音楽と記憶。
近未来。よくいわれたのは“アンドロイドは並外れた好奇心と知性を生まれながらにもち、デミ・ヒューマンは自然とともに生きた故のすぐれた感性と感受性を持つ”
人間以外の生命体、動物を機械的に改良し、進化されたデミ・ヒューマンやアンドロイドがたくさんいるとある惑星。
アンドロイドも動物も各々にすぐれた点をもち、動物たちはとても、豊かな感情をもち、アンドロイドは優れた知性をもつので、人間たちは自分たちの特殊な能力を何か、彼らに匹敵するものはないかと彼らの二つの能力を融合するあるシステムを設計する。
とある実験があって、メタバース上である集団にある記憶や体験と音楽を結び付ける実験をした。それによると芸術的感性を強めることもでき、記憶力の向上も確認ができた。そこで人間たちは、それに特化した集団をつくり、育て、デミ・ヒューマンやアンドロイドたちを驚かせるべく、メタバースでのこの訓練により、彼らは芸術的能力や感性、そして記憶力を向上させていった。この試みは大成功した。副産物として、彼らは有名な“ネオ・ヒューマン”とよばれ術や文化のムーブメントをつくりあげていったのだった。
だがそれも長くつづかず、彼らが老いてその役割をおえることになって、デミヒューマンとアンドロイドはまた新しい知識や知恵や芸術的能力を発揮するようになった。しかし、それでもネオ・ヒューマンの功績はおおきかった。アンドロイドやデミヒューマンがつくりだす芸術や知識は、自然に関するものや人工的なものに関するものが多く人間のように、よくもわるくも想像力や空想から過去を連想することがなかった。ネオヒューマンたちの試みは、はじめは“メタバースでの体験をアンドロイドやデミヒューマンにシェアする”ことが目的だったが、彼らの芸術は後期になり、それぞれが感じたそれぞれの記憶の中に美化された音楽や体験をそれぞれに再現するようになった。初期は“誰もが同じ経験を再現”していたのが、後期になり記憶がおぼろげになると“それぞれがみる美化された過去”が表現されるようになった。それは“感じることはひとそれぞれ”という価値観を残し、デミヒューマンやアンドロイドは、それぞれ特徴のある進化と秀でた能力をもっていたが、だれもがそうした存在ではなく、欠点のあるものもいた。そんな欠点のあるものたちのよりどころとして重宝されたのが“ネオ・ヒューマン”の残した痕跡だった。
“何よりもすぐれた成果より、何よりすぐれた想像力や、空想を”
人間の価値観は、受け継がれ、それが人間として人間なりのユーモア、多様性を受け入れる方法なのだろうと理解されるようになり、ネオヒューマンの出現と衰退により、図らずもデミヒューマンとアンドロイドの中で人間という存在へのリスペクトが向上したことはいうまでもなかった。
それから数百年たち、人類が滅びた今でも“ネオ・ヒューマン”の思想体系は受け継がれ、彼らが体験したこともそうだが、その体験からうみだされた“創造物”は、かつて人間たちがメタバースで同じ経験をして、同じ音楽を聴いて、分かち合ったように、同じ利用法をされ、デミヒューマンとアンドロイドは、彼らの“想像力と創造物”を、互いを理解するための芸術や文化として共有しているという。