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大水車を救え

 その夜、アイゼンガルドは数年ぶりという猛烈な嵐に見舞われていた。

 窓を叩きつける雨風の音で、私はふと目を覚ました。

 不穏な空気を感じてベッドから起き上がると、廊下が騒がしい。慌てて部屋を出ると、びしょ濡れの男性がセバスチャンさんに支えられているのが見えた。村長さんだ。


「領主様、お願いだ! 大水車が……村の命綱が、雷にやられちまった!」

「なんだと?」


 奥から出てきたギデオン様が、険しい顔で問い返す。


「柱が折れて、今にも濁流に流されそうだ! あれがなくなったら、麦畑への水も、粉挽きもできなくなる。今年の冬は越せねえ……!」


 大水車。昼間に村へ行った時、見たことがある。この痩せた土地で農業を続けるための、唯一にして最大の動力源だ。

 ギデオン様は唇を噛み締めると、すぐにマントを羽織った。


「すぐに行く。セバスチャン、人手を集めろ!」

「私も行きます!」


 私が声を上げると、ギデオン様は一瞬躊躇したが、強く頷いた。


「……飛ばされないように、しっかり捕まっていろよ」


◇ ◇ ◇


 現場は地獄のような有様だった。

 轟音を立てて流れる濁流の中、巨大な木造の水車が悲鳴を上げている。落雷の衝撃で主軸を支える支柱がへし折れ、全体が大きく傾いていたのだ。

 村の男衆が何十人も総出で、太いロープをかけて必死に支えているが、水圧に押されてズルズルと引きずられている。


「くそっ、もう保たねえぞ!」

「引け! 引けぇぇ!」


 ギデオン様が雨の中で叫ぶ。


「状況はどうだ!」

「領主様! 駄目です、折れた柱の代わりになるような資材なんてねえ! 今から森で木を切ってきても間に合いません!」


 絶望的な報告に、ギデオン様が拳を握りしめる。

 新品の資材はない。修理する時間もない。

 なら、見捨てるしかないのか?

 ううん、違う。


(資材なら……ある!)


 私は暗闇の中で目を凝らした。

 濁流の少し上流、川の湾曲部に引っかかっている巨大な影。あれは数年前に壊れて放棄されたという、先代の水車の残骸だ。昼間、村の人が「片付けるのも大変だから放置してる」と言っていたのを覚えていた。


「ギデオン様! あそこ! あの上流にある古い水車の残骸が見えますか!?」

「なに? ああ、ボロボロの残骸だが……それがどうした!」

「あれと、今の水車を【ニコイチ】します! 二つを合わせれば、丈夫な水車に生まれ変わらせることができます!」


 私の提案に、ギデオン様が目を見開く。


「馬鹿な、距離がありすぎる! お前のスキルは接触が必要だろう! あんな濁流の中に入れば、お前のような小柄な体など一瞬で流されるぞ!」

「でも、やるしかありません! 水車がなくなったら、みんな困っちゃいます!」


 私が駆け出そうとすると、ガシッ、と強い力で腕を掴まれた。

 ギデオン様だ。


「離してください!」

「……私が支える」

「え?」

「私が支柱の代わりになって足場を作る。お前はその背に乗って、最短距離で駆け抜けろ」


 言うが早いか、彼は私の返事も待たずに濁流へと飛び込んだ。


「ギデオン様!?」


 彼は泥水に足を取られそうになりながらも、仁王立ちになって、傾く水車の土台と岸辺の岩場に体を割り込ませた。

 動く左腕で岩を掴み、動かない右半身と背中で、荒れ狂う水圧と水車の重量を受け止める。


「ぐ、ぅぅぅ……っ!! 早くしろミレット! 長くは保たん!」


 人間の力で支えられる重さじゃない。彼の顔が苦痛に歪み、首筋に血管が浮き上がる。

 私は迷いを捨てて、泥の中へ飛び込んだ。

 彼の背中へ。誰よりも傷つき、誰よりも領地を想っている、大きく温かい背中へ。


「はいっ!」


 私は彼を足場にして、傾いた水車の残骸へと手を伸ばした。

 雨で視界が悪い。指先が滑る。

 あと少し。上流から流れてくる古水車の残骸が、今の水車にぶつかるその一瞬が勝負だ。


(お願い、届いて……!)


 ギデオン様のうめき声が聞こえる。彼の体か、水車の支柱か、どちらかが限界を迎えようとしていた。

 その時、ドォン!と重い衝撃が走り、上流の残骸がこちらへ激突した。

 今だ!


「スキル発動――【ニコイチ】!!」


 私は今の水車と、流れてきた残骸、その両方を同時に掴んで叫んだ。

 私の中にある全魔力を叩き込む。

 直れ。強くなれ。

 この優しい人たちが、もう二度と悲しまないように!


 カッッッ!!


 雷光よりも強い金色の光が、嵐の川面を照らし出した。

 魔力の奔流がギデオン様の体を通り抜け、水車へと注がれる。

 その瞬間、ギデオン様は奇妙な感覚を覚えていた。動かないはずの右腕が、熱い。まるで血が通い直したかのように、ドクン、と脈打った気がしたのだ。


 光が収束する。

 そこには、黒光りする鋼鉄のフレームで補強された、巨大で真新しい水車が鎮座していた。

 歪み一つない回転軸が、濁流の力を綺麗に受け流し、力強く、静かに回り始める。


「……す、すげえ……」

「直った……いや、前よりでかくなってねえか!?」

「うおおおおおっ!!」


 村人たちの歓声が、雨音をかき消した。

 私は力が抜けて、その場へへたり込みそうになった――が、倒れる前に抱きとめられた。

 泥だらけのギデオン様だ。

 彼もまた、肩で息をして、満身創痍だった。

 けれど、私を見下ろすその瞳は、今まで見たことがないほど穏やかだった。


「……無茶をする」

「ギデオン様こそ……怪我は、ありませんか?」


 私が恐る恐る尋ねると、彼はふっと息を吐き、口元を緩めた。

 それは、雨上がりの空にかかる虹のような、不器用だけど綺麗な笑顔だった。


「ああ……君が来てくれて、本当によかった」


 ドキン。


 心臓が、嵐の時より大きく跳ねた。

 雨に濡れた前髪の隙間から見えるその笑顔があまりに素敵で、私は顔が熱くなるのを止められなかった。

 この夜、守られたのは水車だけじゃない。

 私の心もまた、彼によって救われたのだと知った。

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