二つの欠けた月
ギデオン様の右腕に刻まれた紋様は、まるで生き物のように脈打っていた。
私は恐る恐る指先で触れる。皮膚は氷のように冷たいのに、その奥でどす黒い熱が渦巻いているのがわかる。指先から伝わるのは、ただの怪我の痛みではない。もっと根源的な、魂を削り取るような飢餓感だ。
「……『魔力喰らい』の呪詛だ」
ギデオン様が静かに語り始めた。
それは三年前。彼が王国の騎士団長として、国境に出現した「災厄の魔獣」と戦った時のことだという。
彼は死闘の末に魔獣を討ち取ったが、魔獣は最期の瞬間に自らの核を砕き、その呪いを彼の一撃に――右腕へと叩き込んだのだ。
「この呪いは、私の体内で生成される魔力を餌にして肥大化する。治そうとして回復魔法をかければ、その魔力すら食らって暴走し、激痛が走る……もはや、切り落とす以外に逃れる術はないと言われたよ」
だから、彼は剣を置いた。
魔力を奪われ続け、満足に動くこともできない体では、国を守る英雄など続けられないから。
彼は自ら辺境へ退き、世間から姿を消したのだ。
「そんな……ずっと、一人で痛みに耐えてこられたんですね」
私の胸が締め付けられる。
英雄と崇められながら、その実、誰にも治せない孤独な痛みを抱えていたなんて。
「でも、切り落とすなんて言わないでください……私が、治してみせます」
「治す? だが、聖女ですら匙を投げた呪いだぞ」
「『消す』んじゃありません。『変える』んです」
私は顔を上げ、彼の目をまっすぐに見つめた。
「【ニコイチ】は、二つのものを融合させて新しい一つを作るスキルです。もし、この『呪い』というマイナスのエネルギーを、別の強力な魔力媒体と融合させることができれば……」
「……毒を薬に変える、とでも言うのか?」
「はい。少なくとも、ギデオン様を傷つけない『無害な魔力』に変質させられるはずです!」
私の提案に、ギデオン様は驚愕し、やがて小さく笑った。
「常識外れだ……だが、君ならあるいは」
私たちはすぐに地下の実験室へ移動した。
治療の実験だ。いきなり本番を行うのは危険すぎるため、まずはギデオン様の体から漏れ出ている呪いの瘴気を採取し、それを様々な素材と融合させてみることにした。
「いきます。【ニコイチ】!」
私は採取した黒い霧のような瘴気と、高純度の魔石を合わせてみた。
しかし――。
パリンッ!!
融合しようとした瞬間、魔石が悲鳴を上げて砕け散った。
「ダメか……!」
「魔石の器としての強度が足りません。呪いの力が強すぎて、受け止めきれないんです」
次はミスリルの欠片。次は竜の鱗。
ギデオン様がかつて集めた貴重な素材を次々と試したが、どれも呪いの強烈な「負の感情」に耐えられず、黒く染まって崩壊してしまう。
「くっ……これほどの素材でも耐えられないのか」
ギデオン様が悔しげに眉を寄せる。
私も唇を噛んだ。
物理的な強度だけじゃダメなんだ。この呪いは、魔獣の「殺してやる」という強い怨念の塊。それを受け止め、中和するには、それと同等か、それ以上に強い「想い」が込められた器じゃないと――
その時。
パチン、と弾け飛んだ魔石の破片が、私の方へ飛んできた。
咄嗟に顔を庇った私の左手首で、カキンと硬い音がする。
「ミレット、大丈夫か!?」
「は、はい。腕輪が守ってくれました」
見ると、母の形見である銀の腕輪が、黒い瘴気の欠片を弾き返し、淡い光を帯びていた。
傷ひとつついていない。それどころか、まるで呪いの力に対抗するように、温かな魔力を放っている。
(……え?)
私は腕輪を見つめた。
お母さんが、死ぬ直前まで祈りを込めて作ってくれた腕輪。
もしかして、これなら――
しかし、それは私にとって唯一の母の形見。失敗して砕けてしまえば、二度と戻らない。
いままで『呪い』の犠牲になってきた素材同様に、【ニコイチ】での修理もかなわないだろう。
心に迷いが過る。
けれど、苦痛に耐えるギデオン様の横顔を見た瞬間、私の心の奥で何かが決まった気がした。
◇ ◇ ◇
その頃、王都。
レイモンドの執務室に、雇っていた密偵の男が入室していた。
「報告します。ミレット・アヴニールの居場所が判明しました」
「ほう。どこだ? スラムの路地裏か?」
レイモンドは書類仕事の手を休めず、嘲笑混じりに問うた。
だが、密偵の答えは予想外のものだった。
「いいえ。辺境伯領アイゼンガルドです。彼女はそこで領主の庇護を受け、例の『リボーン製品』の工房長として厚遇されています」
「……なんだと?」
「そこには、身なりを整え、見違えるほど綺麗になったミレットが、あの「英雄」ギデオンと親しげに街を歩いている姿を見た、という証言が複数。間違いありません」
レイモンドの動きが止まる。
「馬鹿な……あのゴミ女が、辺境伯と?」
レイモンドは写真の中の、幸せそうに笑うミレットを睨みつけた。
自分が見捨てた女が、自分よりも上の地位にいる男に選ばれ、成功している。
その事実は、彼の歪んだ自尊心を何よりも逆撫でした。
「許さん……私の許可なく幸福になるなど、許さんぞミレット」
ギリリ、と歯ぎしりをする音が響く。
レイモンドは狂気を孕んだ目で笑った。
「いいだろう。国益のためだ。貴重な『国家的資産』を不当に独占している辺境伯から、彼女を『回収』してやろうじゃないか」




