バナナ・モグパクのゴリゴリでモリモリな日々
第三次世界大戦末期、後世に、狂気のマッドサイエンティストとも、神に最も近づいた男とも呼ばれるB・モリモリパーク博士によってつくられた、人間以上の平均値知能指数、リンゴを二本の指で100%ジュースへと絞りつぶす握力に代表される屈強な身体能力を備えた人工生命体「GORI2009」は、戦後の荒廃に喘ぐ人類文明とは距離を置き、太平洋に東京ドーム三億二千万個分の大きさを誇る大陸型居住権「ゴリカディア」を建築すると、そこで満ち足りた穏やかな日々を過ごしていた。
彼らの最大の外見的特徴は、身体構造としてゴリラをモデルにされたためにそのゴリラに酷似した容姿を持つことである。会話では一人称に「ゴリ」、二人称に「ウホ」を用い、種全体に見られる傾向としてバナナを大いに好む。彼らにとっての創造主B・モリモリパーク博士と、最初に生み出された「GORI」であるバナナ・モグパクとの問答にちなんで、バナナを食した後の恍惚を伴った精神的充足を「モリ」と呼ぶ。「モリ」状態の「GORI」は一切の生理的欲求に囚われず、脳内演算処理速度を自由自在に操ることから「モリの賢者」と呼ばれる。
これはバナナ・モグパクの第三ゴリラボーイ、バナナ・モグパクが、「モリ」状態、通称賢者タイムの際に書き記した彼の手記である。
今日、我が友ゴリラ、ドラム・ココが家を訪ねてきた。ドラミングの腕、もとい胸を買われただけあって逞しい胸板が、しかし自信と共に引っ込んでしまっている。彼は周囲から粗野な、野蛮ゴリラだという評価を受けており、そのことについての悩みを私に相談したかったらしい。
見かねた私が貴重品であるバナナを差し出すと、彼はようやくにっこりと笑った。
「あのウホホが(※二人称ウホの複数形)批評という体でゴリを侮辱しているのは、チンパン野郎などというスラングを用いていることからも分かりきっているのだ」
突然品のない言葉を耳にねじ込まれ、私は面食らった。チンパン野郎は、バナナの生産地「イエローベルト」を何度も襲撃し、その都度失敗しては檻に収監された犯罪ゴリ、ダム・チンパンに、警察官が吐き捨てた言葉に由来する表現だ。思慮が足りず同じ過ちを繰り返すゴリラに用いられるものであり、ココの言う通りスラングである。気性が荒いゴリラならば糞を投げつけて抗議してもおかしくない。ゴリラに掛けるものとしては、中途半端に剥かれたバナナのように、いささか配慮に欠けていると言わざるを得ないだろう。
「こんなにゴリゴリではストレスで毛づくろいもできない」
ゴリゴリという彼の声を聞いたとき、私は近代を代表する思想家の「我々はヒトと違って自身の欠点があることを思い悩み、克服しようとする意志がある。それこそが、ゴリがゴリたる由縁なのだ」という発言を思い出していた。
「彼らが自発的に私への挑発をやめることを期待するのは、夢で見たバナナと言うべきだろうね」
疲れた笑いを浮かべたココに、チンパン野郎などと罵倒されねばならないような粗野さは見当たらない。それもそのはずで、彼が暴力的だと見なされている理由に彼自身の素行は関係していないのだ。
言わずと知れたゴリラの三大欲求、ドラミング、睡眠、バナナ。ココはドラミングの鮮やかさを評価され、ドラミングを芸術的表現手法として舞踊に組み込んだ、ダンス界の名門ドラム一族に迎え入れられた。
しかしそのココの踊りを、ドラム一族に批判的な評論家が、人前で欲求を解消する恥知らずだと書き立てたことで、それがココについての最初の評論だったこともあり、ココのドラミングは恥知らずのゴリの行いだという大衆的な評価が形成されてしまった。