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真夜中の囁き

私は子供の頃から、夜は嫌いだ。高校に入るまで暮らしてた家が、古い木造の長屋で、周りはいずれもが、二階建ての戸建て住宅ばかりで、我が家にはほとんど日が当たらなかった。だから家にいれば、時には昼間でも、部屋の照明をつけないとならず、母は残業も厭わなかったので、夜遅くに帰宅することもあり、私は次第に空が暗くなり、時折吹く風の音にも、心が震えたが、母は忙し過ぎて、そんな私の心情には、気づいていないようだった。とにかく両親共に、先の戦争を経験しているので、貧困による悲惨さや惨めさを、よく知っていたなら、何とかして、そこから抜け出そうと、必死だったのだ。子供の時から、彼等は家にお金がなくなると、よく喧嘩をしており、それが話題にならない日々はなかったけら、私はいつしかそれが守銭奴のように思われてならず、人生においては、お金など重要ではないと、いつしか考えるようになったが、この考えが、その後の人生に、大きな影を落としていくことにも、当時は気付かずに、恐怖と不安を抱きつつ、喧嘩の耐えない両親を見ていたものだ。


生まれながらに病弱で、病院通いが続いていたので、私には友達がほとんどいなかった。

幼稚園も耳鼻科の病院に、半年間入院してたので、より同じ年齢層の子供たちと遊ぶことはなく、その頃から、部類の本好きだった。

父が本を読む人であり、百科辞典などの本を、買い与えてくれたことが、その要因だった。どんな暮らしの時にも、我が家には常に本があり、友達も出来ない淋しさもあって、その心を埋めるように、私は本が描き出す世界で、自由に空想を膨らませた。それは私が

唯一心が解放される瞬間であり、いわばオアシス見たいなものだった。そんな私を案じた母が、読み過ぎで、目が悪くなると注意したが、私は全く意に介さなかった。こうして人生への扉を、少しずつ開いて行った。そこが、本のように夢の世界ではないことすら、

知らずに。


本以外のことは、余りよく知らなかったので、療養生活を終えて、幼稚園に戻っても、

私自身はなかなか集団生活には馴染めず、他の子供たちが、縄跳びなどをして、元気に飛び回って、遊んでいても、その輪の中には、全く入れなかったから、よく苛められた。それは高校を卒業するまで続き、次第に人間不信に陥っていき、親にさえも反抗していた。何を話しても、心からそれを聞いてくれないかなり変わり者の父親、清潔好きで、些細な汚れすら、気になり、例えば私が小さい頃に、

謝って、テーブルの上にある何かに触れて、それが食器から、こぼれると、母は劣化の如く、怒りを表し、時にはお尻を叩かれたものである。今よりも幼子に対しては、身体で、

善悪を覚えさせていたようで、そんな暴力的な環境も、その後の性格形成する上で、左右していた。実家が貧しかったが故に、高等教育を受けられず、生活のためには、社会的な

差別を受けていた肉体労働に、甘んじざるを得ず、その差別と戦いつつ、生きてきた彼等は、せめて子供である私には、そんな苦労を

体験させたくなかったのだろうが、むしろ自らが果たせなかった親の期待や願いを押し付けたことが。さらなる悲劇を生む結果になるとは、彼等自身も考えてはいなかった。本当に異常な家庭環境だったと思う。どこにも安心感が得られず、気の短い父を怒らせないように、びくびくしている。仕事から帰る父が

鳴らす足音を聞くだけでも、恐怖に震え、心が萎縮する。それは子供の心の成長にとり、けっして好ましい状態ではないが、彼等は子供の心に寄り添うという概念が、なかった。

父との喧嘩や仕事でのストレスは、誰かを攻撃することにより、発散され、自らで心を満たす術さえ、知らなかった彼等は、母が病いに倒れるまで、その険悪な関係は、変わらなかった。それが原因で、私の二歳下の弟は、精神疾患に陥り、今でも社会復帰してないどころか、安定剤を服用し続けており、年金でかろうじて暮らしていた。


学生の頃までは、学校でも優秀で、学年でも常にトップクラスだった彼の心が病んでしまったことは、先の戦争を境に、人生観が激変し、貧困だったが故に、高等教育すら受けられず、社会的にステータスが高い仕事にありつけなかったコンプレックスが強い父の誇りを傷つけ、弟のその変貌ぶりを、現実として、受け止められなくて、狼狽したのか、専門病院の治療に繋げることが出来なかった。


弟は時々その症状として、幻覚を感じて、私たちには見えない霊魂の存在を示唆した。それはまるで何かに取りつかれたかのような感じだったので、町の至る所にお地蔵様がある

誰もが信仰深い東北の農業が盛んな田舎町に 生まれ育った母は、父には秘密裏に、地元にある霊媒師を紹介され、足繁くその人の元に通い続けて、おそらく宗教とはかけ離れたご

祈祷をして頂くと、不思議なことに、弟の精神状態は、落ち着くのである。けれども、やはり治療は必要だったので、勤労学生として、大学に通い、その頃に住んでいた下宿のオーナーから、彼の精神状態が異常だから、そこには住まわせられないので、出て行って欲しいという連絡を受けた母が、本州のある大都会で暮らし、病いのために、学業と仕事との両立が出来なくなった彼を、飛行機で迎えに行き、即刻精神科の病院に緊急入院させた。それ以降が、私たち家族の地獄の日々が、始まろうとは、思ってもみなかった。

 数ヶ月間彼は、その病院に入院していた。

母が何度も見舞いに行き、そこで必要な物を

差し入れていたが、当然それは病棟の看護師に、チェックされた。特に急性期においては、自傷行為に及ぶことを懸念してか、病棟内では、そこに収用されている患者に対する

管理は厳しいものがあった。けれども日頃は、頑固で強気な父も、彼が入院してからは、親として一度も見舞うことはなかった。

彼の心が病んでしまったことを、全く受け入れられなかったのである。今思えば、父も酒好きで、酔えば怒りを現わにして、些細なことで、暴力に及んでいたし、私たち家族は、

そんな父を怒らせないように、意図的に感情を抑圧していたから、彼が病む要因はあったと思うが、父は自己愛性パーソナリティー障害の傾向があり、自分以外の者の感情を、感じ取る感性は、皆無だった。私は耐えず暴力で、家族を支配する父を、尊敬出来ずにいたが、弟はそんな父の期待に応えようとして、

無理を重ねたのだろう。幼い頃から、比較的

大人しい性格だったから、その恐怖と不安の

余りに、本心を語れなかったのかもしれない。

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