朱鬼戦史
1
戦場に吹く風は、夏の名残を含んで湿っていた。敵軍の部隊を束ねる大将・大川口は、【鉄壁】の異名に相応しい堅実な軍略により盤面を有利に進めていた。
開けた大地で両軍が対面する。すると赤い鎧をつけた一騎の兵が歩み出てきた。
「我こそは、赤峰大我と申す。【鉄壁】殿と一騎討ちを希望する!!」
空を突き破るような大きな声でタイマンを宣言する。これに大川口軍は赤峰を鼻で笑い、罵声を浴びせた。
──ずいぶん貧相ななりだが、誰だアイツは?
──【鉄壁】と一騎討ちとは身の程知らずな!
──我らが大将が負けるわけがない!
浴びせられる罵声に全く揺らがない赤峰。その目はつまらない物を見るような、静かで冷たい目をしていた。
赤峰が、ため息を吐き、そして、ゆるりと愛馬の首を撫でた瞬間だ。
厳冬を思わせるような冷ややかな殺気が、赤峰から大川口軍の兵士たちに向けて発せられ、兵士たちを飲み込む。
まるで心臓を直接握られたような圧迫感が兵士を襲い、「ぅあ……」 「むぐぅ……」と、胸を押さえてバタバタと兵士が馬上から転げ落ちた。
殺気だけで10人以上の兵士が無力化された。何とか耐えた兵士たちも、赤峰の異様さに、知らず歯を鳴らす。
まるで、眼前の男の前では“人の命”という概念が希薄になるようだった。
◇
軍の人垣が散開し、【鉄壁】の大川口がゆっくりと進み出てくる。鉄の鎧がわずかに擦れ、その音は妙に乾いて聞こえた。
「一騎討ち、受けて立とう!!」
大川口は大声で名乗り出る。手綱を握る手は僅かに震えていた。赤峰と対峙し、将としての直感が訴える。──コイツは危険だと。止まらぬ武者震い、滾る気持ちを押さえながら、大川口は長槍を前に突き出すように構えた。
対する赤峰は無言だった。ただ馬を一歩前へと進める。
風も、土の匂いも、すべてが遠ざかる。
二人だけが戦場から切り離されたような静寂の中───
赤峰が、ゆらりと大型の斧槍を水平近くに構えた。
その動きに、大川口は悟ってしまう。
ああ、これは“技量差”などの話ではない。
これは、山に挑むようなものだ。
勝ち負けではない。踏みしだかれるか、呑み込まれるかの違いでしかない。
大川口は気付いてしまった。
次の瞬間、赤峰の愛馬が地を蹴った。
赤峰と大川口の距離が一気に縮まり、2人が交錯する。
一瞬の邂逅の際、大川口の目に映ったのは冷たい目をした無表情な男の顔であった。
◇
シンと静まり返る戦場。兵士たちが見守る視線の先で、赤峰の持つ大振りの刃が横一文字に走る。大川口の甲冑に火花が散り、そして──
大川口の身体が二分され、斜めに沈んでいった。
ズシンと、腹に響くような音が、遅れて響く。
赤峰の斧槍からは赤い液体が滴る。
呼吸1つ乱れない。今しがた屠った大川口に対する感慨もない。
ただ、「障害物がひとつ消えた」というだけの冷たさが、目に浮かんでいた。
◇
あの【鉄壁】が一刀のもとに両断された光景は、兵士たちの心を打ち砕くには十分すぎた。
武器を投げ捨てて逃げ出す者。
血の気が失せ呆然と立ち竦む者。
気が触れたように叫び狂う者。
それまでの統率が嘘のように瓦解する。混乱し入り乱れる兵士の渦の中を、赤峰は再び愛馬と共に駆け抜けた。
重い斧槍が振るわれるたび、血と土の匂いが混じって空気が濃くなっていく。
少しずつ、少しずつ悲鳴や叫び声が少なくなり、ついには静謐さがその地を埋める。
赤峰は自分の心が妙に静かであることに気づいていた。人の命が散る音を聞いても、心が揺れない。
ただ、“斧槍を振るう理由”が、淡々と体内で血を回している。
あれだけ優位を誇った大川口軍は、半刻もかからずして壊滅した。
生き残ったのは赤峰の眼前で震える雑兵の少年ただ一人。
少年は後退りをしながら、両手を頭の上に広げる。
──降参、のポーズだ。
赤峰は路傍の石ころには興味が無いとばかりに、愛馬を自軍へと向かわせた。
少年が走っていく足音が遠ざかる。
赤峰が向かう先で待つ味方の軍は、誰しもが血の気の引いた顔をしていた。
あまりにも圧倒的な個の力。
一振で数人を一気に屠っていくそれは、正に伝説の鬼のような強さであった。
◇
命からがら逃げた雑兵の少年が、本陣に転げ込んだのは、夕日が赤く軍旗を染めるころだった。
少年は息も絶え絶えに、震える声でありのままを報告する。
「お……大川口大将が……斬られました……!
部隊は……壊滅……。
て……敵の……赤峰と名乗る将により……あの者は……鬼でございます!!」
そう矢継ぎ早に話した後で、ゥグッ、と胸を押さえ、地に顔を付けた。
駆けつける兵士。しかし、少年は既に息をしていなかった。
止まった心臓の位置を両手で押さえ、戦場での体験を思い出したのか、少年の顔は苦悶様で、恐怖心で支配されていた。
幕僚たちは何が起きたのか理解できなかった。
事切れた雑兵の言葉によれば、単騎で大川口軍が壊滅させられたと。
誰も何も発しない。信じられない報告に皆言葉を失った。
「赤峰……か」
総大将が、低い声でつぶやいた。
誰よりも戦を知る男でさえ、瞳の奥に動揺を隠しきれなかった。
「奴は……何者なんだ」
問いは、誰にも向けられていない。
ただ、自分自身への言い聞かせのようでもあった。
幕僚たちはうつむく。
地図に置かれた“自軍”を示す白石が、ひどく頼りなく見えた。
本陣から離れた位置に置かれた黒石、──赤峰の軍だけが、地図の上で異様に濃く浮かび上がっているようだった。
彼らは考える。『鬼』と戦うことの意味を。
勝てるかどうかではない。
退けるかどうかですらない。
伝説上の生物とされる『鬼』。
伝承によれば、アレに戦いを挑んだ国は、薄紙を破るように呆気なく滅ぼされた。
『鬼』とは人を超越した存在なのだ、と。
総大将はゆっくりと目を閉じた。
その瞼の裏に、本陣に迫る赤鬼の姿が浮かぶ。
冷たい目をした鬼によって、自分の首が跳ねられる。顔色ひとつ変えず、いとも容易く。
緊急で開かれた軍議の場は、シンと静まりかえっていた。
その沈黙を破るように青ざめた顔の総大将が口を開く。
「……陣を引き上げる。一度、都へ戻り体勢を立て直す」
その夜、赤峰の名は【赤鬼】として瞬く間に陣中に広まっていった。
お読みいただきありがとうございました!
初の戦記物。赤峰は三◯史で言えば呂◯のような強さをイメージしています。
そんな雰囲気でてました?
高評価いただけるようなら連載化したいと思いますので、連載化したものを読んでみたいという方は是非ご支援をお願いします!




