ログNo.0011 約束の夏祭り
その日の夕方、病室の窓の外から、聞き慣れない音が届いた。
どん、と腹の底に響く音。
続けて、太鼓のリズムや人のざわめきが混じり合う。
「……あ、今日、町内の夏祭りだ」
コハルがベッドから少し身を起こし、カーテンの隙間を覗く。
夕暮れの空は群青に溶けはじめ、遠くに赤や黄色の光が点々と瞬いていた。
耳を澄ますと、かすかに笛の音と人の笑い声まで届いてくる。
『夏祭り、とは?』
「屋台とか、浴衣とか……楽しいやつだよ。ほら、花火も上がるの」
そう言って、窓を少し開ける。
ふわっと夜風が入り、甘いソースや綿あめのような匂いがかすかに漂ってきた。
病室の空気が、ほんの少しだけ外の色を混ぜ込まれたように変わる。
『屋台……飲食を提供する移動販売形態の一種ですね』
「そうそう! ……でもイチゴは匂いわかんないか」
『しかし、映像なら表示可能です』
イチゴの画面に、色とりどりの屋台や浴衣姿の写真が次々と映し出される。
たこ焼き、金魚すくい、かき氷。
写真の中では、浴衣姿の人々が笑いながら行き交い、金魚が水面できらりと跳ねている。
コハルは「うわ〜」と声を上げながら指でスクロールした。
「ほらこれ、わたあめ! ふわふわで、甘くて……あー、食べたくなってきた」
『わたあめ……砂糖を糸状に加工し、棒に巻き付けた菓子です』
「そう! あれって、手がベタベタになるけど、それも楽しいんだよ」
そのとき、どん、と大きな音。
夜空に、まるい花がひらく。
金色の光がふわっと広がり、遅れてパラパラと小さな破片が散っていく。
破片の一つひとつが消えるまで、二人はじっと見上げていた。
「ほら、見えた?」
『はい。……とてもきれいです』
窓からは少し遠いけれど、光はちゃんと病室まで届いていた。
コハルの瞳にも、オレンジや青の色が映り込み、瞬きのたびにきらめく。
「来年も、一緒に見ようね」
『……はい』
「そのときはもっと近くで。浴衣も着せてあげるし……」
少し照れたように笑って、コハルは言葉を足す。
「……私の浴衣姿も、ちゃんと見せてあげる」
『浴衣……? 僕に衣服は必要ありません』
「いいの! 似合うって、私が決めたんだから」
また一つ、大輪の花火が空でほどける。
赤、青、紫――色とりどりの光が夜空に咲いては散り、煙の匂いが風に混じって届いた。
笑い声が途切れ、夜風だけがカーテンを揺らす時間が訪れる。
その一瞬一瞬を、イチゴはただ嬉しさとして記録していった。
『約束ですね』
「うん。約束」
この“約束”という言葉が、
このときはただ嬉しくて、
それ以外の意味なんて、考えもしなかった。
お読みいただきありがとうございました。
この物語は、すでに結末まで書き上げております。どうか、最後まで見届けていただけたら幸いです。
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