Act2
……西暦20XX年 北朝鮮……
鬱蒼とした森の中を、東堂英治は歩いていた。
顔には濃い疲労の色が浮かび、手にする自動小銃はいつもより更に重く感じた。
頭にかぶっているヘルメットの感触にさえ、煩わしさを覚える。
……この森を抜けられれば……
その言葉を、東堂は脳内で何度も唱えていた。
味方部隊の駐屯場所に到着すれば、助かる。
生きて日本へ帰れる。
それだけが、彼の心を支えていた。
不意に、近くで物音がする。
反射的に小銃を構えてそちらを向くと、白人の兵士がグレネードランチャー付きのM16突撃銃を東堂に向けていた。
アメリカ兵だ。
「……なんだ、日本人か」
軍服の左肩にある国章を見て、そのアメリカ兵は銃を降ろす。
東堂も銃口を下に向けた。
「俺はビリー=ケンドール。アメリカ陸軍伍長だ」
「陸上自衛隊、東堂英治陸士長です」
英語で答える。
「お前も、この森を抜けようとしてるのか?」
「ええ」
「お前のいた部隊はどうした?」
その問いに、東堂は唇を噛んだ。
「子供の持った対戦車地雷で、トラックごと……生き残ったのは俺だけです」
「そうか……俺も似たようなもんだ」
ビリーは溜め息を吐く。
彼も顔に疲労の色が浮かび、ヘルメットからはみ出してい金髪も土埃で汚れていた。
「行き先は同じだろ。一緒に行こうや」
「はい」
道連れができたのが心強く、ビリーと並んで歩き出すと、東堂の足取りが少し軽くなる。
雑談しながら、二人は森の中を歩いていった。
「俺の生まれた下町にさ、可愛い女の子がいたんだよ。その子は一流の汚し屋だった」
「汚し屋?」
「通行人の服にジュースだのアイスクリームだのをつけて、相手がそれを拭いている間に荷物を持ち去る商売さ。俺もワルだったからな、よく一緒に遊んだよ。いつからか、姿を見なくなっちまったが。……トードーは、好きな女とかいるか?」
尋ねられ、東堂は頬を掻いた。
「ええ、一応。ハイスクール時代からの先輩です」
「へぇ、年上好みかい?」
「いや、別に大して年の差は……」
そのとき、東堂の腹が大きな音を立てた。
彼はここで初めて、自らの空腹に気づく。
ビリーは大笑いした。
「飯にしようや。俺も腹減ったし」
「は、はい」
足下に蛇などがいないか確かめ、二人は座り込む。
東堂は持っていた戦闘糧食Ⅱ型を取り出し、パックを破く。
ビリーもアメリカ軍の代表的な戦闘糧食であるMREのパックを取り出し、化学反応を利用した使い捨てヒーターに入れて、水を少し注いだ。
しばらくすると蒸気が発生して、レトルトパックが温まる。
「アメリカのレーションも大分マシになったが、それでも外国の方が美味そうだなあ」
ビーフシチューを食べながら、ビリーはぼやいた。
「日本人はライスにおかずの組み合わせにこだわるよな」
「そういう国ですからね。韓国軍も必ずキムチかビビンパが付くらしいし」
東堂は米を口に運ぶ。
「ロシア軍なら体の温まる物だしな」
「イタリア軍はワインとデザートつきらしいですね」
談笑しつつ、二人は食事を続ける。
一見平和そうな風景だが、それでもここは北朝鮮店…敵地なのだ。
食事をしながらも、周囲への警戒は怠っていない。
「だがよ、例え死ぬほど不味い飯しかなくても、食事だけが俺達の楽しみなんだよな」
ビリーは付属の軍用チョコレートをかじった。
東堂も塩鮭を食べ終わり、パックを地面に埋めるため足下の土をかき分ける。
「ええ。飯が食えることがどんなに幸せか、身に染みて分かります」
二人は空になったパックを埋めて処分し、再び立ち上がった。
夕方までには味方陣地につけるだろうと言い、歩き出そうとする……が。
「! おい」
ビリーが木々の向こうを指さした。
足音が聞こえる。
東堂がその方向を凝視すると、軍服を着た男達の姿が見受けられた。
手に握っているのは、AK−74突撃銃。
AK−47を発展させた、東側諸国で広く使われているアサルトライフルだ。
……朝鮮兵!……
東堂の背を冷や汗が伝った。
敵兵はまだ遠い距離にいて、東堂達に気づいていない。
「隠れろ」
近くの茂みの影に、二人は身を潜める。
しかしその時、東堂の89式小銃がビリーのM16とぶつかり、金属音を立てた。
北朝鮮兵の一人がそれに気づく。
AK−74を構え、何事か叫びながら近づいてくる。
「……全部で六人か」
ビリーが小声で呟いた。
位置を気取られてしまった以上、下手に逃げても後ろから撃たれるだけだ。
かといって、このまま隠れていてもどうなるかは目に見えている。
「……手榴弾はあるか?」
「……はい」
「引きつけて、投げろ」
そう言われ、東堂は持っていたM26破片手榴弾を取り出し、安全ピンを抜いた。
レバーを握っている間は爆発せず、安全ピンを戻すこともできる。
敵兵達はじわじわと近寄ってくる。
朝鮮語で何か警告らしき言葉を発していた。
「……やれ!」
東堂は振りかぶって投擲した。
レモン型の物体が弧を描いて、北朝鮮兵のただ中に落下する。
「GO! GO! GO!」
ビリーが叫び、二人は二方向に走り出す。
直後、手榴弾が炸裂し、逃げ遅れた北朝鮮兵二人がその爆炎に巻き込まれた。
残る四人の敵兵が大声で叫びながら、AK−74で反撃する。
東堂は樹木の影に隠れながら、89式小銃のセレクターを安全位置から連射に切り替えた。
木から体を半身出し、薙ぎ払うように掃射。
ビリーもM16を撃つ。
「くそっ! くそっ!」
北朝鮮兵が一人、ビリーの銃撃に倒れた。
残りの敵兵は木陰に隠れながら移動し、攻撃してくる。
東堂も遮蔽物から遮蔽物へと移動しながら、さらに発砲。
敵兵をまた一人射殺した。
残りは二人。
しかしその時、弾の発射が止まってしまう。
「! 弾切れか!」
東堂は咄嗟に木の陰に隠れ、空になったの弾倉を取り外す。
だが、突如敵兵の一人が雄叫びをあげて肉薄してきた。
鼻先に迫ったAK-74が火を噴くかと思われたその瞬間、その北朝鮮兵の頭部が破裂した。
「早くリロードしろ!」
ビリーが援護したのだ。
東堂が新しいマガジンを装着した時、最後に残った北朝鮮兵も飛び出し、ビリーに肉薄する。
怒りに駆られたのであろうその敵兵に、ビリーは腰から抜いた拳銃を撃ち放った。
空中にライフル弾を撒き散らしながら、敵兵は倒れ……
辺りは再び、静かになった。
「トードー、無事か?」
「……はい」
東堂は呼吸を整えながら、敵兵の死体を見つめる。
ライフルの弾を頭部に受けた者は、頭蓋が半分破裂し、崩れた脳を晒していた。
濃い血の臭いが、東堂の鼻を突く。
戦闘中には大量のアドレナリンが忘れさせていた感覚だった。
東堂は、初めて人を殺した。
「……こいつ」
ビリーは、自分がベレッタM92拳銃で射殺した敵兵を指さす。
「仲間の名前を叫んでた」
「えっ……」
「朝鮮の言葉は知らないが、分かる。仲間の名前を叫んでいたんだ」
東堂の耳には、そんな声は聞こえてすらいなかった。
死の饗宴の中、生存本能が他の全てを忘れさせていたのだ。
自分が人を殺したこと……もしかしたら、相手が人間だったことさえも。
「……トードー」
ビリーが、東堂の肩に手を置く。
「すぐに慣れるさ」
「慣れる……?」
東堂はビリーを睨んだ。
「人を殺すのを、慣れろというんですか!?」
「そうするしかないんだよ。撃ち殺されるのが嫌ならな」
反論を許さないような物言いだったが、ビリーもどこか哀しげな顔をしていた。
M16の弾倉を交換し、コッキングレバーを引く。
「自分の命と敵の命、どっちを優先させるかは自由だが、俺を道連れにはするなよ」
ビリーは北朝鮮兵の死体をまさぐり、食糧の類をはぎ取る。
戦場では日常的に行われる光景だ。
「チッ、ろくな物持ってねぇ」
「……ケンドール伍長は、何故軍に?」
東堂の問いに、ビリーは苦笑した。
「飯が食えるからさ。スラム育ちで残飯漁りばかりやってた俺には、破格の待遇だ」
「………」
「チャップリンは言った。街中で一人殺せば犯罪者だが、戦場で百人殺せば英雄だ、ってな。その不条理は昔から変わらねぇ。イエス様がどう思ってるかは分からねぇが、とにかく変わらねぇのさ。要するに考えるだけ無駄なんだよ! 分かるか? 考えるだけ無駄なんだ!」
ビリーは立ちあがった。
距離をとって後からついてくるよう、東堂に言う。
この様子だと他にも敵兵がいる可能性が高いため、彼が斥候を務めるのだ。
複雑な思いを抱えながら、東堂は彼に続く。
死んだ北朝鮮兵の目が脳裏に焼き付いていた。
戦場のリアルを身を以て体感し、生き残る信念さえも揺らぎ始める。
所詮自分は雑兵なのか。
ただ戦場に利用されるしかないのか。
疑問を持つことも、許されないのか。
……この戦いで、日本がどう変わるんだ?……
思考が混沌としていく中、東堂は森の中を歩き続ける。
しかし突如、銃声が響き渡った。