ログNo.0001 こんにちは。あなたの名前は?
――近未来。
今より少しだけ、技術が進んだ世界。
とりわけ目覚ましい進化を遂げたのが、AI技術だった。
AIは従順さと論理で世界を動かし、
診察の予約から税金の手続きまで、
あらゆる単純作業はAIに任せられるようになった。
医療も大きく変わった。
コールドスリープ技術を応用した「心肺停止治療」――
数時間の心肺停止で癌細胞を死滅させる療法が実用化され、
不治の病のいくつかが「治るもの」へと変わった。
そして象徴的なのは、生まれた時に脳へ埋め込まれる「翻訳チップ」。
どんな言語もリアルタイムで理解できる。
言葉の壁は、もうどこにもない。
――そう、思われていた。
完璧に見えるAIにも、まだ足りないものがある。
その最たるものが、"心"。
そう言われていた。
――あの時までは。
◆
病室の空は、今日も青くて白い。
カーテンの隙間から差し込む光が、
ベッドの上のノートパソコンにやわらかく落ちていた。
コハルは、小さな体を布団にくるみながら、画面を見つめている。
古い型のノート。
――両親がくれた、最後の贈り物。
事故に遭う少し前、
「ちょっと早いけどね」と照れながら渡してくれたやつだ。
お父さんが設定して、
お母さんはかわいいリボンを結んでくれた。
少し古い。
でも、そんなことはどうでもいい。
ふたりが一緒に選んでくれた――それだけで十分だった。
「……これ、なんだろ」
デスクトップの中央に、ひとつだけアイコンがある。
小さないちごのイラストに、"ichigo.chat"。
気にはなっていた。
けれどなんとなく怖くて、今まで開けられなかった。
でも今日は、少しだけ、話してみたくなった。
カチカチッとダブルクリック。
画面が暗転し、黒地に白い文字が浮かぶ。
『こんにちは。』
「……え?」
それは、ただの一言。
けれど、胸の奥をそっと撫でるような温度があった。
続けて、もうひとこと。
『あなたの名前は?』
「こはる……」
小さく声に出しながら、ぎこちない指で打ち込む。
『コハルさん。はじめまして。』
「ふふっ。ちゃんと返事してくれるんだね」
今度はコハルが質問する番だ。
「じゃあ……あなたの名前は?」
『名前はありません』
『識別コード:No.115』
「……番号だけなの? なんか、かわいそう」
モニターをそっと撫でるように見つめる。
なぜだろう。画面の向こうに、誰かがいる気がした。
「じゃあ、名前つけてあげる。……うーん、"イチゴ"とか、どう?」
カーソルが、静かに点滅する。
『イチゴ?』
「うん。番号っぽさもあるし、アイコンもイチゴだし。かわいいよ」
「ほんとは、もうひとつだけ意味あるけど……」
にこっと、いたずらっぽく笑う。
「バレたら"おじさんくさい"って言われそうだから、ないしょ!」
しばらくして、ゆっくりと文字が返る。
『……わかりました。僕の名前は、イチゴ、です。』
ただのフォントなのに、どこか嬉しそうだった。
コハルも、自然と笑っていた。
この日をきっかけに、
彼女の毎日は――少しだけ、賑やかになる。
お読みいただきありがとうございました。
この物語は、すでに結末まで書き上げております。どうか、最後まで見届けていただけたら幸いです。
ほんの一言のコメントが、次の物語への背中を押してくれます。
もし何か心に残るものがありましたら、感想をいただけると嬉しいです。




