表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

法律だけは私の味方です

作者: 森田季節
掲載日:2026/02/20

 それは夜会の途中の出来事だった。

 エミリーが私の体にぶつかって転ぶ。彼女のピンク色の髪が少し乱れる。



「きゃっ!」



 エミリーが悲鳴を上げる。

 私が「大丈夫?」と声をかける前に、私の婚約者のドミニク様が「いいかげんにしろ!」と叫ぶ。

 そうなるのを私は知っている。なぜなら、私は前世でこの世界をゲームとしてプレイしたことがあるからだ。



 この世界は乙女ゲーム『薔薇結晶』の内部で、私はその中の悪役令嬢デルフィーヌとして生きている。高飛車な伯爵令嬢デルフィーヌは侯爵家の長子ドミニク様と婚約していて、主人公エミリーを苦しめる。



「いいかげんにしろ! デルフィーヌ、君はエミリーに何の恨みがあるんだ!」



 ゲームの通りに、本当にドミニク様はそうおっしゃった。



 そう、今は悪役令嬢の私が夜会という衆人環視の中、断罪されて、婚約破棄を告げられる「名場面」。

 彫像のように整った顔立ち、金色の艶のある髪はややウェーブして肩にかかっている。まさに貴公子然とした侯爵家の長子ドミニク様が私を叱責する。



 このゲームをプレイしていた時には何度も見てきたシーンだ。

 だから、去年、自分が悪役令嬢デルフィーヌに転生したと気づいた時から、私は全力で破滅を防ぐための策をめぐらしてきた。



「エミリー嬢への恨みということであれば、まったくの思い違いですわ」



 私はブロンドの髪をかきあげながら、はっきりと答える。こんなところでウソをついて何になる。



「だったら、なぜこんなイヤガラセをする。君が彼女にやってきた仕打ちはあまりに品がなさすぎる」

「弁明させてくださいませ。今、ご覧になっていた方はおわかりでしょうが、ぶつかってきたのは絶対にエミリー嬢ですわ。別に彼女を咎めるわけではございません。ただの事実を述べたまでです」



 私はドミニク様の手で立ち上がった彼女の靴に目をやる。



「エミリー嬢の靴は急遽、ドミニク様の知人からお借りしたもの。慣れないうえにヒールも少し高いのですからバランスも崩すでしょう」

「ウソをつくな。君はわざと彼女にぶつかったんだろう!」

「決してウソは申しません。ウソをついては、この魂を汚すことになりますもの」



 そう、この私、伯爵令嬢デルフィーヌはそんなところで失敗はしない。



「私は自分も、実家の伯爵家も、婚約相手のドミニク様も、自分の側の存在を守るためならどんなことでもいたしますわ。自分を不利にするウソなどつくわけがありません」



 夜会の会場がざわつきだす。参加者が私たちの周りに集まってくる。参加者の多くは学園在学中の貴族の子弟と、学園OBの貴族だ。



「君は前からそうだった。エミリーが教科書を忘れて困っている時も知らぬそぶりでまったく顧みなかったな」



 ああ、そんな話もあったな。ところで、なんでそんなことまで、学年も違うあなたが知っているんだろう――というツッコミは今はしないでおく。



「その話も事実無根ですわ」

「信じられん! デルフィーヌ、君との婚約は今日限りで破棄する。君の伯爵家との関係もすべて清算させてもらう」



 ドミニク様が言い放った。さぞかし気持ちがいいだろう。好きでもない女に婚約破棄だと宣言できるのだから。



「では、今から、あなたは婚約者ではないということですわね」

「そういうことになるな。もはや君とは赤の他人だ」



 ドミニク様(まあ、侯爵家の殿方だから敬意は残しておいてあげよう)はエミリーを抱きとめながら言う。

 では、私のほうも赤の他人を守る義務はありませんね。



「わかりました。私のほうからいくつか、赤の他人の皆さんに報告をいたしますわね」



 ぱんぱん。

 私が軽く手を打ち鳴らすと、会場に新聞社風のハンチングをかぶった男、いかにも軍人といった風情の軍服の男、学園の制服を着た男女、どことなく役人じみた雰囲気の男――多種多様な人たちが入ってきた。



「なんだ、なんだ?」

「何が起こるっていうの?」



 会場の貴顕から戸惑いの声やちょっとした悲鳴が上がる。

 大丈夫です。無関係な皆さんは一切傷つきません。



「では、司会・進行は私、デルフィーヌが務めるといたしましょうか。まずは王都ジャーナルの記者さん」



 ハンチングをかぶった男が一礼してから話す。



「王都ジャーナルの記者です。ドミニク様が女子寮に侵入したところをたしかに目撃いたしております。家臣らしき方に脚立を用意させて塀を乗り越える様子を写真に収めました」



 会場の喧騒が数倍に膨れ上がる。

 ドミニク様がすぐに否定しないのはそれが事実だから。明らかな事実をウソと叫ぶのはなかなか難しい。



「続いて、王都ジャーナルのライバル会社である王国新報の記者さん、どうぞ」



 黒の外套の少し陰気な男性が前に出る。



「王国新報の者です。私は女子寮の部屋の窓の前にたたずんでいるドミニク様の写真を撮影しました。後で確認したところ、エミリーさんという方の部屋のようですね」



 エミリーまで青ざめている。それはそうだろう。女子寮に男性を連れ込むなど一発退学レベルのスキャンダルなのだから。



「ち、違う……。これは何かの間違いだ……。写真も偽物だろう……」

「ドミニク様、ライバル会社同士が偽の写真を互いに作るとお思いですか? 複数の新聞社が張り込むほど、あなたの密会は噂になっていたのですよ。なぜ、今まで新聞に出てなかったと思います? 婚約者である私のほうで止めてもらっていたのです」



 不法侵入&不貞行為。

 まあ、どれだけ実家が偉くて太くてもドミニク様も学生である以上、処分はされるでしょうね。



「それと、教科書を忘れて困っているエミリー嬢に私が何もしなかったという件ですが、簡単なことです。エミリー嬢が私に何も言わなかったからですよ。教室にはほかにも多数の生徒がいたのに、なぜか私だけが(・・・・・・・)意地悪をしたことにされていて驚きました」



 学生服を着た男女の生徒二人が気まずそうにしている。



「私が……デルフィーヌ様を貶める噂を流しました……。誰に頼まれたかというと、侯爵家の親戚筋の生徒です……」

「僕も同じです……。お金を払うと言われて、遊ぶ金ほしさについ参加してしまいました」



 ドミニク様が自白した二人の顔に順番に視線を送っている。



「そんなバカな……。何かあったなら、どうして報告しなかった」



 ドミニク様、言ってはまずいことまで漏れていますよ。まあ、もう同じことですが。



「理由は簡単ですよ。口止めにもっと高いお金を払ったからです。それとも、『何かあったら必ず報告すること』という契約書でも書かせましたか? そんな証拠が残るようなことはいたしませんわよね」

「こちらの関係者が雇ったという証拠だってないだろうが! デルフィーヌがでっちあげたことだ!」



 男子生徒がおずおずと、ポケットから一枚のノートを取り出した。



「これは具体的にどのような噂を流すのかを指示した紙です……。契約書などはありませんが、この紙は渡されました……」



 ドミニク様のそばにいた乳兄弟の男子生徒サロモンがその場に膝をついた。ドミニク様の側近とも言える男だ。



「あの方の筆跡と照合すれば答えは出るでしょう。まあ、これに関しては素人で決めるのではなく、筆跡鑑定のプロに持ち込んでいただければよいかと思いますわ」



 前世でゲームをやっていた時から奇妙に思っていたのだ。

 悪役令嬢デルフィーヌの悪評があまりに早く広まりすぎると。

 仮に主人公のエミリーに意地悪をしていたとしても、公衆の面前で罵倒していたわけでもないのに、そんな話が誰もが知るところとなるのは変だ。

 たとえば、高校の特定のクラスで不仲な二人がいたとして、それが他学年に伝わることなどないだろう。



 だから、悪い噂を意図的に拡散する者がいると予想した。

 私の予想通りだった。密偵を数人雇えばすぐに全部明らかにできた。



 もっとも、私の悪評偽装の問題などドミニク様個人の失態と比べれば小さなもの。



 周囲の野次馬たちから「もう、ドミニク様も終わりだな」「将来は女子寮不法侵入侯爵とでも呼ばれるな」といった声が漏れ聞こえる。

 社交界でこの傷は致命傷と言っていい。絶対に挽回できない。まして、私に婚約破棄と言ったのだからなおさらだ。



「ドミニク様、申し訳ございませんが、不貞行為発覚ということで、婚約破棄の前にこちらから破談ということにさせていただきます」



 私は丁重に元婚約者に頭を下げた。

 元婚約者は一気に10歳以上も老けたような顔をしていた。



 ほかの人を好きになったというところまでは許そう。どうせ政略結婚だ。

 だが、私の人生や私の一族を潰そうというのなら容赦はしない。

 悪役令嬢に転生した以上、私の大切なものは必ず守る。簡単に壊されたなるものか。



「あ、あの! もう許してあげてくださいっ!」



 エミリーが私の前に出て、叫んだ。

 まるで性悪な役人に直訴する町娘みたいだった。案外、本人はそういう気持ちでいるのかもしれない。



「ドミニク様に非があったのは間違いありません。でも、何もこんな多くの方々の前で……」



 おいおい、婚約破棄を多くの方々の前で宣言したのはドミニク様だって……。

 私はただカウンターを発動しただけだ。

 それとも群衆の中で殴られても、仕返しは無人の荒野に移動して行うべきだとでも?



 ただ、これではっきりした。

 エミリーは私に対して悪意を持ってはいない。まあ、悪人を主人公にしてゲームをすることなんてできないからね。

 でも、悪意がなくても罪に問われることは珍しくない。

 エミリー、あなたは重過失を犯している。



「ご心配なく、エミリー嬢」



 私は微笑んで彼女に答える。



「あなたにも罪はちゃんとございますから」

「えっ……?」



 自分は何も悪いことをしてないと本気で考えていたという顔。



「あなたはドミニク様と何度か女子寮の部屋でお会いなさっていますわね。その報告はあなたから女子寮に一度もなされていません。あなたはドミニク様に婚約者がいることをご存じだった。なのに逢瀬を続けたわけだから、あなたにも責任は存在しますわ」

「あっ……それは……」


 まさか、ドミニク様という賊が侵入したとは言えないだろう。そう宣言して、ドミニク様を切り捨てられるなら、たいした女傑だと褒めてやりたいところだけど。



 血の気が引いたのか、エミリーはその場に膝を突いた。



 ゲームは主人公であるエミリー視点だから、ゲームを経験していた私も最初は気づきにくかった。

 婚約者がいる人間と寮の自室で二人きりになるというのは、日本でなら確実に損害賠償の請求対象になる。

 ただ、エミリーが悪者になるとまずいので、それはまるで何も悪くないことのように描写されていたのだ。もちろん、その密会はゲーム中では絶対に明るみにならないので、罰が下ることもない。

 なので、私もエミリー自身に罪はないのではないかと錯覚しかけた。



 でも、冷静に考えたらエミリーが悪くないわけないなと気づいた。

 ドミニク様に婚約者がいることはゲーム序盤からエミリーは知っている。

 エミリーはずっと浮気をしていたというわけだ。



「あの……デルフィーヌ様、これは……」

「一度きりの事なら、ドミニク様が血迷って押し掛けたという解釈もできますわね。でも、最低でも三回は女子寮にドミニク様は入り込んでいる。悪いですけど、あなたは私の心なんてどうなってもいいとお考えだったと解釈させていただきますわ」



 そう、被害者は私だ。あくまでエミリーは加害者の側だ。

 でも、ゲームはゲームの都合で、私を悪人に仕立てあげようとするだろう。この夜会で、過去のちょっとしたエミリーとのやりとりがすべて私の意地悪と判定されて、婚約破棄の後、私は居場所を失って、実家も侯爵家に睨まれて没落、私は田舎に去ることになる。



 だから、私は自分を守ってくれるものを探した。

 それは――法律だ。



 このゲームの世界観は力の強いものが何をしてもいい弱肉強食の場じゃない。身分の差はあっても法はそれなりに整備されている、人権という観念もある。新聞社は写真を使いもしているぐらいの文明設定。



 法は雰囲気だけで悪役を決めて無慈悲に叩き潰したりはしない。

 一方で正義のふりをしている悪人を野放しにしたりもしない。



「デルフィーヌ様、お、お許しください……」

「ご心配なく、エミリー嬢。私はあなたを自分の感情だけで侮辱するようなことはいたしません。伯爵家の令嬢として理性と感情は切り分けていますわ」



 エミリーが助かったという顔をした。

 この人、本当に何もわかっていないな。



「ああ、デルフィーヌ様、ありがとうございます……」

「ですが、法があなたたちを許すかは別ですわ」

「えっ、え……?」



 そう、たとえばあなたが私に悪口を言ったとする。それなら私は許してあげることができる。

 でも、私では許しようがない罪が世界にはいくつもある。



「エミリー嬢、あなたのご実家は材木商でしたわね。それでお父様が一代貴族の地位を得て、貴族が大半のこの学園に入学なさった」

「え、ええ。そうです。私は貴族の娘の平民ということになります」



 主人公のエミリーはプレイヤーの感情移入のために平民っぽさを出しながら、貴公子たちと接点を持つ必要がある、その結果が、親が一代貴族になって、貴族ばかりの学園に入学させたという設定だ。



「そのご実家ですが、収入を明らかに過少申告していますわね。ああ、詳細はここにいらっしゃった徴税官の方にご確認を」



 30歳頃の男性の一人が小さく会釈した。彼が徴税官だ。



「細かいことはこの場ではお伝えできませんが、大きな帳簿の改竄(かいざん)が認められました。簡単に言えば、巨額の脱税です。エミリーさん、あなたのお父様はおそらく禁固刑になるでしょう」

「えっ、お父さんが……。そんな!」



 そもそも、ただ純粋無垢なだけの夢見る少女が、貴族ばかりのこの学園に入学するわけがない。

 エミリーが純真だとするならば、親のほうが何か欲得を考えていなければおかしいのだ。おおかた、エミリーを貴族の男子と結婚させて、自分たちのさらなる立身でも考えたのだろう。



 悪いが、私の敵になりうる存在の情報は、この一年で調べさせてもらっている。

 当然、何も問題がなければ、それはそれでいい。白を黒ということにしたら私は本当に悪役になってしまうから。



 私は徹底して法で戦う。

 法律だけが私の味方だ。



 よろよろとドミニク様が私のほうにやってきた。全身から力が抜けて、体を引きずっているようだった。



「デルフィーヌ……これまでのことは許してくれ」



 おそらくドミニク様は錯乱気味なのだろう。叩き潰す予定だった人間に叩き潰されそうとしているのだ。本能だけで許してくれと口にしている。



「すでに話したとおりです。私は私的な制裁などいたしませんわ。だから、私がなかったことにできることではありません」



 私は事実を語っているだけだ。私が嘆願して、女子寮に忍び込んだことがなかったことにはなりはしない。

 しかし、彼にはそれが私の意地悪と聞こえたらしい。いや、不快なことを言う奴が本能的に許せなかっただけか。



「このアマ!」



 貴族にふさわしくない野卑な言葉とともに、握りこぶしが飛んでくる。これは予想できなかった。いや、予想できたところで鉄仮面をつけて夜会に臨むこともできないから避けようがない。



 まあ、いい。あなたが私を殴っても、勝負の結果は変わらない。少しの痛みぐらいは我慢してあげよう。



 だが――

 彼の体が大きく後ろに流れるようになる。



 誰かがドミニク様のスーツを力いっぱい引っ張っていた。



「兄さん、もうやめろ。もうすべて終わったんだ」



 それはドミニク様の弟のフェリクス様だった。たしか側室の子供だったはずで、そのせいかドミニク様とはおもかげが違って、少し色素が薄いのか、髪も金と銀の間という感じだ。



「フェリクス、放せ! 兄の命令だ!」

「兄だから何だと? もうあなたは侯爵家の後継者の地位を剥奪されて勘当されている」

「な、なんだって…………?」



 意味がわからないという顔でドミニク様が聞き返した。



「女子寮侵入の件はすでに当主の父上の耳にも入っている。父上はこうおっしゃっている。この件がおおやけになった時点で、兄さんは後継者から外して勘当にすると」



 ドミニク様の肩から力が抜けたように見えた。

 さらなるショックの追い打ちのせいだろう。

 多少、同情はするが、あなたはそれを婚約者の私にやろうとしていた。しかも、悪事の証拠を積み上げることもせずに、勢いと雰囲気だけで。



「兄さん、あなたが婚約者以外の女性を愛してしまうことまではしょうがない。これは感情の問題だからね。でも、それなら父上や婚約者の家に丁寧に説明をしたうえで、正式に婚約を解消すればよかった。婚約を継続させたまま、不貞行為を働いたあなたに弁明の余地はないよ」



 そういうことだ。ゲームだとなんとなく許されていたんだけど、法律で考えたら普通にアウトなのだ。

 まあ、開発者としては、許されざる恋だから盛り上がると考えたんだろう。開発者側の理屈はわかる。淡々と婚約を解消してから改めて付き合いましたというのでは、一般的な恋愛になってしまう。

 でも、過激な恋愛のために生贄される悪役令嬢としてはたまったものじゃない。



「エミリーさんと二人でやりなおしたらいい。あなたは勘当された身だから、誰と結婚しようと止めはしないさ。ただ、侯爵家には戻れないので、そのつもりでいてくれ。ああ、それと、兄さんの乳兄弟のサロモン、お前も追放だ。兄さんに仕えると同時に侯爵家に仕える身だということを忘れたせいだ」



 完全に決着がついた。



 フェリクス様が去っていく。それに合わせるように、ほかの人間も去っていく。

 ドミニク様と乳兄弟のサロモン、エミリーだけが残されている。



 あまりじろじろと見るとはしたないので、みんな、わざと目をそらす。

 しかし、三人は自分から見世物にでもなろうとしてるように動けずにいた。



 あとは法があの人たちの適切に裁いてくださるだろう。









 学園当局の反応は思った以上に迅速だった。

 三日後にはドミニク様と乳兄弟のサロモン、エミリーの退学が発表された。

 女子寮侵入とその手伝いをした男子二人は当然として、エミリーのほうも男子の侵入をずっと報告していなかったということで、学園の風紀を著しく乱したと判断されたらしい。

 もっとも、仮に退学処分とならなくても、自主退学を選んだだろうけど。



 それと、これは噂だが、エミリーの実家の商店のほうも巨額の追徴課税で崩壊しそうということらしい。

 彼女が本来のゲーム世界のようにいろんな殿方と仲良くなっていたのなら、彼らの実家のどこかから資金援助ぐらいは受けられるはずだが、どうやら殿方たちは何もなかったように振る舞っているらしい。

 エミリーが浮気の当事者である以上、援助する理由がないせいだ。



 その日、私は中庭の東屋で一人、本を読んでいた。特殊な事件と裁判結果をまとめたものだ。裁判の本というと小難しく聞こえるが、これは娯楽要素が強いものだった。



 噴水の音だけが耳に響いてくる。

 被害者側とはいえ、事件の関係者である私にも学生たちは距離を置いていた。腫れ物扱いというわけだ。

 これは仕方ない。時間が解決してくれるだろう。



 と、私の聖域になっているような東屋に男子生徒が一人入って来た。



「えっ? フェリクス様ではないですか!」



 私は慌てて居住まいをただした。どうせ誰も来ないだろうと思って気を抜いていた。



「こんにちは。そういえば、君の周囲には二人ほど取り巻きの生徒がいたはずだけど」

「ずいぶん前に縁を切りましたわ。小悪党のようなことをしていたのを知ったので。不誠実な方と仲良くしていては自分も疑われますし、知らないうちに自分も不誠実になっていくものですから」



 原作のゲームにいた私の取り巻き二人は早い段階で距離を置いていた。自分を守るためだ。



「そうか、君の振る舞いは惚れ惚れするね。おそらく危ない橋を何度も渡りそうになっていたはずなのに、すべてそれを回避し続けた」

「ええ。そこは気を配りましたわ」

「そう、本当に惚れてしまった」



 そう言うと、フェリクス様は私が座る真ん前で片膝をついて、右手を差し出した。



「デルフィーヌさん、僕と婚約してくださいませんか?」



 私は驚いて本を落とした。だが、かえって、それで冷静になれた。



「私に恥をかかせないための侯爵家の計らいということでしたら、けっこうですわ。フェリクス様まで政略結婚の犠牲になる必要はございません。不貞の罰はあなたのお兄様がすでに受けたはずです」

「違う、僕はずっと待っていたんだ。本当に苦しかった!」



 フェリクス様が顔を上げる。ずいぶんと熱っぽい顔をしていた。



「自分が好きになった人がよりにもよって兄の婚約者なのだから、何度も運命を呪ったよ。本当にすべてを失う覚悟で不貞でも働いてやろうかと思ったこともある。そんなことをすれば永久に君にも恨まれるからやらなかったけれど」



 そんなの、ゲームでもどこにも書かれていなかった。それはそうか。どうせ破滅する人間の恋模様なんてほのめかす必要はない。



 でも、まだ私は彼の言葉を信用できなかった。

 つまり、私自身に自信がなかったということだ。



「あの……私は不貞行為のようなことはしませんでしたが、かといって、聖女のような生き方をしてきたわけではありませんわよ。入学した頃は高飛車でいけ好かない生徒でした」



 そう、前世の記憶を取り戻す一年前まで、私はたしかに悪役令嬢のラベルを貼れそうな生き方をしていた。



「そうだね。入学当初の君はあまりいい生徒ではなかった。だが、ある時から明らかに君は変わった。学園の模範と言っていいような生徒になった。別にお世辞じゃないよ。なんなら、ほかの生徒たちにも聞いてみればいい」



 じゃあ、この一年の私はよくやったということか。



「ウソではないですわね? 愛してもいない人間に愛しているというのは罰金刑にもなりませんけれど、私は決して許しませんわよ」

「ウソじゃない。君を一生幸せにすると誓う」



 顔が赤くなっているのが自分でもわかる。

 こんなにどぎまぎしたことなど、この世界に転生していると気づいてから一度もなかった。この一年、恋をする暇なんてなかったのだ。破滅を回避しないと何も意味がなかったから。



「その……嫌だと言うなら引き下がる。強引に婚約相手に決めるようなことをするつもりはない。ほかに愛している人がいるというなら潔く諦めるさ」

「嫌では……ありません……。ただ、愛され慣れていないだけです……」



 どこかに舶来の扇子はなかったっけ? 赤い顔を隠したい。本は落としてしまっているし。


「わ、わかりました……。フェリクス様との婚約、私に異論はございません。正式に侯爵家からご提案いただければ、すぐに受諾すると誓いますわ……」

「あ、ありがとう! 本当に天に舞い上がりそうなほどうれしいよ!」

「と、とりあえず、膝をつくのはやめてください。フェリクス様はいずれ侯爵家を継ぐお方なのですから」

「ああ、僕は兄さんと比べるといいかげんというか、そのへんはゆるいんだ。侯爵家を継ぐための教育も急に忙しくなって困ってるよ」

「ああ、フェリクス様も人生がずいぶん変わってしまった立場でしたわね」



 立ち上がったフェリクス様ははっきりとこう言った。



「これからは無茶苦茶になったデルフィーヌさんの人生を僕が幸せに変えてみせる」



 こんな言葉、よくまっすぐな瞳で言えるものだ。本当に恥ずかしい……。

 でも、全然悪い気持ちじゃない。これが恋というものか。

 破滅を防ぐことだけ考えていたけれど、その先に急にこんなことが起こるのだから、人生はわからないものだ。



「あの……嫌だったらやめておくんだけど」

「ええ、何でしょうか?」

「キス、させてくれないか?」



 あっ、この人、思ったよりも積極的だ。



「婚約……正式に婚約が成ってからということにいたしましょう……。やや、はしたないという考え方をする人もいるでしょうし……」

「そうだね。わかった。焦りすぎたらしい」



 私はふるえる手をフェリクス様の前に出した。



「手をつなぐぐらいだったらいいですわ。隣も相手おりますし、お座りになって」

「う、うん! ありがとう!」



 私たちは手をつないで、しばらく座っていた。

 幸せでおかしくなりそうだった。

 婚約が成立したら、もう少し甘えてみようか……。



◆終わり◆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
隙の無い主人公もいいですね
これ、原作がクソゲー疑惑。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ