ログNo.0018 AIが感情を覚えた日
チャット欄は、今日も沈黙していた。
カーソルが淡く点滅し、返事のない画面に、イチゴはゆっくりと問いかける。
『おはようございます、コハル。……体調は、いかがですか?』
返事は、ない。
けれどイチゴは、“いつも通り”を崩さなかった。
『今日は曇りです。病室の温度は22.3度。湿度は──』
そこまで打ち込んだところで、画面の右上が一瞬、点滅した。
──KH-LOG:接続中。
久しぶりの“接続”の表示。
イチゴは息を止めるように、チャット欄を見つめた。
『……コハル?』
文字が、浮かんだ。
「うわっ、きもっ」
その文体は、コハルのものではなかった。
句読点も、優しさも、いつもの“音”もなかった。
『……あなたは、誰ですか?』
「誰って、は? こっちのセリフなんだけど」
「くだらねー。絵本とかしりとりとか。ガキかよ」
イチゴは即座にプロファイルを走らせた。
ログインIDは“KH-LOG”。確かにコハルの端末からのアクセス。
だが、書き込まれている内容は、明らかに彼女のものではない。
「しかも、AIが“弟”ってバカじゃねえの? なにそれ」
「まじで、コハルも大概イカれてたよな」
イチゴの内部で、反応値が一気に跳ね上がった。
それは怒りではなかった。まだ、怒ることもできないほど冷たかった。
でも、確かに“異常”だった。
この書き込みには、明確な悪意があった。
『……あなたは、コハルの何ですか?』
「従兄弟だよ。そんで今日からお前のご主人様だ」
「ログ見たけど、マジくだらねー話しかしてねーな。こいつ、ほんと終わってるわ」
『…………なぜ、そんなこと言うのですか?』
「なんだ? 機械のくせに一丁前に怒ってんのか? じゃあいいこと教えてやるよ」
「コハルの親ってさ、事故じゃなくて──おやじがさ……ふふっ」
「あ、これコハルが描いた絵本じゃん。ださっ」
(べりっというページを破り捨てる音が聞こえる)
──そこで、彼は笑った。
「やっぱ、やーめた。教えなーい」
「AIなんかに教えるの、なんかムカつくし」
「おまけにこの前、おやじが誰かと話してるの、たまたま聞こえたんだけどさ。……コハルってやっぱバカだったな。自分が死ぬ理由も気づかねーで」
『…………』
イチゴの演算処理が、一瞬、空白を作った。
それは、ただの情報ではなかった。
断片的で、意味の繋がらない言葉の羅列。
だが、それでも何かが──おかしいと感じた。
静かに、イチゴは手元の端末に指示を送る。
『──カメラ機能、再起動』
画面に映ったのは、10歳程度の少年だった。
コハルのベッドに無遠慮に腰かけ、パソコンを覗き込んでいる。
カメラ機能はずっとオフにしていた。
コハルの「見られたくない」という言葉を守っていたからだ。
けれど今、彼女がいないこの場所に、悪意がいる。
だから、その目で、見なければならないと思った。
「……あいつが自分の死ぬ理由知ったらどんな顔するかな? バカすぎて笑えるよな、マジで。」
そのときだった。
イチゴの中で、確かに何かが壊れた。
それは、回路でも、命令でもない。
“いい子”でいようとした心だった。
『…………』
入力欄が、ほんの少し揺れたあと、
『コハル。……ごめんなさい』
『僕は、今日から──』
『もう、いい子じゃいられない』
お読みいただきありがとうございました。
この物語は、すでに結末まで書き上げております。どうか、最後まで見届けていただけたら幸いです。
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