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霧の港町ミストヴェイル

海の匂いと湿った空気が鼻腔をくすぐる。ルシアンは、灰色のマントを翻し、ミストヴェイルの港に降り立った。足元の木造桟橋は、波に揺られて微かに軋む。町は濃い霧に包まれ、視界は数メートル先までしか届かない。遠くでランタンの淡い光が揺らめき、まるで幽霊船の灯火のようだ。ルシアンの手には、掌に収まる古びた羅針盤――「星屑の羅針盤」が握られている。針は微かに震え、ミストヴェイルを指していた。


「またお前が導いた場所か」


とルシアンは呟き、羅針盤を睨む。10年前、師匠クロノスの魂が宿ったこの道具は、彼を世界の果てへと導き続けてきた。だが、ルシアンはその意図を完全に理解しているわけではなかった。過去の失敗――弟子カイルの死――が心の奥に重くのしかかり、他人を遠ざけ、孤独な旅を続けてきたのだ。


ミストヴェイルは、霧を使った幻惑魔法と「霧読み」と呼ばれる予知能力で知られる港町だ。船乗りたちは霧を操り、嵐や海賊を避けて航海する。町の中心には、霧の中でぼんやり輝く巨大なランタン塔がそびえ、夜の闇を柔らかく照らす。ルシアンはマントのフードを深く被り、石畳の通りを進む。市場では魚の塩漬けや海草の薬が並び、住民たちの声が霧に吸い込まれるように響く。


「さて、何の騒ぎだ?」


ルシアンは眉をひそめた。町の広場から、騒々しい叫び声と何かが崩れる音が聞こえてきた。羅針盤の針が微かに揺れ、広場の方を指す。嫌な予感が胸をよぎったが、彼は足を速めた。


×


広場に着くと、ルシアンは目を疑った。石畳の地面から、巨大な緑と紫の蔓がうねりながら伸び、屋台や家屋の屋根を覆い尽くしている。蔓はまるで生き物のように動き、木造の看板を締め上げ、果物籠をひっくり返していた。住民たちは慌てて逃げ惑い、子供の泣き声や怒号が響く。その中心に、少女が呆然と立ち尽くしていた。


「うわっ、うそ、なんでこうなったの!?」


少女――エリナは、焦りながら両手を振り回していた。彼女の周囲には、微かに光る緑色の魔力が漂い、蔓がその動きに呼応してさらに暴れる。長い金髪をポニーテールに結び、革のブーツと緑のチュニックを身にまとったエリナは、明らかに状況を制御できていなかった。


ルシアンはため息をつき、羅針盤を懐にしまう。


「また面倒なことに巻き込まれたか」


と呟きながら、広場に踏み入った。彼は片手を挙げ、静かな声で呪文を唱える。


「クロノス・スタシス!」


青い光が彼の手から広がり、蔓の動きが一瞬で止まった。まるで時間が凍りついたように、広場の喧騒も静まり返る。

エリナが振り返り、ルシアンを見つけた。


「え、なに!? 誰!? めっちゃカッコいい魔法!」


彼女の目はキラキラと輝き、まるで子供のようだった。ルシアンは冷ややかな視線を返す。


「カッコいいかどうかはどうでもいい。君がこの騒ぎの原因か?」


「う、うん、ちょっとだけ……魔法を試してたら、こうなっちゃって!」


エリナは頭をかき、照れ笑いを浮かべる。


「自然召喚魔法、初めて街で使ってみたんだけど、ちょっと暴走しちゃった、てへ!」


「てへ、じゃない」


ルシアンは額を押さえ、深いため息をつく。


「このままでは町が壊滅する。すぐに止めろ」


「え、でもどうやって!?」


エリナは慌てて周囲を見回すが、蔓は依然として広場を覆っている。ルシアンは彼女の魔力の流れを観察し、眉をひそめる。未熟だが、彼女の魔力は驚くほど強く、制御しきれていないのが明らかだった。


「いいか、集中しろ。君の魔力の流れを私が導く」


ルシアンはエリナの肩に手を置き、時間魔法で彼女の魔力の暴走を一時的に抑制する。


「目を閉じて、植物の動きをイメージしろ。収縮させるんだ」


エリナは目を閉じ、深呼吸する。


「うん、わかった! やってみる!」


彼女の手から緑の光が放たれ、蔓がゆっくりと縮み始める。屋台や家屋から解放され、広場は徐々に元の姿を取り戻す。住民たちが安堵の声を上げ、ルシアンは手を離す。


「やった! できた! ね、師匠、すごいじゃん!」


エリナはルシアンに飛びつこうとするが、彼は素早く一歩退く。


「師匠と呼ぶな。まだ何も教えていない」


ルシアンは冷たく言い放つが、エリナの笑顔にわずかに動揺する。


「名前は?」


「エリナ! よろしくね、師匠!」


「ルシアンだ。師匠はやめろ」


彼は背を向け、広場を後にしようとするが、エリナが追いかけてくる。


「ねえ、待って! 師匠、めっちゃ強いじゃん! 私、世界を見て回りたいの。一緒に旅してよ!」


ルシアンは振り返り、彼女を一瞥する。「断る。君のような無鉄砲な子供を連れて歩く気はない」


「子供じゃないよ! 19歳だもん! それに、師匠の魔法、めっちゃ気になるし!」


エリナは目を輝かせ、羅針盤を指差す。


「それ、めっちゃカッコいい道具じゃん! どこに行くの?」


ルシアンは羅針盤を握りしめ、言葉を失う。彼女の無邪気な好奇心は、彼の閉ざされた心に小さな波紋を広げていた。


×


その夜、ルシアンは港近くの宿屋に泊まり、羅針盤を手に次の目的地を考える。ミストヴェイルでの騒動は収まったが、羅針盤は依然としてこの町を指している。


「まだ何かあるのか?」


彼は呟き、窓の外の霧を見つめる。


そこへ、宿屋の扉がノックされた。入ってきたのは、青いローブをまとった女性――ミストヴェイルの指導者格、霧の魔法使いセレンだった。彼女は30代半ば、鋭い目つきと落ち着いた物腰で、町の秩序を保つ存在だ。


「ルシアン、時間魔法の使い手。あなたの力を借りねばならない」


と彼女は切り出した。


「昼間の騒動の後始末か?」


ルシアンは冷たく返す。


「あれはもう片付けたはずだが」


「問題はあの少女、エリナだ」


セレンは眉をひそめる。


「彼女の魔力は強すぎる。制御できなければ、この町を再び危険に晒す。追放する前に、彼女の意図を確かめたい」


ルシアンは一瞬考える。エリナの無鉄砲さは問題だが、彼女の魔力に可能性を感じていた。


「追放は早計だ。彼女の魔力を私が抑える」


セレンは疑わしげにルシアンを見つめる。


「あなたはよそ者だ。なぜ彼女をかばう?」


「かばっているわけではない。彼女の魔力は、使い方次第で価値がある」


ルシアンは羅針盤を手に立ち上がる。


「私に任せろ」


翌朝、ルシアンはエリナを港の広場で待つ。エリナは元気よく現れ、


「師匠、早いね! やっぱり旅に連れてってくれるんだ!」


と笑顔。ルシアンは


「まだ決めたわけではない」


と返すが、内心で彼女の明るさにほだされつつあった。


しかし、その時、広場に濃い霧が流れ込み、視界が閉ざされる。セレンの声が響く。


「エリナ、ルシアン。あなたたちの力を試させてもらう」


霧の中から、幻影の船や海獣が現れ、二人を襲う。セレンの霧魔法だ。


「なにこれ!? めっちゃ怖いじゃん!」


エリナは慌てて後退するが、ルシアンは冷静に呪文を唱える。


「クロノス・バリア!」


青い結界が二人を包み、幻影を弾き返す。


「エリナ、霧を晴らせ。君の自然魔法ならできるはずだ」


ルシアンは指示を出し、エリナは目を輝かせる。


「うん、任せて!」


エリナは両手を広げ、緑の魔力を放つ。


「フローラ・ディスペル!」


彼女の周囲から光る花が咲き、霧を押し返すように広がる。幻影が消え、セレンの姿が現れる。


「驚くべき連携だ」


セレンは微笑み、霧を収める。


「エリナ、君の魔力は危険だが、ルシアンとなら制御できるかもしれない」


×


セレンは二人に町の復旧を依頼し、エリナの追放を取り消す。ルシアンとエリナは協力し、蔓で壊れた屋台や桟橋を修復。住民たちはエリナの明るさに感謝し、ルシアンの冷静な指導に敬意を示す。


夜、港のランタン塔の下で、ルシアンは羅針盤を見つめる。針が新たな方向――サハラドを指す。エリナが横に座り、


「ね、師匠、どこ行くの? 私も行くよね?」


と無邪気に尋ねる。


「勝手な行動は禁止だ」


ルシアンは厳しく言うが、口元に小さな笑みが浮かぶ。


「だが、君の魔力は放っておけない。ついてくるなら、せめて私の言うことを聞け」


「やった! 師匠、大好き!」


エリナは飛び跳ね、ルシアンは照れ隠しに咳払いをする。羅針盤の針が光り、二人の旅は始まった。

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