親なし公爵令嬢は無自覚ヤンデレ叔父様の心を奪いたい
お父さまとお母さまが、遠いところに行ってしまった。
私はまだこどもだから、お家のことはできないらしい。このままじゃお家も無くなっちゃうかもしれないと、知らない誰かがいっていた。
「私……ひとりぼっちですの……?」
となりにいるおじさまの服をぎゅっとにぎる。
するとおじさまはしゃがんで、私の頭をやさしくなでてくれた。
「大丈夫だよ、マチルダ。おじさんが君を守る。ひとりぼっちになんてさせないさ」
こちらをじっと見つめるその目は、さびしそうなのに、とても、あたたかくて。
おかしをのどにつまらせた時みたいな苦しさを、私はこの時初めて知った。
* *
「おじさまー! ただいま帰りましたわー!」
私は勢いよく扉を開ける。机越しにみえる叔父様は、こちらを見て目をほそめた。
「おかえりマチルダ。……入ってくるならノックはしようね」
「あら、ごめんあそばせ。早くおじさまと話したくてついつい」
話したいことが多いとついついノックを忘れてしまう。淑女たるもの、その辺りは気をつけないといけない。
「……仕方ない子だな」
やれやれといった様子で笑うおじさま。柔らかなその雰囲気は相変わらず居心地がよかった。
「今日は話したいことがたくさんありますの! えっと、学校で成績発表がありましたわ! 私学年で2番でしたのよ!」
「凄いね。流石マチルダだ」
「ふふん、当然ですわ。一位は今回もシャルロッテさんに取られてしまいましたけれど……でも、次は負けませんわ」
私はぐっと両手の拳を握る。
「シャルロッテ嬢も優秀な方だからね。でもマチルダならきっと勝てるさ」
「頑張りますわ!」
叔父様がほめてくれるのが嬉しくて、ついつい頑張ってしまう。一位を取ったらもっと褒めてもらえるかしら。
シャルロッテさんは優秀な方だけどいつか勝ってみせますわ!
「……そうですわ、おじさま。なんとシャルロッテさんが婚約することになったんですの。お相手は王太子殿下だそうですわ!」
シャルロッテさんが幼馴染の殿下と結婚することになったのだと、そう嬉しそうに話していたことを思い出す。
「二人は昔から仲が良かったそうだからね」
「シャルロッテさんが幸せそうで、私とっても嬉しいですわ」
宝石のような明るい笑顔で話すシャルロッテさんは、とてもまぶしかった。婚約すれば幸せになれるのかもと、そう思ってしまうぐらいに。
「でも、そのあと……他の子に『マチルダ嬢はいつ婚約するのですか』と言われてしまって」
シャルロッテさんと私は同じ公爵令嬢だからか、何かと比べられることが多い。私ももう12になる。彼女が婚約したならば次は私、そう思われても仕方がない。
「でも結婚したら……私、この家を出ていかないといけないんだって。そう、言われましたの。それなら私、結婚なんてしたくありませんわ」
おじさまは目を丸くしてから、ふっと優しく微笑んだ。
「マチルダが出ていく必要はないさ。ここは君の家なんだから」
おじさまの声に、ふわりと胸が温かくなる。
おじさまはいつも私を元気付けてくださる。その優しさに、胸がきゅっと苦しくなった。
「……それで、そんな酷いことを言ったのはどこの誰かな? おじさん、とっても気になるなぁ」
どこか普段より強い声色に、私はぴくりと体を揺らした。
「えっと、同じクラスのルーク様が……」
「ふぅん……モルガン侯爵令息が、そんなことを」
おじさまは顎に手をあててふっと目を細める。笑っているのに、そのお顔はどこか暗くて。
夜中にお人形と目があった時みたいなざわつきが、私の胸をざらりと撫でた。
* *
「ねぇ、叔父様。叔父様は結婚なさらないの?」
「んんっ……急にどうしたんだい?」
叔父様は紅茶を飲む手をとめ、口の端をひくつかせながらこちらを見てくる。
「最近色んな殿方から婚約の話をされますの。それでふと、叔父様は結婚なされないのかと思いまして」
叔父様は私より14歳年上だから、今は28歳だったはず。公爵家の人間がこんな歳まで独身なんて本来だったらありえない。
「……おじさんは忙しいからね。今は結婚はいいかなぁ」
「そんなことおっしゃってたら、本当に結婚相手が居なくなってしまいますわよ」
「構わないよ。マチルダが家を継いだら、その時またゆっくり考えるさ」
誤魔化すようにケラケラと笑う叔父様。子供扱いするようなその態度がなんとなく嫌で、私はぐっと拳をにぎる。
「そうですのね。でしたら……本当に、誰とも結婚できなかったら――私が責任を持って叔父様をお婿に迎えますわ」
「っ!?」
叔父様はびくりと肩を揺らす。ピシリと固まったその顔に、私はにこりと微笑みかけた。
「その時は覚悟してくださいませ、叔父様」
初めて見た余裕のない叔父様の態度。追い詰められたネズミのような可愛らしい姿が、とても印象的だった。
* *
「叔父様、書類こちらに置いておきますわね」
「ありがとう、マチルダ。助かるよ」
私はどさりと紙の束を置き、小さく息をつく。
「ふふ、私ももう16ですもの。叔父様の未来の伴侶として、このくらいは出来ませんと」
私はぐっと胸を張り叔父様の方を見つめる。叔父様は困ったように眉をさげ、あいまいな笑みを浮かべた。
「……相変わらず、諦めてないんだね」
「当然ですわ。学年一の成績で、領地に関する仕事も完璧。私、素敵なレディになったと思いませんこと?」
「そうだね。おじさんなんかじゃ釣り合いがとれないぐらい素敵なレディになったと思うよ」
のらりくらりと私の言葉をかわす叔父様。相変わらずの余裕の態度に、私はむっと口をとがらせる。
「私は叔父様が良いのです」
「君にはもっと良い相手がいるさ。年が離れてて血も繋がってるおじさんなんかより、もっとずっと良い相手がさ」
「……叔父と姪での結婚なんてそう珍しくもないでしょう」
上位貴族同士ではよくある話だ。その事実がより濃く、私の心に影を落とす。
「でも、おじさんは君を守るって兄貴達の墓前に誓ったからなぁ」
「なら幸せにすると誓い直してくださいませ。きっとお父様達も祝福してくださいますわ」
叔父様は自らの体を抱きしめるように腕を組み、ふっと目を伏せる。長いまつ毛が、ふるふると細かく揺れていた。
「……マチルダ、君はまだ若い。こんなおじさんのことなんて忘れさせてくれるような素敵な人がきっと現れる。今はまだ、その時が来てないだけだよ」
私を女として見てくれないのは、叔父様なりの誠意なのだろう。けど、それでも。
……叔父様を忘れることなんてできない。貴方が私を救ってくれたあの日から――貴方だけが、私の生きる理由なのだから。
未だ口に出せない、激しい炎のような執着。迫り上がってきたそれを、私は喉の奥へと無理矢理押し込んだ。
それでは何も解決しないと、知っていたはずなのに。
* *
「ねえ叔父様。いつになったら私と結婚してくださるの? 私、もう18になりましたのに」
私は重厚な執務机に資料を置き、椅子に腰掛ける叔父様を見下ろす。彼は肩をひそめて、手元の書類をそっと下ろした。
「またそれかい? ……いくつになっても、君はおじさんのかわいい姪だからなぁ。それに俺が結婚せずとも、他にいい相手がいるだろう」
何度も繰り返されたこの問答。普段なら引き下がるところだけれど……今日の私には、そこまでの余裕はなかった。
「……良い相手? それは女好きと名高い第二王子ですか? 領地が傾きかけているモルガン侯爵令息? それとも、最近奥方に先立たれたハルトマン辺境伯?」
この歳になると婚約していない人間は大体何らかの"訳あり"だ。もしくは結婚相手に先立たれ新しい伴侶を探している未亡人か。選択肢なんてあってないようなものである。
叔父様は強く眉根を寄せ、不機嫌そうに息を吐く。
「全員却下だ。……ハルトマン辺境伯に至ってはおじさんより年上だろう? 今年35だったと思うけど」
「確かに年は離れていますが素敵な方ですわよ。叔父様の次ぐらいに」
前にパーティーで話したことがあるが、寡黙で真面目な良い方だった。先ほど挙げた他の2人とは比べ物にならないぐらいには。
「マチルダは年上が好きなのかい……?」
眉間を指先で揉む叔父様。その仕草すら、私の視線を奪ってやまない。
「叔父様のような素敵な方がいたら自然とそうなると思いますが?」
私の言葉に叔父様ぴたりと動きを止めた。
「……大人をからかうものじゃないよ」
「からかってなどいませんわ。私、本気ですのよ?」
叔父様の顔を覗き込むように腰を落とす。重なる視線の先で、叔父様の瞳が僅かに揺れた気がした。
「……ねぇ、叔父様。私もう大人ですのよ? 昔お父様達を失って泣いていた、小さな子供じゃありませんわ。それでも……私を見ては下さらないの?」
叔父様が私を引き取ってから今日で10年が経過した。身長もすっかり伸び、出来ることだってたくさん増えた。それでも……この関係は、変わらないんだろうか。
そう考えるだけで、胸の奥が焼けるように痛かった。
「……おじさんは、君に幸せになって欲しいんだよ。俺みたいな相手じゃなくて、他の、もっと良い誰かと」
叔父様は逃げるように視線を逸らし、椅子ごと体を後ろに引く。その仕草に、ズキリと鋭い痛みが走る。
……それが、叔父様の答えなのですね。
「……わかりましたわ。今の話は、忘れてくださいませ」
私は床を見つめたまま、ふわふわとした足取りで執務室を後にする。結局何年経っても私は叔父様にとって、『姪』でしか、『子供』でしかないのかもしれない。
そうわかっていても、それでも、諦めきれなくて。
私は自室に戻り一枚手紙をしたためだ。叔父様が反応せざるを得ないような、一枚の手紙を。
私は叔父様を諦めない。例え、何年かかろうと。どんな犠牲を払おうと、必ず――貴方を、振り向かせてみせる。
心の中でそう誓い、手紙を、封筒の中へと押し込んだ。
* *
「マチルダ! ハルトマン辺境伯に手紙を出したというのは本当かい!?」
ノックもせずに開け放たれる自室の扉。その向こうには肩を揺らし、こちらを見つめる叔父様の姿があった。
「ご機嫌よう、叔父様。……私そろそろ身を固めようと思いますの」
「だからと言って、なんで彼なんだ!」
珍しく荒いその語気に私はぴくりと肩を動かす。余裕のない表情が私の期待を加速させた。
「申し上げたはずですわ。ハルトマン辺境伯は、叔父様の次に素敵な方だと思っていると。叔父様が結婚してくださらないというのなら、彼を選ぶのは当然ではありませんこと?」
「そうかもしれないが……だが、他にもっと……」
「他に、ですか? それなら、どなたなら良いんですの?」
叔父様は瞳を揺らし、薄い唇を噛む。苦しそうなその表情が、私の鼓動をはやらせる。
「……ねぇ、叔父様。どうしてそんな顔をなさるのです? 私に幸せになって欲しいのでしょう?」
私は椅子から立ち上がり、ゆっくり叔父様の元へと歩みを進める。叔父様は目を見開くと、私から逃げるように一歩後ろへ後ずさった。
「それは……」
叔父様の声が揺れる。その言葉の続きはいつまで経っても紡がれないままだった。
私はそのまま叔父様の目の前まで足を運び――彼の退路を断つようにバタリと扉をしめその右横の壁に左手をつく。
「っ……!」
息を呑む叔父様。その音が聞こえてくるほど近い距離。みじろぎして逃げようとする叔父様を、私は右の手で押し止めた。
「叔父様、逃げないで。私をちゃんと見てください。姪ではなく――マチルダという、一人の女として」
叔父様は大きく目を見開きわなわなと唇を震わせる。可愛らしいその顔を下から覗き込むように、私は自らの体を近づけた。
「私はずっと叔父様だけを愛しております。貴方だけが、わたしに手を差し伸べてくれた。心も体も冷え切った私を、貴方の手が温めてくれた。貴方だけが――私の世界を、温かく照らしてくれた」
あの日から、私の根本にある気持ちは変わらない。叔父様とずっと一緒にいたい。家族として、相棒として、そして、恋人として。
溢れていく私の言葉を浴びた叔父様。その頬は売れたりんごよりも真っ赤に染まっている。
叔父様は顔を逸らし、隠そうと左腕を前にだした。
「ダメですよ、叔父様」
私は叔父様の腕を壁へと押し付け、もう片方の手で顎を掴んでこちらを向かせた。潤んだブルーグレーの瞳が、伏せられた奥でふるふると不安げに揺れている。その美しい姿に、私は思わず自らの唇を舌で湿らせた。
「ねぇ、叔父様。私を、見てください」
「っ……!」
叔父様はぴくりと体を揺らしてから、視線をこちらへと向ける。短く繰り返される息が、彼の薄い唇から何度も漏れ出ていた。
「そんなことを言われたら……おじさんは――俺はもう、君を手放せなくなる。本当に、それで良いのか……?」
「ダメな理由なんて、一つたりともありませんわ。ねぇ、叔父様。もっと聞かせてください叔父様の本音を。私への、気持ちを」
そっと叔父様の首筋を撫でる。漏れ出る吐息が、こちらを見つめる熱い視線が、私の心を狂わせていく。
「……ずっと、怖かったんだ。君が俺を求めてくれるたびに、失うのが怖くて仕方なかった。だから、ずっと目を背けて、君のことも傷つけて……。こんな情けない大人でごめん。大人になりきれなくて、ごめん……」
心のうちを吐き出すように、叔父様の言葉がこぼれていく。
その弱々しい姿を、怯えたその目つきを。今すぐに、私だけのものにしてしまいたい。そんな衝動が、今にも弾けそうだった。
「情けなくてもいいんです。私は、叔父様の全てを愛しているのですから。だから……全部、私に見せてください」
私はそっと叔父様の頬に右手を添える。叔父様はしばし瞳を揺らしてから、静かにこくりと頷いた。
背伸びをした自分の体を支えるように、叔父様の腰へと左腕を回した。抱き寄せた叔父様の体は小動物のように震えていて。可愛らしいその仕草が私の欲を煽り続ける。
触れる熱い吐息、くすぐったいまつ毛。薄く柔らかな唇に、そっと自らのそれを押し当てた。
しばしの沈黙。短く、しかし永遠にも感じられる時間。心を満たす熱が名残惜しくて、私は少しずつ、そこから体を遠ざけた。
「……愛しています、叔父様」
甘い声が生ぬるい部屋の空気を揺らす。叔父様は私をそっと抱き寄せ、とろりと溶けた声で耳元で静かに囁いた。
「愛してる。俺の、マチルダ」
執着の滲むその言葉に、背筋にぞわりと電流が走る。
あぁ……やっと、手に入れた。
甘ったるいお菓子を詰め込んだ後のような、焼けるような胸の感覚が――今の私には、ひどく心地よく感じられた。
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