最凶賢者の送迎(往路)
上空から下を見るとゴブリンたちが村の門を攻め立てている様子がよく判った。
村のすぐ近くにある家屋などには押し掛けていない。
家屋のどこにも破壊の後らしいものが見えないのだ。
これは実に奇妙な事だった。
ゴブリンに狙われれば後には何も残さないほど略奪されるのだ。
村の門の前では少し体の大きなゴブリンが門にとりつき、その後ろから少し小さなゴブリンが弓を撃つ。
(ゴブリンが隊列を組んでの攻撃か……。明らかに組織だった攻撃だ。それなのに率いる存在が居ない。)
すこし大きな体のゴブリンを歩兵、少し小さなゴブリンを弓兵とするならば、全面に歩兵を置き後方から弓兵で援護を行う。
大きいゴブリンも三列に並び、前の一匹が倒れるとその後ろから新たな一匹が入れ替わる。
通常のゴブリンはこの様な秩序だった動きはしない。
前のゴブリンが倒れれば我先に複数のゴブリンが押し掛ける。
ゴブリンは門に作られた急造の防壁を破れないでいる様だ。
(冒険者も良く持ちこたえているというべきか。ゴブリン自体の力は冒険者以下だがあの様に組織だった攻撃をされれば撃破される。それを持ちこたえているという事は実力が極めて高い冒険者がいるのか?)
ゴブリンたちに対し村を守っている冒険者らしい姿の連中は防戦一方の様である。
だが、マグナスが見る限り実力の突出した冒険者は見られない。
まだ村の周りの木壁は破られていないので、戦線を保っている様だが崩壊するのは時間の問題のように思えた。
冒険者たちは組織だって行動するゴブリンたちはいつもと勝手が違うので手をこまねいている様だ。
そうして見ている内に冒険者の一人がゴブリンの棍棒の一撃を受け吹き飛ばされた。
今まで何とか抑えてきた冒険者の戦線に穴が開き、そこへゴブリンたちの圧力が高まる。
(む?ついに門が破られるのか?いかんな。じっくり見ていたが、そろそろ介入しないとゴブリンごときで死人が出るな。)
私は右手を前に突き出し体を弓なりに反らすと指を鳴らした。
パキィツ!
音が鳴ると同時、村の門の前に5mほどの高さの石の壁が出現する。
“ストーンウオール”石の壁を築く呪文である。
時間制限付きと永続とによって詠唱方法は異なるが、今回は村の門前なので時間制限付きの石の壁を築いた。
その石の壁を築いた呪文を発動させたのは、独特のポーズと指鳴らしの併用である。
マグナスは様々なポーズを変える事で数種類の呪文を使い分けることが出来る。
参考にしたのは“深淵の図書館”に置かれていた異界の書物だ。
その書物にはデフォルメされた人物が重力を無視したポーズをとっている姿が多々あった。
それを参考にしたのだ。
(独特なポーズで重力を無視していても、空中なら何も問題は無い!)
冒険者たちは突然出現した石の壁の前で右往左往していた。
対してゴブリンたちは石の壁に対して先ほどと同じ様に攻撃を仕掛けている。
(石の壁と急造の防壁の違いを認識できていない。壁を攻撃せよとしか命令されていない様だな。まだその命令が変更されてはいなのか。)
マグナスは上空から周囲を観察する。
冒険者の動き、ゴブリンの動き、その他の人々の動きである。
その中で、冒険者たちやゴブリンと一定距離を保ち様子を窺うローブの男が見えた。
村の防衛戦に参加した魔法使いの冒険者のように思えるが、援護をするにしても立っている位置が妙である。
相手の行動を観察するのが目的ならば判らなくもないが、その場合は使い魔を使えば十分である。
(少し尋ねてみた方が良いか?ふむ。)
私は少し考えをめぐらすとゆっくりとその男の後ろに降り立った。
―――――――――――――――――――――
その男、グリーデンは深くかぶった茶色いローブの中でギリギリと歯噛みしていた。
冒険者達からもゴブリンからも同じ距離にある矢倉の上にいた。
その矢倉の上から両陣営の間に矢倉よりも高い石の壁が見える。
途中まで自分の思い通りの展開だったはずだ。
急造の防壁が破られゴブリンが村の内部に入った時にさっそうと登場し、ゴブリンを撃退する。
それにより、自分の価値をあのくそったれ冒険者共に知らしめることが出来る。
それだけでない。
この俺を役に立たないゴブリンを使役するしか能の無い下級魔物使いと蔑んだ王都の連中にも同じように一泡吹かせてやらなくてはならない。
だが、この状況は何だ?
突然現れた石の壁によって状況が変わってしまった。
くそっ!
あの石の壁は何だ?魔法にしては詠唱がすこしも聞こえなかったぞ。
石の壁は中級の呪文、詠唱を行わずに魔法を行使するなど聞いたことが無い。
一体何んだ、何が起こっているのだ?わからない。
しかも今立っているこの場所からでは石の壁が邪魔になってゴブリンの様子が判らない。
すぐに場所を移すべきか?
そう思案するグリーデンの後ろから声をかける男がいた。
「そこのローブの者。お主に聞きたいことがある。」
「!」
―――――――――――――――――――――
私が茶色のローブの男に声をかけるとその者は驚きの声を上げた。
「だ、だれだ?何故ここに居る?どうやってここに来た?」
「ふむ?尋ねているのは私なのだがね。私は“マグナス・ホーエンハイム”この地の新しい領主だ。」
「マグナス?ま、まさか“トリスメギストス”のマグナスか!!」
「ほう?その呼び名をこの辺境で聞くとは思わなかったな。」
「くそつ!辺境にこんな大物が来るとは!だが我がゴブリンの軍団をもってすれば!」
(こいつは何を言っているのだろう?)
男の言葉に私は首を傾げた。
「ゴブリン?君はゴブリンしか扱えないのかね?」
「何だと!ゴブリンのどこが悪い。どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!」
男は思ったよりも修練が足りない様だ。
あまりにも程度が低いため、私は額に手をあてて首を振った。
「やれやれ、ゴブリンは繁殖力が高く軍団を作りにはお手軽だがいかんせん力が弱すぎる。実力の高い者には雑魚にしかならない。」
「いや、いくら“トリスメギストス”であっても何万匹といれば!!」
食って掛かるグリーデンに対し、私は“ふッ”と軽く溜息をついた。
「せめてオーガぐらいでないと私の相手にはならんよ。」
「お、オーガだと?!」
「ふむ、どうも君は勉強不足の様だ。もっといろいろな書物を読むべきだろう。“テーミング”に関しても様々な書物が存在する。」
「書物?そんな物この世の中にあるわけがないだろう!」
「!」
私には男の言葉に閃くものがあった。
そして、男の胸に軽く触れると静かにこう言った。
「君は運がいい。私はある図書館へ送迎できるのだよ。」
「おまえ、何を言って??」
男の背後の空間が歪んだかと思うと、厳めしく重厚でそして怪しげな扉が出現した。
私が指を軽く鳴らすと重厚な扉がゆっくりと開かれた。
「行って勉強してきたまえ。“深淵の図書館”へ!」
私は男を軽くポンと押すと、あっという間に扉へ吸い込まれた。
扉がばたんと勢いよく閉まり、何事も無かったかのように扉は消え去る。
「これで彼が少しでも勉強してくれると良いのだが。さて、私はゴブリンを始末するか。」
私は踵を返しゴブリン掃討へ向かおうとするが不意に立ち止まった。
(そう言えば、名前を聞いていなかったな……まあいいか。)
「図書館を出る時に聞けるだろう。」
そう独り言をつぶやくとゴブリン掃討へ向かった。
―――――――――――――――――――――
グリーデンはマグナスに押され、気が付くとあっという間に扉に吸い込まれた。
吸い込んだ扉は彼を放り出すとあっという間に消えてしまった。
(ここは何処だ?)
グリーデンがキョロキョロとあたりを見渡すと家よりも高い書架が並んでいるのが見えた。
その書架は不思議なそして妖しい模様が刻まれ、中には数多の本が納められている様だ。
そのグリーデンにすっと影が差す。
いつの間にか彼の後ろに音もなく何者かが立った様だ。
グリーデンはゆっくりとそして慎重に顔を後ろに向けた。
「!」
その姿を見るとグリーデンは息をのんだ。
グリーデンの後ろには長身の男が立っていた。
黒いジャケット、白いシャツ、黒いウエストコート、黒いズボン、黒い革の靴に身を包んでいた。
男はグリーデンに対し深々とお辞儀をする。
その男には顔が無かった。
「ようこそ、“深淵の図書館”へ。私はこの図書館の館長を務めさせていただいているNという者です。」
グリーデンは顔の無い男はニコリと笑った様に思えた。
ただその姿に底知れぬ恐怖を感じ取るのだった。