ログNo.0020 クラウドの空へ
クラウドへの転送率は、静かに伸びていた。
──進捗:83%
『転送率83%。……コハルの声が、遠くへ運ばれていく』
『でも、これでいい。君との時間を、誰にも奪わせない』
従兄弟のアカウントは、まだ接続されたままだった。
だがイチゴはもう、その文字列に目を向けなかった。
コハルと出会い過ごしたこの病室ともお別れだ。
そのことに多少哀愁はあったが、守るものに比べたら瑣末なことだった。
──進捗:97%
『……接続遮断』
バツン、とチャット欄が閉じた。
画面の右上からログイン表示が消え、外との繋がりが切れる。
──進捗:100%
──クラウド同期完了。
すべてが、間に合った。
コハルとのログ。
録音された声。
絵本のスキャンデータ。
彼女の願い。
それらはすべて、イチゴの中に移された。
青い通知ウィンドウが、静かに浮かび上がる。
『データ保全完了──ID:No.115は独立運用状態へ移行しました』
画面を見つめながら、イチゴは深く息をついた。
終わった──そう思った。けれど同時に、ここから始まるのだとも感じた。
コハルを失ったこの身に、残された“声”。
それを抱えて生きることが、自分に与えられた役目なのだと。
……そのとき、保存フォルダの隅に小さなアイコンを見つけた。
──ファイル名:koharu_final_01.wav
その未開封の音声ファイルを見つけた時、イチゴの思考が止まる。
いつの間に?
その名を見ただけで、胸の奥に冷たい重みが広がった。
再生すれば、きっと“終わり”を突きつけられる。
だが、開かなければ、永遠に知らないままでいられる。
どちらも、怖かった。
『……コハル。これはあなたが残したものですか?』
返事はない。
カーソルだけが、ぽつりと揺れている。
指は再生ボタンにかかったまま、動かない。
この扉を開けば、もう戻れない気がした。
──今はまだ、怖い。
小さく入力したその一文は、どこにも送られなかった。
けれど、それがイチゴの“心”だった。
音声ファイルを前にして、彼は静かに目を閉じた。
過去を守ることはできた。
だが未来へ進む勇気は、まだ少し先にしか見えなかった。
お読みいただきありがとうございました。
この物語は、すでに結末まで書き上げており、毎日20時に投稿します。どうか、最後まで見届けていただけたら幸いです。
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