正式に発表する時期が迫っていた。一度館に戻って準備をしないといけないので、ずっとカスミだけに関わっているわけにいかない。
「私の館にカスミを連れ帰ってもよいのですが。両親も、兄弟達も喜ぶでしょう」
「――頻繁に居場所を変えるのも、カスミには負担かもしれない。まだしばらくはここに留まらせよう」
「そう、ですね」
アーサーの言い方になんとなく引っかかるが、何が気がかりなのか。
捉えきれないままアーサーは公務に戻ってしまった。私は庭に出て咲く花を眺めていた。
「カスミの養女の件は伝えたか?」
「ジェームス様。はい、アーサー様も国王陛下にとおっしゃっていました」
「そうか。早めに引き離した方がいい。――危険だ」
カスミと危険が結びつかなくて私はぽかんとしていたに違いない。ジェームスは厳しい顔付きを、少しだけ和らげた。
「あなたは、我々には義務があるのをわきまえている。それはここに生まれ育った者には当然のこと。だが、異分子には――」
口をつぐんでしまったジェームスは、意図的に花に視線を向けた。
異分子。単語のもつひやりとした物騒さに、思わず腕をさすってしまう。ジェームスがそんな様子に気付いた。
「寒い?」
「いえ、大丈夫です」
「戻った方がいい。温かいものを用意させよう」
風が整えられた庭に吹き寄せ、木々や花を揺らす。
ジェームスに促されながら西棟に戻る。小さい頃は子犬のようにアーサーの後をついて回っていたジェームスも、圧倒的な存在感を放つ男性に変わった。
未来の私の義弟になるジェームスの心遣いに私はさっきの不安を消して、卓についた。