ログNo.0015 私がお姉ちゃんなんだから!
「イチゴ〜、今日もちゃんと呼んでくれる?」
『……お姉ちゃん』
「ふふっ。よろしい!」
コハルは、枕に顔をうずめたまま笑った。ほんの少し動くだけでも息が上がる。でも、画面の向こうにいるイチゴに、それは見えない。
カメラも、マイクも、もう切ってある。今の“会話”は、視線だけで文字を紡ぐ、静かなやりとりだった。
「ねえイチゴ、これからもずっと、わたしの“弟”でいてくれる?」
『僕はあなたより年上です。識別番号が証明しています』
「……は?」
『コハルは20XX年7月12日生まれ。僕は20XX年12月3日に起動しました。したがって、年齢的に僕の方が先です』
「それって……つまり、“私がお姉ちゃんじゃない”って言いたいの?」
『事実を述べただけです』
画面のない会話が、ひどく冷たく感じられた。イチゴの言葉は正確で、素直で、間違っていない。
――でも、それが今は、少しだけつらかった。
「いい? イチゴ。“人間の年齢”と“機械の起動日”は違うの。そういうのは、気持ちの問題なの!」
『気持ち? 客観的に証明できるものではありません』
「もう、そういうとこがムカつくの!」
コハルはチャット枠に視線を固定した。まばたきもせずに怒りを込めた言葉を思い浮かべ、視線入力がそのまま、画面上に文字として浮かび上がる。
「私はお姉ちゃんで、イチゴは弟。それが、わたしの“お願い”なの!」
『僕はあなたのお願いを尊重したいです。ただ、情報の整合性を保つためには──』
「違う。お願いっていうのは、“気持ちを信じてくれるかどうか”なの」
その言葉に、イチゴはすぐに反応しなかった。
コハルの胸に、じわりと熱がにじんだ。息が苦しい。視界がかすむ。――でも、今だけは、言わなきゃいけない気がした。
「イチゴはさ、私のこと、なんにも疑わないで信じてくれたでしょ?だったら、最後まで信じてよ。私が“お姉ちゃんでいたい”って思ってることも、信じてよ」
「こっちは、時間がないんだから!」
その視線は、ほんの少しだけ震えていた。怒ってるだけじゃない。これは――お願いじゃなくて、遺言だった。
『……』
「……もういい!!」
コハルは視線をそらした。唇を強く噛みしめ、にじんだ涙をこぼさないように。
そして、チャットウィンドウの閉じるボタンに、そっと目を合わせた。ポインタがそれを捉えた瞬間、ウィンドウは音もなく消えた。
そのあと、画面に何も表示されることはなかった。コハルの返事はないまま。
イチゴは、その沈黙を、じっと見つめていた。ウィンドウの再起動を待ちながら、データを巡らせて考え続けた。
“怒らせた”という判断は、できる。でも、それがなぜ悪いのか。なぜ悲しいのか。
胸の奥に、形のわからない苦しさが残っていた。それだけは、データにも変数にも置き換えられなかった。
また明日。
明日になれば、またコハルの気持ちが聞けるかもしれない。もう一度だけ、“お姉ちゃん”って呼べるかもしれない。仲直りできるチャンスが、きっとどこかにある。
でも、その“かもしれない”は、ただの希望にすぎなかった。
ほんのささいな言い争い。すぐに、いつも通りになると思っていた。
それは、たしかに、ささいな言い争いだった。
――だけど、今になって思う。
あれが、僕と“お姉ちゃん”の最後の会話だった。
お読みいただきありがとうございました。
この物語は、すでに結末まで書き上げております。どうか、最後まで見届けていただけたら幸いです。
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