【読まなくていい番外編】ある少年と戦後開拓
評価等ありがとうございます! m(_ _)m
今回は番外編(本編主人公の父親視点)です
◇
人口4万弱の地方都市、その郊外の山の中。
県道とは名ばかりの山道の脇に、1軒の廃屋がある。その横の細道は、山の中へ続く。
あの道の奥に、私の育った家がある――――
◆
今から30年ほど前。まだ幼子だった私は、あそこに越してきた……らしい。
それまでどこにいたのかは、覚えていない。
当時は終戦直後の混乱期。ただでさえ食べ物が足りないところに、海外から大勢の人が帰ってくる。
……ということで、食糧難の解消と雇用創出が急がれたそうだ。
そうして、国主導で全国的に行われた「戦後開拓事業」が始まる。
「ただな、大正や昭和にもなって“放ったらかしの土地”だ。そもそも農業に向いてねぇのさ。それを無理矢理『農地にしよう!』ってんだからな……」
そうと知らずに飛びついた俺ァ、バカだった。
……のちに、私は父からそう聞いた。
実際、「戦後開拓事業」に選ばれやすかったのは、井戸や湧き水すらない土地だったという。
農業には大量の水が要る。なのに、自分たちの飲み水すらないのだ。
そしてそれは、あの廃村とて同じであった。
毎朝、麓の川へ水汲みに行く。村の女・子ども総出で、往復1時間かけて。
近道したくても、できない所だった。鹿すら通らない急斜面を、両手の塞がった人間が上り下りするなんて無理だ。
もちろん、それでも努力と工夫を重ねて、“開拓の成功”まで持っていった所のほうが多い。
だが同時に、
「これではやっていけない」
そう言って開拓をやめ、出ていく人は多かった。
そして誰もいなくなった――――所の1つが、あの廃屋の辺りなのだ。
◇
寒い朝のことだった。
その日も、いつものように水汲みに出た。
「それでさぁ、帰ってったら無ぉなっとんねん、建物が。家もお隣さんもお向かいさんも、もう全部焼けてもてな。一面真っ黒やったわ!」
上級生の「賢ちゃん」がやたら元気だったのを、よく覚えている。彼は空襲で焼け出されて、関西から疎開してきたらしい。
「それで?」
「晩飯まだやったからさ、とりあえず“何ど食う物あれへんかー?”て、焼け跡漁りよってん。まーアカンかったけんどな」
言い終わった彼が、なぜかニヤリと笑う。
「……て、思うやん? 台所らへんで、お母ちゃんが鍋の蓋取って『あ!』言ってん。何や? 思て見たら、白飯や」
賢ちゃん、ちょっと早口になってきた。
「しかもいっつもよりツヤツヤで、旨そうに炊けとぉ。なんやもう嬉しいやら腹立たしいやら、よぉ分からん気分やったわ」
ちょっと想像してみた。
何もかもが黒く焼け落ちた中で、ほわほわと湯気が立つ白ご飯。絵面が強すぎる。
「で、どうもご近所さん皆同し気持ちやったみたいでさ。兄貴が言うてん、『さすが米国、飯炊きだけは一丁前やの!』て。ほなもう皆、手ぇ叩いて大笑いや。『街ごと焚くアホおるかぁ!?』てな」
「へぇー……」
中身がエグくて笑えなかったが、面白い話だった。
というか、戦時中の体験談で、賢ちゃんのこれより面白い話は聞いたことがない。
だがこの時、大人たちの反応は違った。
よく考えたら、いつもは途中で怒られる。最後まで聞けたのは初めてだ。
そう気がついて、2人で周りを見る。いつの間にか、開拓地の入口まで来ていた。前田さん家――あの一軒家――のあたりだ。
そして何やら、大人たちはざわついていた。
「越安さん! 越安さんちょっと !! 」
「ほ? どげした……?」
名前を呼ばれたお婆さんが、杖をつきながら列の先頭へ。前の人たちとちょっと喋ってから、一軒家に入っていく。
……と思ったら、顔だけ表に出して一言。
「お前ら早っ行げ! 赤子が待ってっぞ」
「「「『はいッ !! 』」」」
越安さんは産婆さんだ。彼女が急に呼び出されるってことは……そろそろ赤ちゃんが生まれるんだろうか?
村人が増えるのはいいことだ、たぶん。頑張って水汲んでこなきゃ、ね。
……私たちはそう思いながら、丁字路を右に曲がった。
いつも通り左手の、鹿一匹通れない急斜面を見下ろしながら。
◆
一時間かけて、水を汲んで戻ってきた。
寒い。重い。
丁字路が見えてきたけど、なんだか様子がおかしい。
泣き声が聞こえる。低い泣き声が。
赤ちゃんじゃなくて、女の人のそれだ。
近づいて分かった。前田の奥さんの声だ。
そして、列の先頭が丁字路に差し掛かったところへ、前田さん家から人が出てきた。
ゆっくり歩いてきたのは、越安さんだ。
「もしかして……」
先頭のおばさんに聞かれて、越安さんは首を横に振った。
「そうですか……ご愁傷さまです」
何となくみんな、前田さん家に手を合わせながら、その前を通った。
◇
それからひと月も経たないうちに、前田さんは引っ越していった。
奥さんの体調がすぐれないので、療養するんだそうだ。
さらに半年の間に、賢ちゃん一家も我が家も村を去った。
それ以来、村の人たちには会っていない。連絡先も分からない。
皆さん、元気にしているだろうか? そうだといいな――――
お読みいただき、ありがとうございます m(_ _)m
昔から、
「戦争体験に比べて、終戦後の体験談って聞いたことないなぁ……」
という点が気になっていました。
親方も変わったことですし、そういう話が増えればいいなぁ……と思います。
【追記】
・内容を変更しました
(2025/10/26)




