【精霊国物語番外編】貴方にこの想いが届いたら
長いこと抱えていた想い。
望みはないのだと理解していても、捨てることの出来なかった想い。
随分と短くなった髪に、彼の哀しみと決意が見える気がして、心が痛んだ。
声を聞きたい。触れたい。笑顔を向けて欲しい。
その想いに、何処か卑怯な想いが混じっている気がして、何も出来ないで居る。
寄り沿いたい。
でも、それは……。
「それで、ちゃんと渡して来たの?」
「う、うん」
テルアルは、親友のフュールが訊くのに、頷いた。
任務でエランとの境まで行くのだというクッザールに、手製の焼き菓子を渡し終えた、その緊張が今でも残っている。
「それでそれで、クッザール様は何て?」
ニコニコと笑みを浮かべながら訊くシンティに、テルアルはついその時のことを思い出し、俯いた。カァと顔が熱くなり、目の前の洗濯物を擦る手を早める。
「えっ、もう愛の告白を受けたとか……?」
少し低い声でからかうように言うルケに、慌てて顔を上げる。
「そ、そんな訳ないでしょう⁉ クッザール様は、ただ『有難う。あとで皆と楽しませて貰う』って、笑顔を向けて下さっただけで……」
言いながら、思わず笑みを零していたテルアルは、じぃっと見つめる三人に「ほら、手を動かして!」と声を上げ、自身も洗濯を再開した。
グラウスで生まれ、城仕えをしていた両親に教え込まれる形で、物心ついた頃より見習いとして務めていたテルアルは、今クッザール隊の世話役として日々の仕事を熟している。
一族の中でも、此処まで重要な役に就いた者は少なく、その命を受けた日には、両親は歌い踊り長いことテルアルを褒め讃えた。
──それは、良かったけど……。
テルアルに喜びを与え、そして苦しみを与えたのは、クッザールの存在だった。
グランディウスの子孫であるグラウス家三男。そしてこの精霊国一番の実動隊であるクッザール隊を率いる者。
テルアルの想い人だ。
ほんの子供の頃に見掛けたクッザールに、ひと目で恋に落ちたテルアルは、しかしすぐにクッザールの想い人を知ることとなった。
このグラウス──いや、この国イチ美しいとまで言われる、精霊姫付きの世話役アメリア・エティカ。
確かに、アメリアは同性であるテルアルから見ても、悔しさを感じないまでに美しい。そして、その性格も、世話役としての技術も、全てが秀でていると感じられた。
彼女にないのは、精霊と対話する力だけ。
この国では、殆どの者が精霊の呼び掛けを受けるか、その力を込めた道具を使うことが出来る霊力を有している。
全てが完璧だと思われていたアメリアには、それがなかった。
しかし、クッザールはそれには一切構わず、アメリアを愛おしげに見つめ、名を呼び、少しでも隣に居られるよう尽くしているのだと痛い程に伝わってきていた。
お似合いの相手。
人々は表立ってそう騒ぐことはないが、いずれ適した時期に二人の婚儀が行われるのだと、当然のように受け入れ、羨望の眼差しを向けていた。
だから、自分の想いが叶うことは有り得ない。
そう何度も繰り返し自分に言い聞かせてきたテルアルだったが、ある時全てが変わってしまった。
アメリアの死、という形で。
〈影〉が溢れ、それを深淵の女王が操るようになった命世界。マリーエルが精霊姫として大陸にある世界樹の枝葉の祓えの旅に出た際に、アメリアは命を賭して自身が仕える精霊姫を守ったのだ。
一時は国中その衝撃に打たれていたが、暫くするとそれを讃える声が上がり始めた。
当のマリーエルやクッザールが、悲しそうな笑みで民と喪失の想いを共有する度、その瞳の奥に潜ませていたものに、気が付いた者はどれだけいただろうか。
やがてクッザールは長かった髪を随分と短く切り、そうしてそれ以来哀しみを滲ませることはなくなった。
諦めようと自身に何度も言い聞かせた想い。
宙に浮いた、想い。
もしかして……。
そう思った自分を嫌悪した。
テルアルも、幾度もアメリアに助けられ、談笑し、優しく美しい笑みを向けられたことがある。
きっと多くの者と同じように、あの美しいアメリアが好きだった。
だからこそ、今度こそ何も出来なくなってしまった。
抱える想いに押し潰されそうになってしまった。
それを打ち壊したのは、三人の親友達だった。
「だからって、クッザール様はいずれ妻を迎えるんだよ?」
「そうだよそうだよ。此処で諦めて、何処かの誰かに取られちゃってもいいの?」
「テルアルにその気がないなら、私が立候補しちゃおうかな」
思い思いに話し始める親友達に、テルアルは「駄目!」と声を上げていた。
途端にニヤニヤと笑い始める親友達に、また策にハマってしまった、と思い知る。
見習いになるよりもずっと前から顔見知りだった三人の親友達。
まず三つ年上のフュールが見習いとして城へ務めだし、次に同い年のテルアルとシンティ。そしてふたつ年下のルケ。
皆揃って見習いとなってからは、務めも、休みもずっと共に過ごしてきた。
その時々で、意見を主張することが苦手なテルアルが前に進めるようにと、あれこれと手を使って背中を押してくれる親友達。
毎度三人の思惑通りに反応してしまう自分に呆れもしたが、感謝もしていた。
きっと、自分一人では、ただ悩むだけで何をすることも出来なかったから。
その日から、テルアルはクッザールの目に留まれるよう、積極的に行動を始めた。
とは言っても、クッザールの身の回りの仕事に就けるよう色々と動いたのはフュールだし、立ち止まりそうになった時に寄り沿ってくれたのはシンティ。そしてテルアルの動きが良くないものに取られないように工作したのはルケだった。
何しろ、相手はグラウスの王子。
有力候補が居なくなったとなれば、その妻の座を狙う者も当然出てくる。
きっと、強く出られたら自分は身を引いてしまうだろう。
そう言ったテルアルに、しかし親友達は可笑しそうに笑い始めた。
「ないわよ。どれだけ長いことクッザール様をお慕いしていたと思ってるの?」
「そうだよそうだよ。しかもあのアメリアが居たのに、それでも諦めてなかったんだもん」
「今騒いでる人達は、結局アメリア姉様が居なくなったから、あわよくばって思ってるだけ。そんなのにテルアルが負ける訳ないじゃん」
そうして、親友達のひと押しによって、元々勤勉さを評価されていたテルアルは、クッザール付きの世話役となったのだった。
実動隊を率いるクッザールの実務は多岐に渡る。
その多くに、テルアルは付き従い、次々に実務を覚えていった。
本来、世話役は生活するのに必要なことを世話するだけでいいのだが、それだけではクッザールの務めに対応しきれない。
必死に務めを熟していたある時、テルアルはクッザールに呼び止められた。
そこでやっと、クッザールを〝想い人〟ではなく〝仕えるべき相手〟として日常の一部に埋めてしまっていたことに、テルアルは気が付いた。
愕然とした。
触れたくて、声を聞きたくて、それでも務めを疎かには出来ないと尽くしていたら、当のクッザール自身を見られなくなっていた。想いを伝えるなんて、ひと欠片も出来ていない。
しかし──
「疲れているだろう。君には随分とよく働いて貰っている。少しは労わせてくれ」
クッザールのその言葉に、声に、見つめる瞳に、テルアルは泣き出しそうになっていた。それと同時に、すっかり埋もれて消えてしまったかと思った想いが、変わらず自身の中にあることを感じていた。
──やっぱり、私はこの人が好きなんだ。
そう改めて認識すれば、体がカァッと熱くなってくる。
──今の今まで判らなくなっていたっていうのに。
懐から包みを取り出すクッザールを眺めていたテルアルは、ふと眩暈を感じてその場に屈み込みそうになった。
すかさず伸ばされた手に抱き留められ、ハッとする。
「まずは座ろう。歩けるかな? 難しいようなら抱えるが」
「い、いえ……歩けます。申し訳ございません」
クッザールに支えられながら中庭に出ると、長椅子に並んで腰かける。
ホッと息を吐くと、クッザールの心配そうな顔に覗き込まれた。
「すまない。世話役の顔色も見られないとは……」
「いえ! クッザール様はお忙しいのですから、そのような事は気にされないで下さい。むしろ、ご心配をお掛けしている私の方が世話役として……」
熱に浮かされていた気持ちが急速に萎んでいく。
──もっと、しっかりしないと。
思わず俯いていると、クッザールの手がそっと肩を擦った。
「私は長いこと特定の世話役を置いていなかった。だから、加減が判らなくてな。これは私の落ち度だ。申し訳ない」
そう頭を下げるクッザールにテルアルが慌てると、クッザールはそれを制し、続けた。
「私は幼い頃より体を鍛え、兵を率いる身。君の能力を疑う訳ではないが、世話役とでは必要とされる体力や技術が異なる。だから、無理はしなくていい。そういう者が必要なら、兵の中から選ぶさ。副隊長も居るんだからな」
その言葉に、テルアルは胸を締め付けられた。
クッザールは気遣っているのだと、それは判っている。
しかし──
「嫌です。クッザール様付きの世話役になれたのに……。私は貴方をお支えしたい。もっと頑張らせて下さい。今はまだ覚えることも多くて至らぬ所がありますが、必ずや──」
言いながら顔を上げたテルアルは、クッザールが奇妙な顔をして見つめているのに気が付いた。
「……クッザール様?」
「いや……」
そう言って視線を外し、再び戻すと、戸惑いを残したまま笑みを浮かべる。
「すまない。君がそうして私を支えたいと尽くしてくれるのと同じくらい、私は君を大切にしたい。その……私の、世話役なのだから。だから、無理はして欲しくないということだ。……言葉が悪かったな。普段兵とばかり話しているから、命じるのと変わらない言い方をしてしまった」
「いえ、私はクッザール様にお仕えする身ですので、兵流のやり方を──」
「いやいやいや。それは止めてくれ。君を世話役に、と決めたのは、確かに君の働きぶりを見ていて安らぎを得ると感じたからなんだ」
「……え?」
僅かに視線を泳がせ、クッザールは難しい顔をしながら続けた。
「世話役とは、身の回りのことを任せる者だろう? 君にならそれを任せられると思ったし、君と話した後は気力が回復しているのだと、気が付いてね。もし他の兵と同じに振る舞うようになったら、私も気が抜けなくて困る。何故だか君は……私にそうした癒しを与えるようだから。だから、無理をして変わらないで良い。今のままの君で。務めに関しては焦らずに。──どうだろう、私の想いは上手く伝わっているだろうか」
耳を傾けていたテルアルは、信じられない思いを抱いていた。
──クッザール様に、癒しを与えられていた……?
「で、では……今後は焦らずに、少しでも早く結果を出せるよう頑張ります」
テルアルが言うと、クッザールはふっと笑い、テルアルの頬を指先で撫でた。
「以前から思っていたが、君は本当に真面目だな。まぁ、気持ちは判るが。君が世話役となってくれて良かった。共に、この国の為尽くしていこう」
そう言ったクッザールは、ふとテルアルに触れる自身の指に目を向け、僅かに唇を噛んでから、手を引いた。
迷うように引かれたそれは、はたと懐に伸び、先程の包みを取り出して見せた。
「そうだ。君を労おうと思っていたのに。これはセルジオから贈られた菓子でな。果実の酸味と糖の甘みが……と、菓子作りが得意な君に説明は不要か」
そうして差し出された包みには、様々な果実を使った糖漬けが収められていた。
そのひとつを手に取り、口に含むと、広がっていく甘酸っぱさに思わず笑みが零れた。
「美味しいです」
「そうか、良かった」
クッザールもひとつ糖漬けを食べると、小さく頷く。そうして何かを考えるように空を見上げていたが、おもむろに立ち上がった。
「さて、名残惜しいが、私はそろそろ行かなくては。君を部屋に連れて行くよう誰かを呼ぼう」
「だ、大丈夫です! まだ務めが残っていますし、クッザール様のお気遣いのお陰で元気になれましたから!」
慌てて立ち上がったテルアルは、まだ少しだけ眩暈の残る視界を堪え、ひとつ頷いて見せた。クッザールは探るような目をした後、すっと腕を差し出した。
それを無言で見つめるテルアルに、軽く腕を叩いて示す。
「この頃合いなら、夕餉の支度かな?」
「え……は、はい」
「では送って行こう。私もあちらに用がある」
「え?」
クッザールは返事を待たずにテルアルの手を取ると腕に添わせ、支えるようにして廊を歩き始めた。
眩暈のことなど忘れ、ぼんやりと横顔を見つめていると、ちらと視線を向けたクッザールが思わずといった風に笑った。
「そんなに見つめていても、面白いことは何もないと思うが……」
「そんなことないです! クッザール様を見つめていると胸が温かくなってきて、この方のことが……あ、あの……えーと……ご期待に沿えるように頑張らねば、と!」
テルアルが言うと、クッザールは心底楽しんでいるようにクツクツと笑い、テルアルが手を添えた腕を引き寄せた。
「そうだ……そうだな」
何処か自分に言い聞かせるように言うと、柔らかい笑みを浮かべる。
ドキリ、と胸が高鳴った。
──クッザール様……。
その想いは、思わず口に出ていた。「どうした?」と訊き返すクッザールに、ふるふると首を振る。
もしかして。
形を変えたその期待の言葉は、今は素直に受け入れることが出来る気がした。
もしかして……。
ドキドキと胸は高鳴る。
もしかして──。




