手紙のつまみ食い常習犯
枯れた紅葉をしゃくしゃくとふみ、さえずる小鳥の声をたよりに道なき道を歩くと、そこには古びた日本家屋があった。
蔦に覆われた屋根はところどころ瓦が剥がれ落ちて、色あせた木の柱が建築された年代を物語っていた。それでも、開け放たれた障子から無遠慮に中を覗けば、小綺麗にされた和室がうかがえた。
その部屋には一人、骨董品ような艶やかさと気品を兼ねそなえた男が座椅子に座っていた。周りにはいくつも積み重ねられた封筒が男を囲み、その中心の書机にかじりついて執務をしているようだ。ぼくからすれば祖父くらいの歳で、和服の上からどてらで着膨れた姿は、冬眠前の熊のように見えた。男はぼくが見つめている気配にふと気がつく。
「おや、きみ。私の角が見えているのかい?」
そうぼくに呼びかける男の頭頂部には、片側だけに二本の角が生えていた。帽子掛けように生えたそれには、帽子ではなく風鈴が一つ下げられている。風鈴の透明なお椀型の外身には、美しい紅葉の絵柄が描かれていた。
男が縁側に立ち、どこから来たんだいと首をかしげてぼくに声をかけた。下げられた風鈴がちりんと音を立てる。
「季節を紙にしているんだ」
机の上で山をつくる手紙のすき間から、男はそういった。
すっきりと晴れわたる秋の空に木枯らしが吹き、ぼくはマフラーを巻きなおした。偶然この家を見つけてから数日、ぼくは男の手伝いをするために通っている。彼の後ろでなだれを起こしている手紙の仕分けをするのがもっぱらぼくの仕事だ。いかんせん手がかじかんでいうことをきかないが、手伝いのお礼としてその日の夕飯と、お駄賃が少々いただけるので、手に息を吹きかけて寒さをしのいでいる。
男は頭に生えた角二本に加えて、水平に横長い瞳孔を持ち合わせていた。
彼いわく『何年も前にヤギが頭に激突して、それきりヤギの御魂がへばりついている』らしい。ぶつかったとおりの位置に生えた二本の角は引っ張っても叩いてもとれず、無理に削り取ろうとすると痛みを覚えるので、もう何年もこのままだと嘆いていた。今では角にも利便性を見出したといい、風鈴に代わって手洗い場で手拭きに使ったハンカチなんかがときどき干してある。遊び心で引っかけはじめたという風鈴は、季節ごとで絵柄を変えているらしい。「風情があるだろう?」と顎のひげをなでて先日自慢げに話していた。
ぼくには角が見えているが、今も本当はごく一般的な人のみてくれをしているとのこと。
いわゆる男は神様だった。
「どれ、今日の紙は」
三度ほど指を回して空に円を描くと、ぱっと指先でつまむしぐさをする。
ひとたび目をつむるとそこには、どこからか吸い寄せられたように短冊のような紙があらわれた。
男はその紙の端をちぎってぺろりと食べる。
「うん、どんぐりと、焼き鮭と、紅葉の味だね。歯触りがいいし、紅葉はもうすぐ枯れるかも」
紙の味見をするその光景に最初こそ驚いたが、この家に通う今では見慣れたもので、ぼくもよく少しちぎったものを食べさせてもらった。男がつくった紙に複数の味を見つけられると、この仕事向きらしい。
「春は桜もちと苺とタケノコの味なんかがするよ」
「それっておいしいの?」
「おいしいさ。なんたって春の味だよ。また格別の味付けでね、毎年楽しみにしているんだ」
月に紙を透かすと、月の色や形がそのまま紙にうつり、その日によってみたらしや卵の味になるらしい。細かく刻んでおやつの団子にかけたり、チャーハンに混ぜたりして食べると、隠し味として大変役立つそうだ。
「さ、お国様ご依頼の、郵便屋さんの開始だ」
ぼくが選り分けた手紙の一つを取ると、男の「郵便屋さん」の仕事が始まる。
男の仕事は「手紙に季節を添える」ことだった。
彼が手紙の封をあけて、手紙の文字に紙を擦りつけると、その紙は真っ黒になって消しゴムのカスのように散り散りになり消えていく。その代わりに、手紙には「季節」が香りづけられるのだ。
ふいに男から寄越された便箋の一枚を受け取る。風がこの家を吹き抜けると、秋の肌寒い土の香りが鼻に抜けてぼくにまとわりつき、体が震えた。
「この手紙には、秋のさびしさを擦りつけているのだよ」
「へえ、なんで?」
男は手紙の封をし直して、封筒の開け口を指でなぞる。すると綺麗さっぱり封を開けたことは分からなくなっていた。
「お別れの手紙みたいだから」
手紙とは、ただ文字を書き連ねた数枚の紙束である。しかしながら、人は薄っぺらなその便箋一枚いちまいに、ある一定の感情をもたらされることがある。
たとえば。
手紙を読むと寂しくなる。手紙を読んで心があたたかくなる。手紙を読んで涙する。そういった経験が誰にでもあるだろう。それはすべてこの男の仕業だ。
すべての手紙は郵便局を通して一度ここに集まり、哀愁や愉悦、恋慕、高揚、激情などといったものを、彼が手紙から読み取る。それを、春の温かさや冬の寒さなどの温度感と共にして、男がつくった紙でのせる。これで皆のよく知る、といっても見た目にはなんら変わりはない「手紙」の完成だ。これを回収業者が引き取り、国へ返還すれば、郵便局から各地へ運ばれていく。
こうして宛先の人々へ手紙と季節、そして手紙から引き出された人の思いを届けるのが、男の務めだった。
あとはここだけの話だが、彼がたまに手紙を食べてしまうので、手紙にのせた気持ちや枚数がちょっと足りなくなることがある。ただしくは、彼にへばりついたヤギの魂が手紙を食べたがるらしい。とはいっても、明らかに事件性の気配があるものしか食べないとかなんとか。ぼくには到底真似はできないが、どうやら人の思いとは大きく乱れているほどうまいらしい。
「昔から言うだろう。ヤギが手紙を食べると。そのヤギが頭にへばりついておるのだ。そりゃあ紙の一枚二枚は十五時のおやつだわ」
ときおり彼が便箋を一、二枚食べているところを見かけたことはあったが、今日は一通だけ、がっつり封筒ごと食べていた。そらきた、と浮足立った男の声がしたと思えば、ぺろりと手紙をたいらげていたのだ。郵便物紛失の理由の一つは彼かとぼくはここで気づく。
良いものなり悪いものなり、人の念が強い手紙ほどうまいそうだが、その内容はほとんどが自己中心的なろくでもないものらしい。
「でもそれじゃあ、手紙書いた人に怒られちゃうじゃん」
ぼくは淡々と手紙の仕分けをしながら言った。
「大事な手紙は届けるさ。郵便屋さんだからね。届かないほうがいい手紙もあるんだよ」
ぼくに言い聞かせるように男は言った。
次に取る手紙には、豊潤な葡萄をもぎったときのようなみずみずしい恋をのせる。その次は古本屋の片隅で本をめくる探求心と安心感をのせた。
男はその中身に合わせて紙をつくる。つまみ食い、もとい味見をしつつ、今日の分の手紙を丁寧に扱い封をする。
「そうさね」
男は一つ伸びをしてから立ち上がって、できあがった手紙を仕分け用の段ボールに入れた。
「私も人間の手紙を食って、覚えたことがある」
かるく体操をして、座椅子のクッションを整えて、男はもとの作業に戻る。
「戦の前も、平和な今も、手紙はすべてここを通っていった」
空で三度、指を回して紙をつかむ。二枚重ねのティッシュを一枚にはがしたような、庭の紅葉を透かしてうつした紙を、手紙に擦りつけてはまた紙をつくる。
「書かなきゃやってられない思いがあるんだよ」
男は取り出した便箋を、横長い瞳孔でじっと見つめる。指の腹で、封筒に入れる際に曲がったのであろう紙の端をなでつけて、綺麗にのばしていた。
「そうだ、私は明日から出張でね。しばらくここに戻らないよ」
「なにしに行くの?」
「冬場はハガキが増えるからねえ。ほら、お正月ってあるだろう。年賀状の仕分けを加勢しに来いと毎年、国のお偉いさんにお呼ばれするんだよ」
神使いが荒いだろう、と男はけらけら笑って答えた。
「家を空ける間、私宛てに手紙を出そうなんざ考えるんじゃないよ」
「どうして?」
「ヤギは手紙を読まずに食べるもんだからね。自分宛ての手紙は、こいつが黙っちゃいないんだ」
男は頭の二本の角をコンコンと叩いてみせた。
「でも『神様へ』って書いて、お手紙届くの?」
男は手を止めて少し考える。
「そうだな。『ぺぱさま』とでも呼んでおくれ」
「ぺぱさま?」
ぼくは首を傾げた。
「西洋では紙のことをぺぱというそうでな。時代はエウロッパよ」
男は自分の思う「時代」の方向を指して、角に下げられた風鈴がちりんとゆれた。男の指す方向は、ちらちらと木々の間から夕日がさし込み、その眩しさにぼくは目を細める。冷たい風が庭に和室にぼくのまわりにと、子犬が駆け回るようにこの家を吹き抜けた。
寒さに鳥肌が立つ腕をさする。すでにほの暗くなってきた夜には、冬の気配が近づいていた。
最後に本日の「郵便屋さん」の業務の締め作業として、地方ごとに分けた手紙入りの段ボールに荷札を貼り、軒下に並べた。重ねて置いた段ボールは、明日の明朝に回収業者が運び出す予定だ。雨の日は玄関に置いておくのだが、晴れ予報の明日なら扉の開け閉めもない軒下の方が運び出しやすい。
仕事がすべて片付くと、男は二人分のお茶を淹れる。茶菓子といってはなんだが、彼はつくった紙を短冊切りにして小皿に盛り付けて出してくれた。ぼくはその琥珀糖のように淡く背景を透かす一枚を食べてみる。
「さんまとカボチャと、金木犀の味がする」
「おお、いいねえ。やはりセンスがあるよきみは」
男は口から湯気を吐き、満足そうにつぶやいた。角に引っかけた風鈴がちりんとゆれる。
その後、ためしに調子はどうかと手紙を出したら、男からちゃんと返事がきた。
手紙には、年明けには帰るという内容が手短に書いてあった。くわえて、煮立った鍋を家族と囲む炬燵の中のような、冬の朝にあたたかい毛布にくるまれたような、やわらかい嬉しさがのせられていた。手紙の端っこは、ちょっとかじられている。